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2012/12/31
年末年始(日本 ハノイ ロンドン)



今回の年末年始はカレンダーの並びが良くて、1月4日は休暇を取るので9連休になります。この時期になると成田空港での海外出入国ラッシュのニュースが流れ、いったい何処が不況かと思います(錯覚してしまいます)。昔の銀行は年末まで営業していたので銀行相手の部署に居たときは大晦日まで出社したり、大手スーパーに出向していたときも大晦日まで出社したり(大晦日は都心の店舗でお手伝いという話もあったようですが、役に立たなということで断られた記憶があります)ということはありましたが、年末年始の休暇は基本的に自宅でリフレシュしていました。海外に居たときは、イギリスではクリスマスが中心で、元旦は祝日ですがクリスマス休暇の後は12月31日まで出社し翌年1月2日から仕事をしていました。ただ日本が休みなのでFax等の送受信もなく、イギリス人はクリスマスから連続で休暇を取っていた人も多く、大晦日の日は早めに仕事を切り上げて日本人だけで会社の近くの(日本人経営でしたがイギリス人向けの味付けの)日本レストランで一杯やった記憶があります。ベトナムは他のアジア諸国と同じく正月といえば旧暦の旧正月をお祝いするわけですが、1月1日は祝日が少ないベトナムでは貴重な休みではありました。1997年12月31日は水曜日だったようですが、もしかしたら合弁会社の就業規則で大晦日も休日だったかもしれません。当日は私のアパートでNHKの紅白歌合戦を見ながらスタッフ数人と一杯やった記憶があります。何れにしてもイギリスでもベトナムでも年末年始はこれといって特に大きな出来事もなく、ただ平穏に過ぎていきました。毎年3-4月頃の欧米のイースター(しかもイギリスでは必ず金土日月の4連休)と毎年1-2月頃の旧正月は、私にはどうやって決まるのか分からないのですが、毎年該当日が変わります。ベトナムでの旧正月の休みの時期は日本に一時帰国していたので残念ながらその雰囲気は分かりませんが、旧正月が近くなると市内の各所の花市場が普段にもまして華やかになり混雑していたことを思い出します。特に西湖の東側にあった大きな花市場は旧正月の前は色取り取りの花で覆われていたことを思い出します。
2013年も良い年でありますように。



Posted by tsukuma at
05:03
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2012/12/30
ロンビエン橋(Cau Long Bien)




ベトナム語の語句には私が発音してもベトナム人には全く通じない場合がかなりありますが、この橋の名前もそのひとつです。フランス植民地時代の1902年に建設されたそうですが、紅河にかかる全長1700メートルのこの橋を初めて見たとき、どこかで見たような気がしたのですが、おそらくベトナム戦争時の北爆のニュースとしてテレビ・新聞等の映像・写真で度々見たのではと思います。北爆のときアメリカ軍は空からこの橋を目印にしていたそうで、第二次大戦中の日本空襲の際アメリカ軍機が富士山を目印にしていたという話と同じかと思います。北爆で何度も壊されたがその度に修復され、北爆を語るときの象徴的建造物という位置づけだそうです。写真にあるとおり橋の真ん中を鉄道が通っていて、その脇を歩行者・自転車やモーターバイクが走っていました。車はロンビエン橋を通行できず、少し南側にあった別の橋を通っていました。私はよく自転車でロンビエン橋を渡り、向こう側の住宅地によく行っていました。橋を渡りきって少し行くとお店があり、いつも喉が渇いてミネラルウォーターを買っていたので、お店の人と顔見知りになり言葉は分かりませんが何時も挨拶してくれました。列車にも何故かよく遭遇しました(毎朝通勤のときハノイ駅近くの踏み切りを渡りましたが、踏み切りで列車待ちをしたことは一度もありませんでした。夜に何回かホーチミン行きの夜行列車が通過していて停車したことはありました。ちなみに当時(今はどうか知りません)踏み切りには監視員みたいな女性が居て、その人が人力で(水平に)踏み切りの開閉をしていました)。また老朽化で壊れかけた橋の欄干の上に何故か寝ている人がいて、紅河は日本の川のような生易しい川ではなく流れも激しいので、見るたびにゾットとしたものです。ハノイでは道路等でも大人も子供も、我々の目から見ると危険極まりない行動をする人がいて、何度もヒヤッとしたものです。ロンビエン橋のハノイ市街地側の川沿いに大きなロンビエン市場があり、また道路側の高台に鉄道のロンビエン駅がありました。2010年12月に再訪したときに昔と変わらないロンビエン橋を見ることが出来ました。ただ100年以上経過しているのでもうそろそろ寿命かもしれません。




