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Posted by vietnhat at

2012/10/29

VCB主催のクリスマスパーティー





























パーティーの件で思い出しましたが、12月にVCBが主催するクリスマスパーティーに招待されて参加したのを思い出しました。日本人は私一人だけだったと記憶しています。印象に残っているのは、日本ではおそらく会う機会がないであろうロシアや東欧の外交官達が数多く参加していたことです。何人かの外交官達と話しをした記憶がありますが、ただ彼らの共通語はロシア語だったようでホストのVCBにもモスクワ留学経験がありロシア語が堪能な人も多かったようで、私はなかなか輪の中に入れませんでした。その代わり韓国人が数人いて専ら彼らと話しをしていました。韓国では当時金大中氏が大統領選挙で勝利した頃でその話題が中心だったと記憶しています。我々はVCBとの合弁でリース会社を設立しましたが、一方でVCBは韓国の銀行と合弁の銀行を設立していて、参加していた韓国人はその関係だったようです。韓国との合弁銀行は韓国大使館も入っていた大宇のオフィス棟に店舗があり、私がその合弁銀行に営業活動に行ったときに韓国人のマネージャーから依頼され私の個人名義の口座を開設しました。既にANZ銀行に口座を持っていましたが、合弁銀行はアパートの隣のビルにあったので結構その口座は重宝していました。翌1998年後半に合弁リース会社の日本側パートナーは破綻してしまい2001年には合弁リース会社を清算することになりますが、韓国との合弁銀行も韓国側のパートナーが破綻し日本との合弁リース会社清算手続きと同時平行で韓国との合弁銀行の清算手続きを進めていたようです。何故同時平行で進めているのが分かったかというと、もう時効だと思いますが、VCBが韓国側のパートナーに送付すべきFaxを間違って私宛に送付してきため判明しました。私は当然自分宛のFaxだと思ったので何回も読みましたが意味が分からず暫くしてやっと間違いに気がつきVCBに連絡してFaxは破棄しましたが、何回も読んでしまった後なので当然記憶までは破棄できないので、とにかく重要なメッセージを送付するときは気をつけましょう。ところでベトナムでは私が駐在していた頃は仏教に関しては周囲でいろいろ見る機会がありましたが、キリスト教のお祝いであるクリスマスについてはそれほどでもなかったと思いますが、それでも年々盛んになっていったのが分かりました。話によると今ではかなり盛大にお祝いするようです。1997年のクリスマスの時にハノイ大教会の周辺に多くのキリスト教徒が集まりお祈りをしていて日本ではちょっと見たことがない光景で、こんなに大勢のキリスト教徒がいるのかと思って驚いたことがあります。そういえばベトナム戦争の時サイゴン(現ホーチミン)で宗教絡みの政争のニュースを聞くことが多かったような記憶があります。



  

Posted by tsukuma at 03:05Comments(0)

