2012/12/30
ロンビエン橋(Cau Long Bien)




ベトナム語の語句には私が発音してもベトナム人には全く通じない場合がかなりありますが、この橋の名前もそのひとつです。フランス植民地時代の1902年に建設されたそうですが、紅河にかかる全長1700メートルのこの橋を初めて見たとき、どこかで見たような気がしたのですが、おそらくベトナム戦争時の北爆のニュースとしてテレビ・新聞等の映像・写真で度々見たのではと思います。北爆のときアメリカ軍は空からこの橋を目印にしていたそうで、第二次大戦中の日本空襲の際アメリカ軍機が富士山を目印にしていたという話と同じかと思います。北爆で何度も壊されたがその度に修復され、北爆を語るときの象徴的建造物という位置づけだそうです。写真にあるとおり橋の真ん中を鉄道が通っていて、その脇を歩行者・自転車やモーターバイクが走っていました。車はロンビエン橋を通行できず、少し南側にあった別の橋を通っていました。私はよく自転車でロンビエン橋を渡り、向こう側の住宅地によく行っていました。橋を渡りきって少し行くとお店があり、いつも喉が渇いてミネラルウォーターを買っていたので、お店の人と顔見知りになり言葉は分かりませんが何時も挨拶してくれました。列車にも何故かよく遭遇しました(毎朝通勤のときハノイ駅近くの踏み切りを渡りましたが、踏み切りで列車待ちをしたことは一度もありませんでした。夜に何回かホーチミン行きの夜行列車が通過していて停車したことはありました。ちなみに当時(今はどうか知りません)踏み切りには監視員みたいな女性が居て、その人が人力で(水平に)踏み切りの開閉をしていました)。また老朽化で壊れかけた橋の欄干の上に何故か寝ている人がいて、紅河は日本の川のような生易しい川ではなく流れも激しいので、見るたびにゾットとしたものです。ハノイでは道路等でも大人も子供も、我々の目から見ると危険極まりない行動をする人がいて、何度もヒヤッとしたものです。ロンビエン橋のハノイ市街地側の川沿いに大きなロンビエン市場があり、また道路側の高台に鉄道のロンビエン駅がありました。2010年12月に再訪したときに昔と変わらないロンビエン橋を見ることが出来ました。ただ100年以上経過しているのでもうそろそろ寿命かもしれません。




Posted by tsukuma at 04:18│Comments(0)