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04:18
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2012/12/29
ザンボー湖(Lake Giang Vo)



大宇ホテルのすぐ南西にザンボー湖がありました。台湾系か香港系のハノイホテルやレイクサイドホテル、国営のホテル、その他時々行っていたレストラン等がありました。ハノイホテルは1997年当時開業後3-4年経過していたと思いますが、タワー形の外観が目立ちハノイでも外資系ホテルとして1-2番目に古いそうで、村山富一氏が首相の時にベトナムを訪問したときに宿泊したそうです。ハノイホテルやレイクサイドホテルの中にある中華レストランはかなりの絶品でした。ザンボー湖の南側には電気街があり、大量の中国製扇風機を所狭しと歩道に並べて販売していたのが印象に残っています。ハノイの電気街はここだけではなく市内の至る所にあったと思います。国営のホテルは1997年当時既にかなり古い建物でしたが、その後取り壊されて現存しないそうです。知り合いの某証券会社の日本人駐在員が常駐していて、一度上の方の階の古い食堂で湖を眺めながら朝食を一緒に食べた記憶があります。1階に韓国レストランがあり(建物は独立していたと思います。赴任当初は無く途中でオープン?)アパートから近くて値段も手頃だったので、韓国人の知人と一緒や、家内と一緒のときもあり、一人でもよく行きました。レストランの韓国人マネージャーのベトナム人女性従業員に対する教育が厳しかったのは食事をしていても良く分かり、かなり徹底していました。韓国式なのか、かなり豪華な前菜が数皿出てきて一度でも箸をつけた皿は取り替えようとするので、もったいないので止めてくれと言ったことがありますが、自分もそう思うがマネージャーの教育なのでそうしているとのことでした(下げた前菜をどう処理していたかまでは見えませんでしたが)。彼女達はかなり韓国語が堪能だったようです。 一人で日本語の新聞を読んでいて読み終わると、韓国語の新聞と勘違いした近くに座っていた韓国人からよく「しんぶん」と声をかけられました。韓国語でも「新聞」は「しんぶん」と発音するようです。私が日本人で日本語の新聞を読んでいたと分かると、例外なく「失礼しました」とか「すみません」とか簡単な日本語で返してきていたので、簡単な日本語は分かる人が多かったようです。私は簡単な韓国語も含めて韓国語は全く駄目でした。韓国人の知人と食事をしていたときに一度近くにあった北朝鮮の大使館員数人が現れ、知人が韓国語で何か声をかけていましたが無視され、一行は個室に消えていきました。週末はベトナム民族音楽の演奏等もありました。アパートから歩いて行けたので、とにかくよく行きました。



Posted by tsukuma at
05:05
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2012/12/25
水上人形劇


ベトナム名物はたくさんあると思いますが、水上人形劇もそのひとつだと思います。ホアンキエム湖の側に観光客用の劇場があるのですが、実は私はそこには行ったことがありません。家内は私が仕事をしていた昼間にその劇場に行ったことがあるそうですが、私はアパートの側の動物園の片隅にあった小屋で大学生(と思われる)若者達による水上人形劇を何回か見たことがあります。実に不思議な動きをする劇で、日本のからくり人形は何となく仕組みが想像できますが、初めて水上人形劇を見たときは何故人形が動くのかよく理解できませんでした。内容は、田植え、稲刈り、収穫後のお祭り等稲作文化をベースにするものが多く、ベトナム語のナレーションは勿論理解できませんが共通の稲作文化を持つ日本人は見れば何となく理解できる内容だと思います。ちなみにイギリス人とベトナムの水上人形劇について話をしたことがありますが、やはり文化が異なるので何をしているのかよく分からなかったようです。


