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Posted by vietnhat at

2014/07/21

ロンドン旅行(9)

ロンドン旅行にもう一台カメラを持参したが、何故かPCにCopy出来なくて人に頼んでやっとCopy出来るようになりました。以下まとめて:

(1) ホテルの周辺

      

(2) 最初に住んでいたFlat(アパート)

              


(3)2軒目に住んだ家

  


(3) ロンドン日本人学校

        

(4) イーリングコモン



(5) ミュージカル

  

(6) コベントガーデン

  

(7) リッチモンドパーク



(8) リーズ城

            

(9) ドーバー


  

Posted by tsukuma at 20:08Comments(0)

2014/07/12

ロンドン旅行(7)

2014年6月5日(木曜日)早朝

とうとう日本に帰国する日がやってきました。本当にあっという間でした。名残り惜しいけどしょうがないです。早朝の散歩も最後になりましたが当日は地下鉄に乗ってホテルに帰れなくなると困るので、歩いてホテルの周りを一周することにしました。

(1) County Hall
前に記述した通り私には思い出深い建物です。

    

(2) 早朝のビッグベンとテムズ河

            

(3) ダウニング街10番地
首相公邸がありニュースでよく登場しますがこんなに警備が厳しかったかな?
近くにチャーチルの銅像やThe Women of world war IIの像があります。

    


(4) トラファルガー広場
昼間は人でいっぱいですがさすがに早朝は閑散としています。



(5) 韓国の国旗
トラファルガー広場の一角に韓国の伝統文化を紹介する建物がありました。韓国国旗は24時間掲揚しているようです。とにかくロンドンにおける韓国の躍進はすさまじく恐ろしいほどです。これについては別途まとめて報告します。

    

(6) スコットランドヤード
そういえばここにロンドン警視庁がありました。





(7) Savoy Hotel
見た目ではよく分かりませんが超一流のホテルです。Partyによく呼ばれました。Party会場に入る時に中世の騎士のような格好をした係りの人が中に入る人の名前を読み上げるのですが、日本人の名前を読み上げるのは大変だったようです。私の故郷の福岡銀行が駐在員事務所から支店に格上げした時のPartyもここでありました。内心ではイギリス戦後最大の不況の時に勇気あるなと思ったのですが、今はもう撤退して支店や駐在員事務所はないようです。



(8) ホテルに戻り窓から撮影。帰る時に気がつきましたが、当時の職場のすぐ近くの(当時は珍しかった)高層のセンターポイントビルがよく見えました。

    

いよいよ帰国のときが来ましたが、20年前と変わらないロンドンもあれば、変わってしまったロンドンもあり、若干書き遺したこともあるような気がするので、もう少しお付き合いください。
  

Posted by tsukuma at 21:35Comments(0)

2014/07/12

ロンドン旅行(8)

今回のロンドン旅行は、私は2000年2月の最後の出張から約14年ぶり、家内は20年ぶりの再訪でした。やはりロンドンは20年前と殆ど変らないと言ってもいいと思いますが、もちろん変化もあります。変わらないロンドン、変わったロンドン、幾つかコメントしたいと思います。

1. 地下鉄
20年前は発車のベルや車内アナウンスは全く無かったと思いますが、今回は発車のベルはもちろん、次の駅の案内や、乗り換えの案内等の車内アナウンスがありました。余計なことは言わないというのがロンドン流だと思っていたので少し以外でした。「Mind the gap」のアナウンスは昔と同じでした。

http://www.youtube.com/watch?v=PDGlECVOGE8

2. 列車
6月3日(火)はWaterloo駅から列車で約30分のところにあるHampton Courtに行きましたが、列車が時刻表通りに出発したことに驚きました。20年前は遅延やキャンセルは当たり前でした。