2012/10/28

合弁会社のオープニングセレモニー


















合弁会社の正式なオープニングセレモニーは1997年11月(12月だったかもしれません)に広い場所が確保できるということで大宇ホテルで開催されました。事前の準備はVCBと日本側は主にY氏がやっていたので断片的な記憶しか無いのですが、そうはいっても突然細かい作業をやらされたりしたのでとにかく忙しい毎日でした。Y氏は、英語のドキュメンテーション等が得意だったのは分かっていましたが、こういったセレモニーにも事前に必要以上に細かく準備をするタイプの人だというのがよく分かりました。ベトナム駐在の日本大使に出席依頼のため日本大使館にY氏に連れられて出かけたことがあります。海外に駐在すれば大使館の窓口に在留届を提出しますが、ハノイの日本大使館の中に入ったのは初めてでとにかく警戒が厳重で映画で見る刑務所のように検査用の部屋を経由して長い通路を通ってやっと中に入れたような記憶があります。英国大使館にも中に入ったことがありましたがもっと簡単に入れたような気がしましたが?ちょうどその頃ペルーの日本大使館占拠事件があり4ヶ月続いたそうですが最後はペルーの警察当局が実力行使しましたがそれが1997年4月22日だったようでHITCビルの食堂のテレビで見ていました。当時ハノイの日本大使館は中心からやや離れた場所にあったと思います。ちなみに開設したばかりのアメリカ大使館はもっと不便な場所にありました。2カ国とも外交的にはベトナムの友好国ではなかったようです。とにかく外務省を含む役所に対する政治的な発言力はやはり破綻直前とは言えLTCBの方がはるかにあったようです。このとき面談した日本大使はその数年後の日本と北朝鮮との間の外交会議で日本側の代表を務めていてよくテレビに登場していました。大宇ホテルで開催されたセレモニーには人数は覚えていませんがベトナム人・日本人・その他外国人がとにかく大勢来てくれました。JLCからはアジア各拠点から参加の予定でしたが当時既に諸問題がかなり明るみになっていて自粛ムードがあり最低限の参加だったと思います。LTCBについては覚えていませんが同じような状況だったと思われます。セレモニーにはかなり豪華な食事が並んでいましたがホスト役だったので殆んど口にしなかったような記憶があります。大宇ホテルに日本レストランがあった関係で当時ハノイでは珍しかった握り寿司類がかなり提供されていました。とにかく何度も壇上にあがり挨拶したり会場で多くの人を接待して私にしては珍しくサービス精神を発揮した日でした。

  

Posted by tsukuma at 03:43Comments(0)

2012/10/21

ベトナム側の副社長


















VCB側の副社長は私より10歳年上で、若いメンバーが多い中で年齢的には異色の存在でした。ベトナム戦争時はモスクワに留学していて、戦争終了後にベトナムに帰国したと本人から聞いたことがあります。本当か冗談か分からなかったのですが、若い女性スタッフ達が彼には7人のガールフレンドがいると彼の面前でよく言っていて彼も否定しませんでした。この辺はベトナム語が分からないのでどうも真偽のほどが分かりませんでした。ベトナム戦争の影響で私より年長の年代の男女比がアンバランスだったので多少は大目に見られていたという話を聞いたことはあるのですがよく分かりません。とにかく彼は私が慣れない外国生活での単身生活を送っていたせいかかなり気を遣ってくれました。若い連中は夜も勉強で忙しかったのでなかなか時間が合わなかったのですが、彼はよく夜誘ってくれました。場所はベトナム人が一緒でないとなかなか行けないような照明が暗いローカルの居酒屋が多かったようです。・・・ベトナム人と飲みに行くと、ビニール袋に入ったオシボリを取り出すときはビニールを手で叩いて破ってポンと音を出したり、紙のナプキンで箸や器を念入りにきれいに磨いたり、たわいも無いことをよく覚えています。またメンバーの中に女性が居ると勘定書きを実に細かくチェックしていて疑問があれば徹底的にお店の人と議論していて納得しなければ払わないという感じでした。話が少し飛びますがベトナム人の若い女性は普段は穏やかなのですが議論を始めると相手がかなりの年長でも相当な剣幕で挑むので何度も驚いたことがありました。幸い私はベトナム語が分からないので傍観者で居られましたが。・・・居酒屋の窓はガラスが無いことが多くて暑くて虫が入ってきましたが、郷に入れば郷に従えで全く気になりませんでした。ゴミやタバコの吸殻は木の床にドンドン捨てるので最初はびっくりしたのですが、日本人は普通なるべく汚さないようにしようと思いますが、ベトナム人は汚さないと掃除をする人の仕事がなくなるという考え方をするのではないかと思います。とにかく日本には居ない種々の細かい仕事をする人が大勢いました。お酒の席で職場や上司の悪口等の話題は万国共通のようです。それとお互いに母国語ではない英語で仕事をしているので昼間の職場でよく分からなかったことが夜お酒を飲みながら話してやっと相手が何を言いたかったのかが分かったことも再三ありました。お酒が入ると英語が昼間より滑らかになるというのもお互い共通のようでした。一度早朝ミーティングをやろうということで早めに家を出て出社の前に指定された場所に行ったらPHOというベトナム麺の店だったことがありました。庶民的ではありましたがおそらく有名なお店だったと思います。「PHO]はカタカナでは「フォー」と書いていますが私が「フォー」と発音して通じたことは一度も有りません。「居酒屋以外ではモスクワ留学の経験があるので、ロシア料理店によく連れて行ってくれました。ハノイに何軒のロシア料理店があったのか知りませんが、行くたびに違うレストランだったと思います。彼は慣れた感じでロシア料理の食べ方等を伝授してくれました。ロシアといえばウォッカですが、ベトナムでもロシアの影響が強いのかベトナム製のウォッカ(ベトナム人はヴォッカと濁って発音していました)がよく飲まれていたようです。私は日本でロシア料理店には行ったことがなかったので(いまだにありませんが)貴重な体験でした。ちなみにハノイでしか食べたことがない外国料理はモンゴル料理やメキシコ料理があります。何しろ本場は勿論日本でも行ったことがないので本場や日本と同じ味どうか分かりません。彼とは2010年12月に10年ぶりに再会しましたが、もう70歳のはずですが元気でした。彼の実家はハノイの隣のハタイという所にあり一度一緒に行ったことがありましたが、そこで農業をしているという話を聞いたことがあるのですが、本人に直接聞いたところ今は何もしていないとのことで悠々自適のようです。
  