Posted by tsukuma at
05:23
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2012/12/24
クリスマス



本日はクリスマス・イブです。私が初めてベトナムでクリスマスを迎えたのは1997年ですが、クリスマスについての記憶が殆んどありません。私が鈍いのか、それともハノイではたいしてクリスマスのお祝いしていなかったのか?おそらく後者ではなかったかと思います。前に投稿しましたがVCBのクリスマスパーティーに招待されたということはありましたが、街中でクリスマスのイルミネーションは印象に残るほどではなかったのではと思います。ただ12月31日はアパートに数人のスタッフが集まりお疲れ様ということで、NHKの紅白歌合戦を見ながら(日本語が分かるのは私だけでしたが)一杯やった記憶があります。ちなみに私は日本では紅白歌合戦を見ることはありませんが、海外では何故か見たくなります。ハノイで最後のクリスマスは2000年ですが、わずか3年後のことですがクリスマスの状況は一変していました。ベトナム人はハノイの冬は寒く感じるようで、まるでスキーに行くような服装をしていますが、当日は気温が高く私は半袖半ズボンだった記憶があります。合弁会社の行事としてスタッフの小さな子供達にプレゼントを届けることになっていて、私は監査役の大学生の息子が用意した衣装で彼と一緒にサンタクロースに扮し、トナカイならぬ三菱パジェロに乗ってハノイじゅうの東西南北に分布していたスタッフの家を廻ってプレゼントを届けました。私は「メリークリスマス」と言った後はベトナム語が喋れないのでニコニコ笑っているしかなかったので、幼稚園ぐらいの子供は変なおじさんだなと思っていたようですが、もう少し小さい子の中には私のことを本物のサンタクロースと思った子も居たという話を後で聞きました。ちなみに一緒にサンタクロースになった大学生は、2008年11月に新宿で再会することになります。再会したときは日本語を喋っていて、もうただただ吃驚しました。今現在彼は石川県に住んでいますが、その件は別の機会に投稿します。ハノイのクリスマスに話を戻しますが、夜ホアンキエム湖に出かけたところ、大勢のベトナム人が歩いていていました。ハノイであんなに大勢のベトナム人が、モーターバイクに乗っているのではなく、歩いているのは珍しくとにかく驚きました。イルミネーションもかなりすごかった記憶があります。ハノイ大教会の周りで大勢のキリスト教徒がお祈りしていたのを見たのもこのときでした。仏教徒が多いのにクリスマスを盛大にお祝いするのは日本と同じですが、わずか2-3年の間に盛大にクリスマスのお祝いをするようになって驚くばかりでした。あれから更に10年経過して新聞等によるとクリスマスのお祝いは益々盛大になっているようで、おそらく私の想像をはるかに超える状況であると思われます。



Posted by tsukuma at
02:39
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2012/12/23
動物園(トゥーレー公園)