3. ホームレス
確実に減少しています。当時の職場の最寄駅周辺には大勢のホームレスで溢れていましたが、今回は1-2名しか見かけませんでした。また当時は通りすがりの人から小銭やタバコをねだられることが珍しくなかったのですが、今回は少なくとも私は皆無でした。おそらく景気のレベルが全く違うのではと思われます。



4. 傘とイギリス人
滞在中は概ね好天に恵まれたのですが、それでもイギリスらしい天候(要は変わりやすい)の日もあり雨に降られた日もありました。昔は雨が降っていても傘はささないのがイギリス流と思っていて実は私も殆ど傘はささなかったと思います。ザーザー降りは少なく濡れてもすぐに乾いたような気がしますが、今回は雨が降りそうで降っていない時でも傘をさしている人がいて、雨が降ると大勢の人が傘をさしていました。もちろん昔と同じで傘をささない人も多くいますが?



5. ガーデニング
家の庭をきれいにしているのは昔と同じですが、最近は意識の変化もあるようで、例えば道路から見える前庭も昔は綺麗に手入れをしていたものですが、最近は駐車場にするケースが多いそうで、我々が20年前に住んでいた家の前庭も駐車場になっていました。

   

6. 自動販売機
屋外に自動販売機がないのは20年前と同じです。おそらく景観保護の観点から今後も同じだと思います。しかしながら室内で自動販売機の数が飛躍的に増えています。しかも昔と違い最新鋭の機器ばかりです。もっとも私は日本でも自動販売機は利用しないので正確には分からないのですが。写真はHeathrow空港に設置してあった自動販売機です。

   

  

Posted by tsukuma at 21:08Comments(0)

2014/07/08

ロンドン旅行(6)-3

2014年6月4日(水曜日)午後

午後は子供たちや親類に必要最小限のお土産をということで買い物へ行きました。

1. ハロッズ
言わずとしれた有名デパートですが、実は私は殆ど行ったことがありませんでした。Hyde Parkからすぐのところにあり、公園から徒歩でデパートへ。数年前に中東系に買収されたと言うニュースを見た記憶がありますがデパート自体はそれほど変わっていないような気がしました。ただお客は中東系と中国人が圧倒的に多く家内曰く客層が変わってしまったそうです。何も買わずに次のところへ移動。1階に日本のデパ地下みたいなところがあったと思いましたが相当に広いので見つけられませんでした。

http://london.navi.com/shop/42/

2. Liberty
Oxford Circusにあるデパートですが行って思い出しましたが木造りの内装で内側が天井から地下まで吹き抜けになっていて昔と全く同じように見えます。ハロッズほど派手ではなく規模も大きくははありませんが、如何にも英国風という感じがします。ただ商品の値段が高く値札を見るとギョッとしました。家内は何かを買ったようです。

http://london.navi.com/shop/76/

3. Fortnum & Mason
結局、最終的にピカデリーサーカスにあるFortnum & Masonで定番の紅茶や小物をお土産に購入。当時は英国ではここの紅茶はここでしか買えなかったのですが、日本に帰国したらディスカウントストアを初め色々なお店で売っていたので驚いたものです。しかし今回は翌日帰国のときにHeathrow空港で売っているのを見つけてしまいました。本店(1店舗しかないはずですが)でしか販売しないという方針を若干変更したのかもしれません。

http://woman.excite.co.jp/blog/sanpo/sid_1094748/



2014年6月4日(水曜日)夕方


最後の日の夕食はOxford Circusの地中海料理のレストランへ。日本ではなかなか食べられないと思いますが、東京では世界中の料理が何でも食べられるか?おそらくこの店だと思いますが?

http://www.tripadvisor.jp/LocationPhotoDirectLink-g186338-d1385646-i45210020-Bistro_1_Beak_Street-London_England.html


ホテルとレストランとの間のバスから写真撮影。

            

  

Posted by tsukuma at 16:53Comments(0)