Posted by tsukuma at 04:02Comments(0)

2012/10/14

ベトナム料理


















最近テレビでベトナムの観光案内やベトナム料理の紹介が多いので私がわざわざコメントする必要もありませんが、一般的に日本人はベトナム料理が大好きなようです。私はどうかと聞かれれば、ベトナム料理に必ずといっていいほど入っているパクチという野菜とヌクマンという醤油が苦手でそのせいで若干の抵抗があるようです。ただベトナム料理が世界に誇る料理であることに異論はありません。ベトナムに滞在していた期間から時間が経過しているのでかなり忘れているのですが、以下思い出したベトナム料理というよりも若干珍しい食べ物を列挙しました。そういえば何かの本でベトナム人は中国人やフランス人と並んで珍味が好きだと書いてありました。
 
1.       鶏の足先のから揚げ
テレビで見ているとハノイだけでなく東南アジア全体で広く食べられているようです。居酒屋で女性のスタッフたちが平気でおいしそうに食べていましたが、私は目をつぶって食べました。ただ妙においしかった記憶があります。
 2.       カエル
これは西湖のレストランで食べました。から揚げだったと思いますがそれほど抵抗はありませんでした。
 3.       鳩
フランスで骨が多い鳩料理を食べたことがありますが、ハノイでも同じような料理を食べました。
 4.       雀(だと思いましたが)
頭付の丸焼きでした。
 5.       犬
日本を除く東アジアでは広く食べられているらしく、実際アパートの韓国人から何度も誘われましたが韓国人とは行きませんでした。西湖の東側にあるDog Meat Street(と運転手のMr.Cが呼んでいました)には犬料理のレストランが数件あり、食用の赤犬がモーターバイクで運搬されているのを何度か見たことがありました。レストランといってもムシロで仕切っているような店舗でしたが、ハノイ駐在もかなり後半の頃に会社の男性スタッフと行って犬料理を一口食べましたが味は覚えていません。Ms.V等によると理由は覚えていませんが犬料理は男性の食べ物で女性は食べないと言っていました。
 6.       芋虫(のように見えるもの)
合弁会社が入居していたビルの共同社員食堂でたまに出ていました。こういう場合はどうもそれが何かお互いに話がうまく通じないので英和辞典や越和辞典で確認し合ったのですが、それでもよく理解できずに結局何を食べたのか分かりませんでした。見た目は芋虫のから揚げのようだったのですが?
 7.       ヤギの鍋料理
運転手のMr.Cと飲むと彼の友人達が参加することが多かったのですが、その中の一人がお礼に自宅で私を含む何時ものメンバーにヤギの鍋料理をご馳走してくれたことがありました。HITCビルの近くの大通りに面していた便器を売る店舗兼住宅だったと思います。私は正直、臭いだけで駄目で見た目も駄目で食べるとなると全く受け付けなかったのですが、一口だけ食べて後は顔だけはおいしいという表情をしていたと思います。幸い彼は英語を解さず、私は焼酎ばかりを飲んで誤魔化していました。そのうち奥さんが帰宅してやっと私が食べられるものを出してくれてホットした記憶があります。
8.ホビロン
よくベトナムの名物調理として紹介されるアヒルの孵化直前の卵料理ですが、実は私は見たことがありません。南部の食べ物だと聞いたことがありますが正確なところは分かりません。一度見て見たいと思っていましたが、目の前にあってもおそらく食べられないのではと思います。日本のあるアニメにこの料理が登場して料理だけでなく”ホビロン”というセリフが”かけ声”か何かで日本語として通用するらしいのですが?アニメの世界には詳しくないので。