トゥーレー公園は大宇ホテルのすぐ側にあり、トゥーレー湖の小さな中ノ島と湖の周囲が有料の動物園兼遊園地になっていました。有料といっても営業時間以外は門を開放して出入り自由だったので、入場料を払って中に入った記憶はあまりありません。動物は、象、トラ、猿、孔雀等がいた記憶がありますがそれ程多くはなかったと思います。ちなみにベトナムの山間部には野生の象が生息しているそうです。遊園地の乗り物はおそらく旧ソ連製か東欧製と思われますが、うまく説明できないのですが我々が子供の頃に遊園地で乗った乗り物とは一味違うものでした。ローラースケート場があったと思います。また時々大学生と思われる若者達が水上人形劇を上演する小屋がありました。休日には多くの家族連れで賑わい、小さな女の子が皆バレーの発表会のような服装をしていたのが非常に印象的でした。また多くのベトナム麺の屋台、体重計で商売しているお婆さん、私が子供の頃日本でもよく見かけたお面屋さん・おもちゃ屋さん(おもちゃは何処から仕入れているのか、何故か、日本語で書かれていたものが多かったようです)等、休日はとにかく混雑していました。早朝や夕方の営業時間外によく散歩しましたが、同じように混雑していました。ベトナム人はとにかく朝が早く、中年以上の女性達は集団でラジカセの音楽に合わせて体をクニャクニャさせて体操をしていました。*当初は外国人が珍しかったようで、散歩をしているとジロジロと見られ、(何故か)足元(靴?)を見られたりしましたが、直ぐに慣れました。時々所謂ストリートチルドレンと思われる子供の集団にお金をねだられたりしました。ちなみに彼らは私の目から見ると5-6歳ぐらいでしたが、私が物陰から観察していると、大勢の中から東洋系外国人をも識別できたようで、更に、日本人と韓国人の区別がついていたような気がしました。ということで散歩のときは僅かなお札しか持ち歩きませんでした(全く持っていないとそれはそれで面倒でした)。靴磨きの少年も結構いて、うっかりベンチに座ると運動靴にも拘わらず無理やり靴磨きをさせられたことがありました。2010年12月にハノイを再訪したときは、そのような子供達を見ることが遥かに少なくなったように思いました。社会全体が豊かになっているのだと思います。トゥーレー公園については、大きな出来事はありませんでしたが、殆んど毎日散歩していたので今でも懐かしい風景(思い出)です。
*1997年当時は外国人が珍しかったようですが、その後急速に変化し、2000年頃にはベトナム人に道を聞かれることも度々ありました(おそらく道を聞いている)。こちらが英語や日本語で「言葉が分かりません」と言うと、初めて先方は私が外国人だと気がつくことが結構ありました。とにかくベトナムは多くの点について変化のスピードが速いようです。



Posted by tsukuma at
06:13
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2012/12/22
Lang Ha(ランハ)



新聞を読んでいて思い出しましたが、アパートから少し南に行ったところにLang Ha(ランハ)というところがありました。たまにアパートから歩いた記憶があるので、そんなに距離はないと思います。ハノイ市の中心からは少し離れているわけですが、何故か自分と関係ある施設が多くあり、例えば: ゴルフの練習場、第一号案件で出てきた日本とマレーシアの合弁自動車会社ハノイ店、合弁会社の副社長が住んでいたVCBの社宅(と思われる)集合住宅、自分と関係はありませんが(正確な場所については記憶が定かではないのですが)アメリカ大使館等実にいろいろなものがありました。ゴルフの練習場は韓国系でたまたまGoogleの写真検索で出てきたものが上の3枚ですが、数年前に都市計画の関係で閉鎖され現在ではもう存在していないそうです。当時の私は日本ではゴルフはやらないということになっていて実際全くプレーしていなかったのですが(今でもそうですが)、海外では何故かやらざるを得ない状況があり初めてゴルフをプレーしたのがイギリスなのですが、ハノイでも前に投稿したようにハノイ唯一のゴルフ法人会員権を購入させられ、土日はよく郊外のドンモというところにあったゴルフ場に行っていました。単身赴任だったので時間はたっぷり有り平日は仕事が終わって(仕事帰りだったかもしれません)、週2-3回程度はこのランハのゴルフ練習場に通っていたと思います。2階建てでそれ程大きくはなく、日本でも街中によくある小規模のハノイでは唯一のゴルフ練習場でした。あまり頻繁に行くので練習場の女性従業員から会員になった方が得だと言われて、金額は覚えていませんが一括支払いで会員になり打ち放題の特典がついていたと思いますが、残念ながら腕前の方は全く上達しませんでした。ゴルフ道具も一式をこの練習場に預けていました。1997年当時この練習場に隣接した同じ敷地内に韓国レストランがありました。南国リゾート風の造りで夜は虫類の襲来に悩まされましたが、なかなか趣があるレストランでよく行きました。残念ながらこのレストランは直ぐに閉鎖され、中心部の紅河沿いの大通りに移転して普通の韓国レストランになってしまいました。当時ゴルフの練習場で見かけたのは韓国人・日本人・その他外国人のみでベトナム人が練習していたのは見たことはありませんでした。何時行っても混んでいたという記憶はありません。ということで当時はハノイにはゴルフ場(会員権価格10,000ドルだったと思いますが?)もゴルフ練習場も各1ヶ所のみでした。それから(わずか)10数年しか経過していないわけですが、今やゴルフ場や練習場の施設の数は増え、ゴルフをプレーするベトナム人も飛躍的に増えているそうです。会員権の価格もおそらくウナギ昇りのはず。ハノイにおけるゴルフを取り巻く環境はすっかり様変わりしたようです。それにしても写真で見る今のLang Ha(ランハ)は私の記憶とは全く違う近代的な風景が広がっています。