2014/07/07

ロンドン旅行(6)-2

2014年6月4日(水曜日)午前

1. エリザベス女王のパレードのあとはHyde Parkへ。ロンドンの中心部にあるとにかく広大な公園ですね。池も昔のままですね。

          

2. そういえば20年前に屋外のオペラコンサートで有料席のすぐ後ろの無料席でイタリアのオペラ歌手のルチアーノ・パヴァロッティ氏(という名前だったかな?もう亡くなりましたね?)の歌を聞きましたね?夏にはロンドンのあちらこちらの公園で野外コンサートが盛んに開催されました。ロンドン中心部の北にあるHampstead Parkでの野外コンサートの幕間の舞台での花火はいまだに忘れられません。日本では見られない花火のショーでした。最近は騒音問題で屋外コンサートができなくなったそうなのですが?Hyde ParkでJapan Festivalが開催されたことがありました。鎧兜の侍姿の人が、走る馬から的をめがけて弓を射る「流鏑馬」を生まれて初めて見ました(実は日本ではいまだに見たことがないのですが)。

    

3. Hyde Parkの西側は家内はよく来たらしいのですが、もしかしたら私は初めてかもしれない。故ダイアナ妃の記念館がありました。

      

4. Royal Albert HallをHyde Park側から見たのは初めてのような気がします。同Hallでのコンサートに一度来たことがありましたが、家内と当時小学生の高学年だった娘は何度も来たそうです。当時日本から大相撲が来てここで興業をやりました。私はHallには見に行きませんでしたが街中で名前を知らない力士を数人見ました

        

5. あとで思い出しましたがピーターパンの銅像が公園のどこかにあったような気がしますがすっかり忘れていました。思いのほか小さいのでうっかりすると見落としてしまいます。人によっては世界三大がっかり・・の一つだと言う人がいましたが、私はそれなりに立派な銅像だと思います。ちなみにデンマークのコペンハーゲンにある人魚の像は世界三大・・には必ず入っているらしいのですがこれは同感です(あくまでも私の個人的な感想です)。

            




  

Posted by tsukuma at 22:47Comments(0)

2014/07/06

ロンドン旅行(6)-1

2014年6月4日(水曜日)午前

とうとうロンドン滞在(実質)最後の日になり翌日は日本に帰国しなければなりません。楽しいことはあっという間に過ぎてしまいます。最終日は近くにある広大なHyde Parkの散策からスタートしようということになりました。

1. ホテルからWestminster Bridgeを渡りビッグベンを進んでいると大勢の警官がいました。何か起こったのかと思ったのですが大事件が発生したような雰囲気ではない。家内が若い警官をつかまえて何事かと聞いてみると、なんと当日は国会の開会日でエリザベス女王がバッキンガム宮殿からビッグベンまで馬車でパレードするとのこと。翌日のテレビの放送で分かったのですが女王は開会を宣言するだけでなく、長い時間を使ってかなり細かいそれも政策に関わるような内容のスピーチを行うようです。テレビでは女王のスピーチの内容がニュースになっていました。とにかくバッキンガム宮殿まで行って特等席と思われる場所を確保しました。

    

2. かなり待っていたのですが馬に乗った儀仗隊や軍楽隊等日本ではなかなかお目にかからない一群が次から次にパレードをします。またチャールズ皇太子とカミラ夫人が車で通り過ぎてバッキンガム宮殿に入りました。おそらく近くの宮殿に住んでいるのでは?20年前に故ダイアナ妃がバッキンガム宮殿の近くの宮殿で手を振っているのをテレビで見た記憶があります。家内はチャールズ皇太子夫妻があまり好きではないようですが結局2回見ることになりました。

      

3. 警備は緩いといえば緩いのですが、それでもタイミングをみてバッキンガム宮殿の前の道路の通行を禁止していました。若い女性が泣きそうな顔と声で、道路を横切った向こうに職場があるので何とか通してほしいと懇願していましたが駄目でしたね。そもそもバッキンガム宮殿の近くの道路を横切った所にある職場ってどんな職場だったのだろう?