  

Posted by tsukuma at 05:56Comments(0)

2012/10/13

合弁会社の営業部メンバー


















合弁会社は総務部と営業部に分かれており、ベトナム人の副社長は総務部を管轄し、私は営業部の管理を任されました。営業部のメンバーは、VCB出身の男性Mr.Vと,同じくVCBのJVセクションにいたMs.Ngaと、VCB以外から採用したMs.Hと、引き続きMs.Vの5名でスタートしました。私は心のどこかに元々ハノイにはピンチヒッターで来たのだという潜在意識があったのもしれませんが、目の前の営業案件を無理して追いかけて業務を拡大するよりも、最初は慎重に進めたほうがよいと思っていました。幸い営業部メンバーもその辺は理解してくれて業務知識の蓄積に勤めました。私もベトナムの業務環境を知る必要があり毎日お互いの知識・情報の交換を行いました。ただ私は合弁会社の役員として会社のことも考えなければいけない立場にもあったわけですが、会社の中で唯一日本語が通じた社長のY氏との関係が必ずしも良好とは言えず、色々と会社の運営に支障が出てきていたのも事実でした。5人のメンバーは全員当時20歳代の後半で文句なく優秀でした。5人とも夜は夜学等で忙しかったのですが、家内がハノイに居るときはアパートで食事をしたりしていました。当時結婚していたのはMs.Hだけでしたが、彼女の家は当時ハノイ駅近くの(古い)サッカー場の隣にあり、おそらく休日だったと思いますが皆でよく遊びに行った記憶があります。Ms.Hの若いご主人とも会ったことがありますが奥さんは英語が堪能なのにご主人は全く英語を解さず面白いものです。西湖の近くの屋外レストランや釣堀にも行った記憶があり、公私ともよく一緒に行動したようです。当時未婚だった者も現在は全員結婚し子供にも恵まれています。2010年12月に再訪したときは5人全員と会うことが出来ました。上記のとおり全員きわめて優秀で、男性のMr.Vは英語がとりわけ堪能で現在世界銀行の子会社か孫会社のベトナム代表を務めています。ベトナム語の会話をいちいち英語で解説してくれるのは昔と同じです。他の4人も元気に働いていて何より嬉しいことです。 

(添付写真のハノイ駅には「GA HANOI」という表示があり「GA」は駅という意味らしいのですが、最初に見たときに何か不思議な感じがしたのですが、フランスで同じような表示を見た記憶があり、調べてみるとフランス語で駅は「GARE」だそうです。もしかしたらフランス語から来ているのかもしれません。)



  

Posted by tsukuma at 05:28Comments(0)