Posted by tsukuma at
05:24
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2012/12/16
宗教(2)


男性スタッフの一人から奥さんの父親の49日の法要に呼ばれたことがありました。最初は面倒だったのか50日と言っていたのでピンとこなかったのですが、よく聞いてみると正確には仏教の儀式としての49日ということで日本と同じだということが分かったのですが、考えてみれば私自身が日本で49日の法要に出席した記憶がなく、私の父親のときも遠方だったので出席できなかったのではないかと思います。ということで比較が出来ないのですが、その49日の法要はハノイ市内のレストランで明るい雰囲気の中で(?)行われ、外国人は私一人で出席者が次々と私のところに挨拶に来て、言葉が通じないので焼酎(水割りやお湯割の習慣がないのでストレート)の一気飲みをやるわけですが、向こうは一杯でもこちらは相当な量になり最後は記憶が定かではないということになってしまいました。帰りはタクシーを呼んでくれてアパートまで帰ったらしいのですが、気がついたらベッドに寝ていました。外国では酔いつぶれるまで飲んではいけないことは分かっていたのですが、ついやってしまいました。葬儀の儀式として出席者が白い三角巾を頭に巻いて通りを行進するのをよく見かけました。日本でも同じような白い三角巾を出席者が見につける地域があるようで、何処だか忘れましたがテレビで見たことがあります。ベトナム人の宗教は80%が仏教で10%がカトリック系キリスト教でその他が10%だそうです。仏教のお寺は数多くありますが、キリスト教についてもハノイの中心部に古い大きなハノイ大教会があり、またハノイ郊外を車で走っていると、突如田舎に古い石造りのキリスト教の教会が出現することがありビックリしたことが何回もありました。儒教や道教が仏教と並ぶ宗教に分類されるらしいのですが、ハノイの中心部の少し西にある有名な文廟は儒教の聖地だそうで、私が散歩のつもりで寄ったときに文廟のお坊さん(と言っていいのか?)につかまり「日本人か韓国人か?」と聞かれて「日本人」と答えると、「孔子」や「孟子」を日本語で「こうし」「もうし」と発音して一通り英語で説明してくれました。文廟内には孔子か孟子(あるいは両方)の像があったと思います。私は孔子や孟子の名前は勿論知ってはいたのですが、アパートに戻って調べなおして2名が有名な儒教の思想家であることを改めて知った(思い出した)次第です。ホーチミンに出張したときも空いた時間にはよくお寺に行きましたが、ハノイのお寺と比較して色合いが派手(鮮やか)で造りも少し違っていたような印象を受けました(もしかしたら仏教ではなく他の新興宗教のお寺だったかもしれません?)。左下の写真はホーチミンのヤックラム寺院というお寺だそうですが、見た記憶があるのでおそらく実際に行ったことがあるのではと思います。右下の写真は布袋様ですが、ハノイを離任するときに皆から記念にもらったベトナム製で日本人にとっては何の違和感もありません。

Posted by tsukuma at
07:28
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2012/12/15
宗教(1)


