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Posted by vietnhat at

2014/06/27

ロンドン旅行(4)

2014年6月2日(月曜日)

1. Richmond park
午前中はロンドンの中心部から南西約10kmにあるRichmond Parkへ。王立ということなので英皇室が所有しているのだと思います?

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(1) 地下鉄に乗ってRichmond Parkへ。ロンドンに赴任当初まだ車がない時に家族で地下鉄に乗って行った記憶があるが、地下鉄(但し殆ど地上部分ですが)に乗って行ったのはそれ以来ではないかと思います。家内が日本でチェックしていた駅前のレンタサイクルで自転車を借りました。ネット時代はこういう場合は便利ですね。レンタル料は4時間で約£30(約5千円)でDepositも£100(約17千円)取られましたがDepositは当然返金してくれました。日本の水準から考えればかなり高いが1回きりなのであまり気にしませんでした。

 

(2) ロンドンに住んでいたころは自転車に乗ったことがなく、勝手が分からないので結局公園までは歩いて(自転車を引いて)行くことに。Richmondの市街地は殆ど昔と変わっていないように見えました。市街地から公園に上って行く途中にあるRichmond HillからのThames河の上流の眺望は何もののも代え難く。駐在が終わって帰国しても暫くは夢に出てきたほどです。

  

(3) Richmond Parkへは当時は家から車で約15分。もう何回訪れたか分かりません。テニスで有名なWimbledonもすぐ隣にありますが我が家ではもっぱらRichmond Parkに通っていました。

  

(4) とにかく広い。約2400エーカー(約10平方km)あるそうですが普段の生活感覚では数字で言われてもピンときません。NYのCentral Parkの約3倍あるそうですがそれでもピンときませんが、とにかく車で1周してもかなり時間がかかるので相当に広いということは間違いありません。

 

(5) 正門から入って暫く行くと茶屋みたいなところがあり休日にはよくランチをしました。当日は結婚式が予定されているとの張り紙があり出席者だと思われる正装の男女でごった返していました。

 

(6) 公園の中心部分に池があったと記憶していましたがやはりありましたね。当時は魚を釣っている人がいたので魚が生息しているのかもしれません。この池で散歩中に放飼いの犬にけしかけられたことがありました。放飼いは禁止されているはずだが咄嗟のことで英語で抗議ができなかったことがありました。

     

(7) 野生のシカは昔より数が増えたような気がします。当時、休日に霧の中で車を運転していたら、突然シカが車の前を横切りもう少しでぶつかりそうになりました。それ以来霧の日は行くのを止めました。もっとも昔石炭で暖を取っていた頃は霧のロンドンと言われたようですが、当時はもう霧には殆どお目にかかりませんでした。




(8) シカだけではなく野生のリスも至る所にいます。そういえば当時住んでいた家で子供たちがリスの餌づけをしたら決まった時間に現れるようになりそのうちだんだん凶暴になり手がつけられなくなったことがありましたね。



2. Greenwich(グリニッジ)
前日せっかくグリニッジまで行ったのに素通りしてしまい、丘の上の天文台には行かなかったので不完全燃焼ということでこの日再訪したものです。但し、ロンドンの中心部から南西にあるRichmond Parkから南東にあるGreenwichまでは中心部を通ってかなりの距離があり電車を乗り継いで行きました。途中金融街のシティー(但し地下ですが)や再開発地域のドッグランドを通過。再開発地域はもともとカナダの大手不動産会社が始めたが私がロンドン赴任中は戦後最大の不動産不況で、その不動産会社が倒産したり、ランドマータワーがテロの標的になったり、深入りした日本の大手都銀が深い傷を負った(らしい)り、散々だったが2000年代にまた復活したと聞いており、昔とは比べ物にならないほど賑わっていました。もともと移民が多い地域でしたがロンドンオリンピックのメイン会場はたしかこの地区だったと思います。

(1) グリニッジ天文台は天文台としての役割は終えたらしいが多くの観光客で賑わっていました。緯度0度を示す標識は残っていて、そういえば当時小学生だった娘が0度をまたいで撮った写真がありましたね。

   

(2) 丘の上から眺めるロンドンの市街地の風景は美しく何とも言えません。

    

(3) そういえばグリニッジの公園のそばにベトナムレストランがありました。但し、漢字の標記もあり純粋にベトナム人が営んでいるベトナムレストランかどうかは定かではありません。ベトナムレストランのオーナー一家と思われる家族らしき一団がいましたが、何語で喋っているかまでは聞こえませんでした。ちなみにロンドンの中心部の中華街では、おそらく20年前にもあったベトナムレストランを同じ場所(と思われる)で見つけました。