2012/10/08

結婚式


















運転手のMr.Cがこの頃結婚しました。彼の年齢は当時30歳台前半で当時のベトナムでは晩婚だったようで、花嫁とは結婚前に何回か会ったことがありました。ベトナムの結婚式では花婿が花嫁の実家まで迎えに行くという儀式があるようで、花婿のMr.Cが乗った車(勿論この日は別の運転手が運転)の後ろから大勢がバスに乗って一緒に迎えに行きました。バスには親類縁者と思われる人達や合弁会社のスタッフ達が乗っていて私も便乗しました。花嫁の実家はハノイから車で30分ぐらいの町の農家でしたが、Mr.Cが白いタキシード姿で田んぼのあぜ道を通って花嫁を迎えに行く様子を見て、日本でも私が子供の頃同じような光景を見たことを思い出しました。花嫁の実家ではいろいろな儀式や食事が振舞われたりしましたが、言葉は勿論分かりませんでしたが違和感は全くありませんでした。ハノイに戻って夕方に披露宴がArmy Hotelというところ(だったと思います)の体育館のような広い場所で行われました。花婿と花嫁が入り口のところに立って来客者に挨拶するのは日本と似ていますが、日本では想像できないくらい大勢の人が長テーブルに座って食事をしていました。花婿花嫁が壇上に上がり司会者がいろいろと言っていましたが、私のことも紹介されていたそうです。驚いたのは食事が終わったら参加者が一斉に引き揚げることでした。私の場合も食事が済んだら隣に座っていたベトナム人の副社長が「さあ帰ろう」と私を促すので「郷には郷に従え」で帰ることになりました。その後も結婚式には何回か参加しましたが、日本のように招待状が来るわけではなく結構気楽に参加できました。ベトナム人の副社長のお嬢さんの結婚式の場合は平日のランチ形式で、私は直前まで知らずにランチの時間になって「さあ行こう」といわれて参加したこともありました。勿論お嬢さんとはその時が初対面でした。


  

Posted by tsukuma at 05:10Comments(0)

2012/10/07

香港(2)



















翌日はJLC香港現法の会議室で1日中アジア拠点会議でした。ハノイの合弁については数字の発表が出来なかったので主にベトナムの経済状況について何も分からないのに分かっているような顔をして何か喋ったような記憶があります。今でもテレビの経済番組等で現地駐在員という人が偉そうに喋っているのを見るとどうしても自分と同じレベルで本当かという観点で見てしまいます。当時はアジア通貨危機が深刻になりつつあり震源地であったタイの合弁の社長の報告がかなり悲痛だったようです。またLTCBやJLCの状況が既に芳しくなく東京から参加していた財務部長(この人もLTCBからの出向でしたが)が国内海外での資金調達についてかなりの時間を割いて説明していた記憶があります。それでも拠点会議を開催して夜は宴会をするお金はあったようで、その日の夕食は参加者全員で近くの高層ビルの最上階で豪華な中華料理を食べました。あまりおいしいとは思いませんでしたが北京ダックをおそらく生まれて初めて食べました。宴会の後は同年代の連中とカラオケバーに行った記憶がありますが、私は早々に引き揚げ一足先にホテルに帰っていた上海の先輩と一緒にホテルの近くのバーで飲み明かしました。翌朝はせっかく香港に来たのでホテルの近くにあった駅からケーブルカーに乗って山頂の展望台に登りました。おそらく夜景が綺麗なことでテレビによく出てくる有名な展望台だと思いますが小雨が降っていて景色は何も見えませんでした。展望台からの帰りにホテルに戻っているとジャカルタの合弁の社長とばったり会いました。彼は以前香港に駐在していて土地勘があるので一緒に名物の2階建て電車に乗って路地裏のおかゆを食べに行きました。当日拠点会議の出席者の一部は香港現法がアレンジした船に乗って中国の深セン見物に出かけたようです。私はその時は参加しませんでしたが、2004年に香港から飛行機で海南島に行くべきところハプニングにより香港からバスに乗って深センに行きそこから飛行機で海南島に行ったことがあります。その時のことは機会があれば投稿します。こうして香港出張はあわただしく過ぎてその日の午後の便でハノイに戻りました。正直当時は精神的にかなり疲れていて香港出張は良い息抜きにはなりましたが高層ビルが林立していた香港は別の意味で疲れハノイに戻ったときはホットしました。現在はハノイにも高層ビルが林立している地域があるそうで香港みたいな感じなのでしょうか?   

