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2013/03/30
山寺(3)



山寺での社内旅行は屋外での宴会は前述のとおりですが、写真を見ても社員ではない人が多くいます。ご主人が一緒に参加という人が多かったようです。逆に奥さんが一緒というケースはなかったと思います。女性社員が多かったせいだと思います。夜は山小屋の2-3段のベットというよりも寝床の上で寝た記憶がありますが、寝る前に寝床の上で男性だけで宴会の続きをやりました。酔っ払うと前夜の記憶もなくなることがありますが、何故か10年前の宴会はよく覚えています。売店や食堂みたいな施設が並んでいて、朝食はそこで皆と一緒にベトナム式麺を食べたのではと思います。汚い話で恐縮ですが、トイレは決して綺麗ではなかったのですが選択肢がなかったので使用せざるを得ませんでした。用を足していると隣で同じく用を足していたベトナム人が英語で「お前は何処から来た?」と聞くので「ハノイから」と答えると、「そうではないお前の国は何処だ?」と確認されたので「日本」と答えたら、「トイレが汚いだろう!」としつこく同意を求められたので回答に困った記憶があります。トイレについては日本でも私が子供の頃はあまり褒められた状況ではなかったと思いますが、ハノイでもトイレに関する話は山ほどあります。余談ですが、国の機関等の古いビルのトレには当時水桶があり、一体何のために有るのか分からなかったのですが、私は実際に使用したことはないのですが用を足した後に流すのだそうで、そういえば日本でも子供の頃同じような設備があったような気がします。トイレの個室には箱みたいなものがあり何故か使用済みのトイレットペーパーが多く入れられていました。トイレットペーパーは詰まる可能性があるので流してはいけないことはずいぶん後になって知りました。ベトナムに限らずトイレットペーパーを流さない国は結構多いようです。話は山寺に戻りますが、山寺からは翌朝皆で頂上に上ったのですが、私はそのまま車でハノイまで戻りました。実は何故私だけ頂上に行かなかったのか理由を思い出せなかったのですが、私のブログを見た当時のベトナム人の女性スタッフが理由を覚えていてFACEBOOKで教えてくれて思い出しました。当日、日本の株主からある日本人が来ることになっていて、香港からの便がハノイに到着する午後4時か5時までにハノイに戻っていなければならなかったからでした。私の日本語で書いたブログをどうして彼女が理解できたのか不思議なので確認したのですが今のところ回答がありません。FACEBOOKには翻訳機能がついていますが、ベトナム語を日本語に翻訳しても殆んど分かりません。逆であれば分かるのか、或いは日本語から英語への翻訳は何となく分かるのか? とにかく当日は別行動で早く帰ったものの、時間は十分あったので途中で焼き物の町のような所を運転手のMR.Cと一緒に回りながらゆっくりと帰りました。



Posted by tsukuma at
08:29
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2013/03/20
山寺(2)
もしかしたらここかな? ハノイから120kmぐらいだそうですが? 2008年にはロープウェイが取り付けられたようです。ただ、理由は思い出せないが、私は頂上までは行っていないですね。
Yen Tuというところみたいですが?
http://www.vietnamspirittravel.com/guide/yen_tu_mountain_vietnam.htm
Yen Tuというところみたいですが?
http://www.vietnamspirittravel.com/guide/yen_tu_mountain_vietnam.htm
Posted by tsukuma at
06:30
│Comments(0)
2013/03/17
Mekong Deita in May 2001