  

4. いよいよエリザベス女王をはじめとする皇室関係者が馬車で通過しました。20年前に故ダイアナ妃が繁華街で買い物する後ろ姿を見たことがありますがエリザベス女王を見るのは初めてでした。

              

5. 皇室関係者が馬車で通過した後Hyde Park方面へ歩いていたら国会の開会時間に合わせて(と思いますが)空砲を何発も撃っていました。とにかくたまたまですが貴重なものを色々と見ることが出来ました。

              

6. 翌日の朝のテレビニュースのトップは当然このニュースでした。

http://www.telegraph.co.uk/news/politics/queens-speech/10874138/Queens-Speech-Live.html
  

Posted by tsukuma at 19:52Comments(0)

2014/07/04

ロンドン旅行(5)-3

2014年6月3日(火曜日)午後・夕方

午後はHampton Courtから再び当時住んでいたEaling/Acton地区へ。日本人学校も再度訪れました。時間をかけて回ってみたがもうキリがない。名残り惜しいがしょうがない。

1. 食事のあとホテルへ戻っていたら、家内が急にLondon Eyeに乗ろうと言い出しました。時間はもう19時を過ぎていたと思いますがまだ明るい。確かに乗る人は、それでもかなり多いが、昼間や休日に比べるとずいぶんと少なくなっていているような気がしました。ということで急きょ我々も乗車券を購入して行列に並ぶことにしました。それにしてもイギリスの乗車料や入場料は為替の問題もありますがとにかく高い。久しぶりの£なのでピンときませんが円に換算するととんでもない金額ですね。ところで為替ですが、今は£1=\170ぐらいだが、20年前は£1=\260ぐらいでとんでもない環境だったんですね。

2. 20年前はロンドンの中心で周りを見渡せる高い所は、セントポール寺院やTower of Londonのてっぺんぐらいしか思いつきませんでした。仕事で金融街の数少ない高層ビルの上の方に行ったことはありましたがさすがにそのときは仕事モードだし。

3. ところで我々の写真にも写っていますが、ロンドンの中心部ある1964年建築のテレコム・タワーからはロンドン中心部が見渡せるらしいのですが、20年前はテロの影響で閉鎖されていて、職場からも毎日見ていたのですが結局我々は一度も登ったことはありませんでした。今は大丈夫だと思いますが(定かではありませんが?)。

http://btlondon2012.co.uk/pano.html

4. とにかく、こんな場所にロンドンを見渡せる場所があること自体が驚きであり新鮮ですね。

                                

  

Posted by tsukuma at 20:48Comments(0)

2014/07/03

ロンドン旅行(5)-2

2014年6月3日(火曜日)午前

Hampton Court Palaceへ:http://www.hrp.org.uk/

6/3(火)午前はHampton Courtへ。前日のRichmond Parkと同じ方角ですが更に南西に約10km行ったところにあります。
16世紀にヘンリー8世が建設したらしいのですが英国史(ヨーロッパ史も)に疎いのでどうもピンときません。ただ華麗とは少し違うが厳かな景観は一見の価値があるのではと思います。ここも前日のRichmond Parkほどではないですが、家族で何度か訪れた思い出の地であり夫婦で是非再訪したいということになったものです。

1. Waterloo駅 https://www.flickr.com/photos/14880766@N02/7940105718/

(1) ホテルの近くのWaterloo駅から列車に乗りました。乗車時間は約30分。ロンドンには東京駅のようなものが存在せず、中心街を囲むように幾つかのターミナル駅があります。ちなみに高速道路も中心街は走っていません。おそらく景観保護の見地からそういう運営をしているのではと思います。

  