私は普段は宗教には全く関心がない典型的な日本人であり、外国における宗教は極めて分かりにくい分野のひとつです。英国に住んでいたときは、宗教は主に英国国教としてのキリスト教という全く異なる世界・文化圏の話で全く見当がつかない世界でした。キリスト教は日曜日が礼拝日のようですが、教会に定期的に通う人は少ないと聞いたことがあります。キリスト教とは別の宗教ですが、家の前にあったユダヤ教会と礼拝日である毎週土曜日にユダヤ教会にお祈りに来るユダヤ人については宗教に対する興味とは別の興味を持ったりはしましたが、ユダヤ教に関してはドキュメンテーションで忙しいときに弁護士がユダヤ教の安息日である金曜日に突然休み、こちらはそのとき初めてその弁護士がユダヤ人であるということを認識すること多かったのですが(イギリス人は事前に分かっていたようです)、ロンドンの金融街ではユダヤ人が多く働いていて安息日に(ユダヤ人だと知らなかったので)突然休むので戸惑ったものです。これに対してベトナムの場合は日本の宗教と表面的には共通点もあり、同じ土俵という間違った思い込みが少しあったようです。私の個人的な印象では、ベトナム人は非常に信仰心が厚くお寺でも熱心にお祈りしていましたが、関連の資料等を読むとベトナムは国家としては周辺の国と比べても必ずしも宗教に手厚いわけではなく、むしろ政治体制から宗教に対して一定の距離を置いていたようです。そういえば数十年前のベトナム戦争当時、テレビのニュースで反政府勢力として南ベトナムのキリスト教や仏教がよく登場していたような記憶があります。仏教僧の焼身自殺というショッキングな映像もサイゴンからだったと思います。とはいえハノイには観光名所は少ないが仏教のお寺は多く、時間を見つけてはよくいろいろなお寺を訪問し、私よりも遥かに信心深いベトナム人を数多く見ました。ちなみに、ベトナム人はお寺のことを英語でtempleではなくpagodaというようです。ベトナムは随分前に漢字の使用を止めましたが、お寺には漢字が多く使われていて初めて見るベトナム式漢字も多かったのですが、見ていると何となく意味が分かる場合も数多くありました。ベトナム人のスタッフが一緒の場合には漢字の意味をよく聞かれました。意味が分かる場合はいいのですが、意味が分からない場合には困った記憶があります。線香や蝋燭は日本式よりはるかに大きく、お供え物として果物やお菓子の他おもちゃのお札を多く見ました(お札は仏壇で燃やしていたような記憶があるのですが?)。お札はあの世に行っても困らないように大金を持たせるそうです。実際に存在しない大きな単位のおもちゃのお札を見たことがあります。


Posted by tsukuma at
05:07
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2012/12/11
シクロ



シクロは当時ハノイでは普通に走っていて話の種に何回か乗ったことがあります。ホーチミンでは料金のトラブルが多いという話を聞いたことがあるのですが、ハノイでは少なくとも私はトラブルに会ったことはありませんでした。私がハノイに駐在中に交通の障害になるという理由でシクロの走行禁止区域が設定されたようで、駐在後半には観光用以外はあまり見かけなくなりました。当時読んだ日本語の観光ガイドに、ハノイのシクロに乗る際は料金の交渉が必要なので交渉に必要なベトナム語の会話を身につけましょうと無責任なことが書いてあり、それ以上読む気がしませんでした。私には交渉に必要な簡単(?)なベトナム語でさえも見につけることは不可能だと思っていました。ホーチミンにもシクロが走っていましたが、ハノイを走っていたシクロとは形が少し違うと思ったのですが?我が家にハノイで買った金属性のシクロの置物があるのですが、何時何処で買ったのか全く記憶がありません。


Posted by tsukuma at
05:15
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2012/12/09
ビアホイ(Bia Hoi)


ハノイの至る所にビア・ホイ(Bia Hoi)と呼ばれる飲み屋・ビアホールがあり、個人的にビールがあまり得意ではないのですが、たまに行って飲んでいました。屋根付き、青空、路上等いろいろな形式がありましたが、どこのビア・ホイに行っても何故か風呂場の椅子のような背の低いプラスティック製の椅子に座るようになっていました。ベトナム人と一緒のことが多かったので私が注文することはあまりなかったのですが、たまに休日に一人で近所のビア・ホイに行くと、注文もしないのにビールを持ってきてくれたような気がします。食べ物は近くの人が食べているものを指差せばいいのでそれほど困りませんでした。食べ物のメニューは豊富だったと思います。ロンドンでもパブによく行きましたが、食べ物が貧弱で乾き物しか置いていないパブもありました。イギリス人はパブではあまり食べ物は必要ないようで、ランチとしてビールだけで済ます人もいました。そういえばロンドンの或るパブでランチのときに食べたカレーライスは、ライスもカレーもあまりにも不味くて今でも忘れられません。意味不明ですがライスに水をかけていました。ハノイのビア・ホイは食べ物については、ロンドンのパブに比べはるかに種類が多くて、おいしかったと思います。運転手のMr.Cとはよく一緒にビア・ホイに行きました。彼とビア・ホイに行くと彼の友達やその子供も参加することがあり、こちらはベトナム語の会話を聞きながら(意味は分かりませんが)専らビールを飲んでいました。それ程ビールが好きではないので日本では殆んど飲まないのですが、ハノイやロンドンでは結構ビールを飲んでいました。