Posted by tsukuma at 03:16Comments(0)

2012/10/06

香港(1)























合弁会社設立後しばらくして香港へ出張することになりました。年に1回のJLCのアジア拠点会議が1997年は香港で開催ということになったものです。この会議は慰安会的な要素が強かったとは思いますが、そうは言っても各拠点の過去1年間の実績と今後1年間の計画を発表するのでハノイの合弁会社の場合はまだ発表するものがなかったので、LTCBのY氏からはただでさえ忙しいのにわざわざ参加する必要は無いと言って私の香港行きに対する許可が出ませんでした。他の会社の事をよく言うなとも思ったのですが、Y氏の言っていることも一理あったのでJLCに対しては不参加を伝えたところ、どうもLTCBとJLCの間で何か話し合いがあったようで最終的には参加することになりました。ということで当時のパスポートによると1997年10月15日から2泊3日のスケジュールで香港に出かけました。当時はハノイと日本との間には直行便が無かったので香港経由で往復していましたが香港の空港から外に出るのは初めてのことでした。タイミング的には香港が中国に返還されたのが1997年7月でそのわずか3ヶ月後のことです。当時ハノイ香港間は記憶では午前10時のハノイから啓徳空港への便と香港時間午後4時(ハノイ時間午後3時)ごろ同じ飛行機で啓徳空港からハノイ空港に戻る往復1便のみだったと思います。ハノイ空港を出発して約2時間で例のごとく着陸直前に機体が大きく傾き啓徳空港に到着しました。たいした荷物は持っていなかったのですが税関で何処から来たかと聞かれたので正直にハノイからと答えたところ私だけが荷物を開けられて徹底的に調べられました。検査のために中のものを全部出したような記憶があります。たまたま日本からの便が到着していて同じ日本のパスポートを持っていた大勢の日本人達がそのまま通過していたのとは対照的でした。日本からの到着便と少しだけタイミングがずれていたのか或いは私が背広姿だったので目立っていたのでしょうか?後にも先にも税関であれだけ徹底的に調べられたことはありませんでした。ハノイと香港の間には1時間の時差もあり指定のホテルにチェックインした頃には結構な時間になっていました。ちなみに夜寝るだけでしたがホテルはマンダリンホテルだったと記憶しています。JLC香港現法はホテルから歩いてすぐの高層ビルにあったと思いますが挨拶にいったら現法の主だった日本人たちは日本から来る偉いさんたちを迎えに啓徳空港に出かけていて留守でしたが、たまたま親しかった先輩が居て久しぶりに会うことが出来ました。その先輩とは船橋市の津田沼駅近くの焼鳥屋でよく飲んだ仲でした。中国語が堪能で香港の前は上海に居ましたが香港では得意の中国語はあまり関係なかったのでは?ちなみにこの先輩は今現在私が知る限り行方不明で何処にいるのか分かりません。その日は夜にかけてどう過ごしたか全く記憶にありませんが、夜に上海から到着した先輩と久しぶりに会ってホテルの近くのバーで飲んだことはよく覚えています。この先輩は私が新入社員の頃に私が直接指導を受けた人でロンドン現法では私の前任者という関係です。わが道を行くタイプの人だったので余計に気があったのかもしれません。今でもたまに電話をくれます。当時のJLCの国際関係は航空機・船舶の商品別とそれ以外の分野についてはアメリカ・アジア・ヨーロッパというテリトリー別になっていて相互の人事交流が比較的少なかったようです。私が主に在籍していたヨーロッパ部門は特に一番人数が少なかったこともあり他部門との人事交流が少なく、上海の先輩やハノイの私のようにヨーロッパ部門からアジアに転勤という例は非常に珍しいことでした。従ってアジア拠点会議に参加する各拠点長は同じ会社の社員でありながら親しさでいえばそれ程ではないという人ばかりでした。中にはLTCBから直接出向してきた人もいて正直顔も名前もよく知らない人も居ました。  

Posted by tsukuma at 07:59Comments(0)