(2) Waterloo駅には約20のプラットホームがあり、昔と同じように乗車する列車がどのプラットホームから出発するのかがギリギリにならないと分からないので、乗客はみな電光掲示板の下に集まってプラットホームが掲示されるまで待たなくてはなりません。そういえば20年前に別のTerminal駅のVictoria Stationから南行きの列車に乗った時に、電光掲示板が壊れていて別の列車に乗ってしまい大周りして目的地に行かざるを得ないことがありました。

  

(3) 電光掲示板でプラットホームを確認するのは昔と同じですが、驚いたことに列車が定刻(9:06だったと思いますが)どおりに発車しました。1990年代の初めに英国で生活したものにとって、仕事でたまに列車に乗ったことがありますが列車が定刻どおりに発車した記憶がなく遅れるものだとばかり思っていたのでこれは本当に驚きでした。直接関係ないことですが、中学生の時に「プラットホーム」は和製英語で本来は教壇みたいなものをいうと注意された記憶がありますが、イギリスでは駅のプラットホームはプラットホームです。アメリカでは別の言い方をするのでしょうか(Track?)?

  

2. Hampton Court Palace

(1) ほどなく目的地のHampton Courtに到着。入場料が大人1人約£20で当時はもう少し安かったとは思いますがその度に全員の入場料を払っていたのでしょうか?ところで家内が気がついたのですが、私には60歳以上のシニアー料金(£2-3割引き)が適用とのことでパスポートの写しを提示して生まれて初めてシニアー料金で入場しました。

      

(2) 宮殿の中は20年前に何度も見学したのでかなり鮮明に記憶が残っていたようです。

    

(3) 外の湖(というか何というか)の前で家族で映った写真は我が家に何枚も残っています。この湖はパリの郊外にあるベルサイユ宮殿の湖を模したと聞いた記憶がありますが華やかさではベルサイユ宮殿には劣るかもしれませんが、こちらの方が人が少なく落ち着けるのではと思います。

          

(4) 今回のロンドン旅行で、私が覚えていて家内が記憶がないこと、逆に家内が覚えていて私が記憶がないこと、いろいろありましたが、家族でフラワーショーの見学に来て私があまりの美しさに感嘆の声を上げたらしいのですが、私は全く記憶がありません。とにかく今年もFlower Showが開催されるようです。

    

(5) 庭園は華麗ではないですが落ち着いています。ずっと留まりたいという気になります。写真は無いですが伊関農機の耕運機が庭園で活躍していましたね。

          

(6) 茶屋で軽く食事をしましたがここのドアは自動でした。自動ドアも20年前には無かったですね。但し、イギリスの自動ドアは内側に開くので注意しないとぶつかってしまします。1992年になると湾岸戦争の影響も少なくなってきて日本から出張者がたまに来るようになりました。1992年の夏だったと思いますが、日本から偉いさんがやってきて本当は不動産の視察に来たのに何故かHampton Courtに行きたいと言い出して、急きょロンドンからタクシーでやって来たことがありました。ロンドンのタクシーの運転手さんは中心街には詳しいが中心街を離れるともう全く分からなくて苦労してたどり着いた記憶があります。その偉いさんはテニスが好きでそのあと電話でタクシーを呼ばされてWimbledonまで行きました。ちょうど男子ダブルスの決勝の日でその偉いさんは決勝戦が終わる30分前頃になると無料で入れるはずだと言い出し、私は半信半疑で聞いてみたらどうもその通りだとのことで、中に入ったら決勝戦が終わったばかりのマッケンジーやアガシー(って言ったかな?)にバッタリ会い、その偉いさんはものすごく感激していました。茶屋では家族との思い出もあるはずなのですが、本当につまらないことを思い出してしましました。

      

  

Posted by tsukuma at 20:54Comments(0)

2014/07/02

ロンドン旅行(5)-1

2014年6月3日(火曜日)

1. 早朝の散歩は地下鉄でLiverpool Street駅まで行き、シティ(金融街)⇒セントポール寺院⇒Fleet Streetを通り、結局当時の職場の近くのHolborn駅まで歩いてみました。 そういえばLiverpool Street駅はロンドン東部のターミナル駅ですが、当時よくIRAの爆弾テロの脅迫電話がありそのたびに地下鉄もストップしたものです。