Posted by tsukuma at
23:53
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2012/12/09
ハノイのゴミ問題


(あくまでも1997年当時の話・印象であることに留意ください)
日本から赴任したばかりの頃、ハノイの中心部におけるゴミ問題はかなり深刻ではないかという印象を受けました。生ゴミは市内の至るところに集積されていて異臭を放っていました。通りを歩いていて、家の中から道路に向かって投げられた生ゴミが私の頭にあったことがありました。それも1回だけではなく数回あったと思います。歩くときも油断ができませんでした。生ゴミだけではなく建設資材の廃材等もかなりの量が放置(?)されていました。川や湖も遠くから見た目は綺麗でも、近くで見ると結構ゴミで汚れていることがありました。工場に行っても玄関前にゴミの山ができていたこともありました。ただ日本で言う燃えないゴミはあまり見た記憶がありません。アパートの部屋で出たゴミは日本と同じように、但し、分別はせずにまとめてビニール袋に入れて定期的に1階の指定された場所に置いていました。10数年前のことなので記憶が定かではないのですが、街中でゴミ収集車のようなものを見た記憶がなく、袋に入れて置いていたゴミがどのように処理されていたのか全く思い出せません。普通のトラックで運んでいたか、或いは人力でどこかに運んでいたのかもしれません。ロンドンに駐在していた頃(1990年代の初め)は、住んでいた地区によって異なっていたようですが、ゴミは分別せずにまとめてビニール袋に入れて定期的に玄関の前においていました。但し、ゴミ袋の数は1個/1家に決められていて、2個出しても1個は持っていってもらえませんでした。住宅街の駅前にはボトルバンクがあり、空き瓶はそこに入れて処分していました。家庭ゴミの量に関しては、日本人はベトナム人やイギリス人に比べて多く出すようです。


Posted by tsukuma at
02:57
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2012/12/07
ウィスキー他


今はそういうことはないと思いますが、当時は一時帰国の際にハノイに再入国するときには必ず免税店等で買ったウイスキーを持ち込んでいました。無税の範囲の持込制限があるわけですが、ハノイの税関は酒タバコに関しては見ていないという情報があり、別の投稿でも書いたように試しに一度制限を越えるウイスキーをわざと見えるようにして税関の検査を受けたときも確かに何も言われませんでした。持ち込んだウイスキーは自分で飲むわけではなく、全てベトナム側に対する贈答用として使用していました。ハノイにはウイスキーの2次マーケットとしての流通経路があるという話でしたが、ウイスキーに関しては全て日本人の社長Y氏からの指示・情報で実際にベトナム人に聞いたわけではないので定かではありません。ただ、ベトナム人の副社長から注意されていたのは、ウイスキーの瓶の底を巧妙に開けて中味を抜き取り質が悪いアルコールと入れ替えたうえで再度瓶を元に戻す技術があり、見た目には分からないのでとにかく気をつけるようにと強く言われていました。ということもありハノイではウイスキーを買うときは運転手のMr.Cが紹介してくれた旧市街の酒屋街(通りではなくスクエアーでした。)の酒屋さんで買っていました。店員(店長?)は若い女性でしたがMr.Cの親戚だったそうです。日本レストランで日本酒の一升瓶のボトル制度みたいなものがありましたが5千円ぐらいだったような記憶があります。私の周りでは、なぜか日本人よりも韓国人グループが日本酒の一升瓶をよく飲んでいたようで、日本レストランでよく見かけました。とにかく関税が高かったようです。ちなみに度数が50%ぐらいのベトナム焼酎の普通のボトルは関税がかからないので(当時のレートで)10,000ドン=100円ぐらいだったような(?)。もしかしたらもっと安かったかもしれません。