2012/10/05

合弁会社設立


















第1回の取締役会や新聞広告等を行い、いよいよ合弁会社の運営に動きだしました。HITCビルの準備室の解約に手間取ったことや、たいした荷物は無かったのにMs.VやMs.Lと一緒になって引越荷物をまとめるのが大変だったことや、引越し業者の一人の若者が福岡工業大学の文字入りのTシャツを着ていたこと等断片的なことは覚えているのですがどうも記憶が定かではありません。一部の荷物を紅河の近くにあったMs.Vの家に一時預ってもらったりしました。合弁会社のオフィスの住所はNo1 Ba Trieu Streetだったと思いますが、ホアンキエム湖の南側にあり古いフランス風3階建建物の3階部分に入居し広いバルコニーは鉢植えの豊かな樹木に覆われていました。前テナントは日本のS商事の駐在員事務所でしたが新しく出来た高層のハノイタワーに移転したため空室になっていたものです。常勤役員はVCB側3名日本側2名に、従業員はVCB側から約10人に、Ms.VやMs.L他VCB以外から数名が加わりスタートしました。合弁会社の正式なオープニングセレモニーは11月に開催されましたが、とりあえず一緒にがんばろうということで皆で一杯やりました。合弁スタート後もしばらくは合弁準備中に準備していた営業数字や営業方針やマーケット方針の打ち合わせにかなりの時間を要した記憶があります。それと重要なことは従業員に対する研修でこちらが準備したマニュアルをベースに進めるわけですが、内心こんなものを使って研修するよりも実際に商売をして覚えたほうが早いと個人的には思っていたのですが、型どおりに従業員達と毎日議論していました。いろいろな局面で感じていたことですが研修を通じてとにかくベトナム人は勉強熱心で細かいということがよく分かりました。会社を設立するといろいろと役所関係を含めて面倒な手続きが多く、例えば労働法に基づく手続き等非常に重要な手続きも多くありました。ベトナムの法律の話なのでVCB側に任せておけばいいのにと思ったのですが、Y氏からは英語部分には全部目を通してとにかく関与しろと言われ、ただでさえ忙しかったのにもうてんてこ舞いでした。こうして少しずつ動き出しますが毎日忙しくて幸い残業は殆んどしませんでしたが1日の営業時間が終わるととにかくホットしていました。
 
  

Posted by tsukuma at 20:53Comments(0)

2012/10/01

景勝地








ハノイに住んでいたことがあるのに世界遺産であるハロン湾に行ったことがないと言うとベトナム人(日本人も)は一様にびっくりします。今は車でかなり快適に移動できるようですが、当時はハノイからハロン湾まで車で片道6-7時間を要すると聞いた記憶があります。地図で見るとハノイから東に約100kmのところにハイフォンがあり更に東に約50km行ったところにハロン湾があります。ハイフォンまでは仕事で2-3回行ったことがありますが、当時は途中にフォードの自動者工場があり、そこまでは道路がなんとか整備されていましたが、それ以東は悪路の連続でベトナム戦争当時の北爆の爆撃跡がまだ残っているような状況でした。景勝地に全く興味が無いわけではなかったのですが長時間をかけて車で無理して行くこともないかということで機会を逸してしまいました。ということで景勝地には殆んど行ったことがないのですがその中でビッグ・ドンは行ったことがある数少ない場所のひとつです。家内と一緒でしたがハノイから車で約1時間だったと思います。陸のハロン湾といわれるいくつかの場所のひとつで川と水田の中を木製の小さな船で周遊し途中に鍾乳洞で出来たトンネルがありました。船が折り返し地点に到着すると船頭さん(殆んど全員女性でした)が突然売り子に変身し手製の刺繍付の衣服等を販売し始めたのにはびっくりしました。船の上なので逃げようがなかったのですが幸い一緒にいた家内が興味を示し結構買い入れていたようです。ちなみに2010年12月にも1000年前に都があったハノイの近くのホアルーという所に娘と一緒に行って同じような船に乗りましたが折り返し地点で商売が始まり忘れかけていた10年前のことを思い出しました。
その他、ハノイの近くの故ホーチミン大統領が潜伏生活をしていたという洞窟やお寺をベースにした保存地区のような所にも行ったことがありますがネットを見ても見つけられません。行ったのは間違いないのですが。


  

Posted by tsukuma at 01:51Comments(0)