アルバムを整理していたら、ベトナムホーチミンの近くのメコンデルタに行ったときの写真が出てきました。
私にとっては珍しいベトナム南部の写真。
おそらく2001年5月。
Posted by tsukuma at
05:30
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2013/03/09
山寺(1)
1998年1月だったと思いますが、山寺に1泊の社内旅行に出かけることになりました。おそらくハイフォン方面だと思いますが正確な場所は分かりません。私が若いころの日本では社内旅行といえば東京からだと伊豆・箱根方面や日光・鬼怒川方面への泊りがけが当たり前で、正直個人的は苦痛な行事でした。しかし何時のころからか日本では泊りがけの社内旅行は流行らなくなり、個人的には記憶では1995年ごろの三浦半島1泊が最後の社内旅行ではと思います(ただし今の会社に再就職して2005年頃に2回の泊りの社内旅行に出かけました。土日が完全につぶれるスケジュールで前の会社以上に苦痛でした。)。私が聞いたところでは当時ベトナムでは泊りの社内旅行は当たり前で盛んに行われていたようです。小型のバスを1台チャーターして食料を大量に詰め込んでいました。Y社長と私は普段乗っていた車で出かけ、私の車には監査役のM女史と彼女の高校生の息子が同乗しました。ちなみに当時高校生の息子は現在30歳ぐらいですが、今では何と日本語を喋り金沢に住んでいます。現地までは2-3時間ほどだったと思いますが、小さな山の峠みたいな場所を越えたような気がします。現地に着くと山の麓に結構立派な入口・施設があり何か聖地のようでした。山の頂上近くを目指して登るのだということだが、大量の食料はどうするかというと、荷物を担いで登ることを商売にしているシェルパみたいな人が大勢いました。その場で値段の交渉をしていて、言葉は分かりませんが値切っていた様子でした。日本人(東京在住)はあまり値切るということはやりませんが、ベトナムでは普通のようでした。荷物を持つ人は頑丈そうな若者もいましたが、そうでもなさそうな人もいて内心気の毒に思った記憶があります。途中でところどころに小さなお寺があり、(成田山にあるような)茶店みたいなところもありました。頂上近くの目的地に着くと、山小屋に2-3段式の寝床があり、夕食は野外で全員で車座になり持ち込んだ食料で宴会をやりました。我が家に実に多くの写真が残っています。ベトナム人は写真を撮影するのもされるのも大好きなようでした。
(添付の写真は掲載について被写体の人たちの了解を取っていませんが(殆ど取りようがないですが)ハッキリと映っていないようなので大丈夫か?)
Posted by tsukuma at
21:41
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2013/03/03
Ba Trieu Street



合弁会社で働いていた時の名刺は添付の写真のように今でも記念に持っています。住所はNo1 Ba Trieu Streetで日本式に無理やり発音すれば「バーチュー・ストリート」ですがタクシーの運転手には私の発音は全く通じませんでした。ビルに英語名がついていたような気もしますが思い出せません。3階建てのコロニアル風の建物で合弁会社は3階部分に入居していました。前の通りを通過する大量のモーターバイクの音がうるさかったのですが、広いバルコニーには鉢植えの植物が生い茂っていました。1階にはエアーフランスの事務所と名前は忘れましたが有名なカフェやお土産屋さんがありました。名前は忘れたのではなく最初から知らなかったのかもしれません。ハノイでは地名や店名がなかなか覚えられませんでした。運転手のMr.Cに「あそこの会社」とか「例のレストラン」とか抽象的に言っても連れて行ってもらえたせいもあったかもしれません。ホアンキエム湖の南側に面していたので、気が滅入った時や考えをまとめるときにはよく湖を歩いて1周しました。余談ですが英国駐在中はそのような場合会社の近くの大英博物館で悠久の歴史に浸りながら心を鎮めていました。結果的に数えきれないほど何度も1周したので靴磨きや物売りの子供たちや両替商のおばさんたちにすっかり顔を覚えられて、中には「ヘイ!ジャパニーズ」と生意気に声をかけてくる子供たちもいました。2階には何故か当時ハノイには乗り入れていなかった日本航空の事務所がありましたが途中で近くの近代的なビルに移転しました。2階にはアオザイを着たお喋りのウエイトレスさんが居たレストランがありました。日本人のY社長からランチに誘われるときには必ずこのレストランと決まっていて、昼は無理やり用を作って外出していましたが無理やりの外出にも限度があり、このレストランにはよく通いここのFried Riceは何度食べたか分かりません。お客で混んでいたという記憶はあまりなくランチの時間は二人だけということも珍しくなかったと思います。ビルのオーナーは国営の旅行会社だったと思いますが、そのせいか時々欧米人の団体の観光客グループに占拠されていることがありました。ある日珍しく浅黒い肌の東南アジア系とは違う東洋系のグループが入ってきたことがあり、ベトナム語や中国語や韓国語とは違う聞いたことがない言葉を喋っていましたが、若い男性添乗員が日本語を喋っていて観光客グループがどうもそれを理解していたようなのでびっくりして添乗員さんにこっそり聞いたところ、沖縄の南側の八重山諸島(だったと思いますが)の漁船の乗組員さんたちで上陸後の時間を利用して観光していたとのこと。全く理解できない日本語(方言)にY社長も私も唖然としたものです。私にとっては大学入学で遭遇した鹿児島弁と社会人になって東京で聞いた津軽弁以来の日本語のカルチャーショックでした。会社の勤務時間が終了すれば当然終わりでしたが、私が知っている範囲ではベトナム人は残業はしませんでした。Y社長と私の間にも残業はしないという暗黙の了解がありましたが(と理解していましたが)いつも30分ほどは残っていたので毎日会社の鍵をかけて帰るのは私の仕事になっていました。ちなみに英国でも普通のイギリス人は残業しませんが、日本人だけ残っていたのでイギリス人から日本人だけで何か良くないことをしていたのではないかと言われたことがありました。



Posted by tsukuma at
06:46
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