Posted by tsukuma at
04:44
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2012/12/06
ベトナムコーヒー


ハノイに赴任するまでベトナムがコーヒーの輸出国であることは全く知りませんでしたが、実はブラジルに次ぐ輸出量を誇り、最新の統計ではブラジルを抜き世界1位になったとの報道がありました。ハノイでは大量の練乳を入れたグラスに濃いコーヒーを加えるのでとにかく濃くて甘たるいのですが、ベトナム人は当然のようにそれを飲んでいました。アイスコーヒーも同じようなスタイルで飲んでいたようです。ちなみにアイスコーヒーはハノイでは普通に飲んでいたようですが、英国では見たことがなかったのではと思います。コーヒーを入れる際には、もともとフランスが起源のようですが、アルミ製のコーヒーメーカーを使っていたようでハノイでよく見かけましたが、家内がことのほか気に入りインドチャイナというレストランで売り物ではないのに無理やり売ってもらったものが我が家にありました(捨てていないのでどこかにあるはずですが?・・写真はネットから)何故、コーヒーメーカーを売る店ではなくこのレストランで買ったのか理由は覚えていませんが、多分衝動的なものだったと思います。ちなみにこのインドチャイナというレストランは外国人観光客向け有名店らしいのですがネットによれば今でも営業しているようです。


Posted by tsukuma at
06:29
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2012/12/02
第1号営業案件


合弁会社がスタートして本当にいろいろなことがあったのですが、とにかく仕事をしなければならないので取りあえずご祝儀案件として日本の商社の駐在員事務所向けに車のリース案件を実行しました。車の購入先もその商社の系列の車の会社で、契約書や保険や車の登録方法・名義等かなり難航した記憶がありますが、ハノイの中心から少し離れたランハというところにあった車の会社での引き渡しに営業部隊全員で立ち会いました。この件はご祝儀案件だったので問題は少なかったのですが、実は営業方針については合弁会社設立前からY氏と私の間でかなりのやり取りがありました。2人の間での論点はいろいろありましたが、その中のひとつが車のリースについての考え方でした。車のリースに関して一言で言うと、Y氏は積極派で私は消極派でした。私が消極的だったのは、私自身が車の経験が無く適切な状況判断が出来なかったことや、リスクの所在がよく分からなかったことにありました。日本では車についてはファイナンス性よりもメインテナンス性が重視されますが、ベトナムではファイナンスということで割り切ってやればよいのではという意見もありました。しかし車の場合は事故の可能性があり人命に係わるケースもありうることを考えると、簡単にファイナンスと割り切ることは怖くて問題もありました。一般の物件でも意に反して人命に係わる事故が起こることは考えられますが、車の場合はとにかく動くので人命に係わる事故は必ず起こるという前提で考えておく必要があると思っていました。リスクを恐れては何も出来ませんが、私が消極的だったのはリスクが有るのは当然としてそのリスクがよく見えなかったということにありました。おそらく私自身が日本でも車の経験が無かったので、ベトナムでの車のリースについて想像力が働かなかったということが大きかったのかと思います。日本人のマネジメントの中には営業判断と法律問題を混同して判断を弁護士等の専門家に委ねる人が意外と多いのですが、勿論法律の専門分野に関して意見を求めることは大事ですが、弁護士にリスクがあるかどうか聞けば100%リスクがあると答えるに決まっています。しかし弁護士の英語の意見書は翻訳する人の恣意が入りやすく、極端なケースではマネジメントに対してはリスクが無いという翻訳に変わるのを実際見たことがありました。とにかく問題はいろいろあったものの、やってみようということで進めることになりましたが、T海上のY氏には合弁の保険会社を通じて保険の件では本当にお世話になりました。それにしても当時具体的な金額は覚えていませんが、ベトナム人の命の値段があまりにも安かったことにショックを受けました。車のリースは他にも結構実行しましたが、幸い私が知る限りは大きな事故等は起こらなかったようです。


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05:41
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