(1) Broadgate
駅のすぐそばにあるOfficeの複合施設。当時世界初のノンリコースローンを駆使したと言われていた象徴的なプロジェクトですがやはり古くなりましたね。ビルの表面がガラス張りですが歪んでいて(凹凸があって)ガラスに映る風景も歪んでいました。途中でDeveloperが倒産しましたがこのプロジェクトには影響なかったですね。入口に記念碑みたいなものがあるのですが何を表しているのかよく分かりません。



(2) Finsbury Circus
Broadgateのすぐそばにあるのですが、こちらは英国の伝統的な建物が集まっています。日本の(旧)F銀行のロンドン支店がこの一角にありました。この一角にあった大きな建物を担保にしたパーマネントローンに参加しましたが、開発案件と違いスプレッドが低かったと思いますがよく採算がとれたものです。今考えると不思議ですね?



(3) イングランド銀行
シティのど真ん中にあります。



(4) Lombard Street
シティの中心にある通り。それほど長い通りではないのですが世界の金融を左右する通りとして有名。ここもよく来ました。

  

(5) 変わった建物
テムズ川遊覧で船から見えた少し変わった建物。昔のシティでは考えられなかったのですが投資家(中東や中国)の影響か?(個人的な推測です)

  

(6) 寿司屋
20年前は日本レストランの一部でしか食べられなかったお寿司のレストランが目立ちました。「わさび」というレストランは市内の至る所にあります。オーナーは韓国人だそうです(中国人かもしれない?)。スーパーマーケットでも普通にお寿司を売っていました。現地の日本人によれば味はイマイチだそうですが20年前には想像もできなかったことです。

  

(7) 我儘(わがまま)ラーメン店
第1号店は1991年か1992年に大英博物館の近くでオープンしたのでは?職場が近かったのでたまにお昼に行っていましたが日本人には耐えられない味付けで内心これはだめだと思っていました。その後日本に帰国後にお店が英国人の間で評判になり大成功したというニュースを見てビックリしたものです。20年経った今でも市内のあちらこちらで看板を見ました。今回は大英博物館の前も通ったのですが第1号店は閉店したようです。ここも中国系の経営ですね。日本人であれば店名に「我儘」というネーミングはしないと思います。

    

(8) Fleet Street
昔は新聞街だったそうですが20年前には既に新聞社が郊外に移転していて新聞街とは名ばかりでした。郊外に移転したのは有楽町から新聞社がいなくなったのと同じ現象らしいのですが、近代的な印刷設備を必要としたためだそうです。日本の某商社が新聞社の旧ビルの再開発計画を進めていて盛んに誘われたのですが、これは(理由は覚えていないのですが)止めました。不動産大不況の中でこれもイギリス側パートナーが倒産して途中で断念したようです。その後再開発は別のところが完成させたようです。Fleet Streetの外れに高等裁判所があります。

          

(9) Ludgate
ここは細長い地区に当時新規のオフィスプロジェクトが進みましたが、Broadgateと同じDeveloperでこちらは建設途中でDeveloperが倒産してかなり揉めました。最終的にプロジェクトは完成しましたが、20年経ってみると周りの新しいプロジェクトに比べて見劣りしますね。

     

(10) 日本レストラン
繁華街でもないところにポツンと日本レストランが。「リボン」という店名らしいが、そういえば20年前に店名は覚えていないが(リボンという名前ではなかった)此処に日本レストランがありました。日本人の誰かに呼ばれて(接待されたか?)来たことがあります。近くに茶色の比較的大きな建物が。何の建物か知りませんが20年前もありました。但し、当時は壁が汚くボロボロでしたが綺麗に改修し色を塗り直したようです。

  

  

Posted by tsukuma at 20:37Comments(0)