3. シティ(金融街)
グリニッジから帰る途中に懐かしくてシティで途中下車しました。ちょうど夕方6時ごろで勤め帰りの人でごった返していました。私が働いていたオフィスは金融街から地下鉄で数駅先の劇場街にありましたが仕事で金融街に来ることが多く、人混みを見ていると20年前にタイムスリップしたような気分になりました。一駅先のセントポール寺院まで歩いてみましたが苦難の日々も20年経ってしまうと懐かしさがこみ上げてきました。セントポール寺院の裏側のパタノスタースクエアーはすっかり再開発され綺麗なオフィスビルが立ち並んでいました。そういえば日本でも三菱地所のコマーシャルでここが登場しますね。もともと日本の某商社が開発を進めていたが、不動産不況の中でパートナーのイギリスの不動産会社が倒産してしまい友人でもあった日本の某商社の担当者は四苦八苦していました。その後三菱地所が肩代わりをしたようで、1社でやったわけではないと思いますが日本で流れるコマーシャルでは三菱地所しか出てきませんね?そういえばここに日本の書籍を販売していた本屋がありましたね。


    

Posted by tsukuma at 05:36Comments(0)

2014/06/24

ロンドン旅行(3)

2014年6月1日(日曜日)

3日目はロンドンを離れ昔懐かしい土地を再訪しました。日本語の1日ツアーを申し込み、リーズ城⇒カンタベリー大聖堂⇒ドーバー⇒グリニッジ⇒テムズ川遊覧を楽しみました。ツアーのいい点はお金さえ払えばとにかく黙っていてもバスで目的地まで連れて行ってくれるところで、とにかく楽だというのが夫婦の一致した感想でした。当時はリーズ城へは何回か行ったことがあり、カンタベリー大聖堂からドーバーへはB&Bで一泊して旅行をしたことがありました。当時はカーナビがない時代に車で目的地まで行き、旅行会社を通じてですが宿の手配をして等思えば相当なエネルギーだったと夫婦で再認識した次第です。

1. Victoria Station
集合場所はロンドン中心街のやや南西にあるターミナル駅のVictoria駅のそばの大きなバス乗り場。イギリス英語で長距離バスのことは「coach」だということを思い出しました。そういえば当時この駅でIRAの爆弾テロ事件があり大騒ぎになったことがありました。たしか日本人学校の中学生が怪我をしたのでは?当時よく行ったソロモンブラザーズという投資銀行の広大なDealing roomを擁した巨大なビルが見えましたが今もそこに入居しているかどうか分からない。そもそもその投資銀行は買収・合併等で名前が変わっているはず。



2. リーズ城
最初の目的地はリーズ城。途中美しいKent州の緑豊かな田舎を通りました。ロンドンの街中は結構ゴミが多かったりするのですが、一歩郊外に出ると単調ではありますが本当に綺麗です。お城は12世紀に建てられたそうですが当時4-5回ほど行きました。ここも20年前と同じで殆ど変化がないように見えます。お城が見える向かいのレストランの外の特等席で家族全員で食事をしましたね。子供たちが体毎クルクル回転していた芝生の斜面も健在でした。ただ鳥の糞が至る所にあり子供たちはこの糞の中を転がって行ったのだろうかと思ってしまった。ツアーなのでお城の内部にも入ったが当時はもしかしたらお城の内部には入らなかったかもしれない。全く記憶がない。とにかく昔と同じ風景で綺麗なお城でした。

             

3. カンタベリー大聖堂
当時中に入ると老若男女の聖歌隊が綺麗な讃美歌を歌っていた記憶があるのですが、今回は残念ながら聖歌隊は居ませんでした。こういう教会に入るとやはり文化の違い、それもかなり大きな違いを感じてしまいます。カンタベリーはそれほど大きな町ではないですが大学が4-5校あるそうで、前の会社の昔の同僚がカンタベリーの大学に留学していたと言っていました。集合場所の近くのお店に「けん玉」を売っていました。そういえば「けん玉」がイギリスで結構人気があると日本のテレビで放送していましたね。

  

4. ドーバー
実はあまり認識していなかったのですが、当日ツアーの中にドーバー行きが含まれていることが分かり非常に懐かしくなりました。当時、家族で山の上のドーバー城に行ったことを思い出しました。当日は残念ながら山の上のドーバー城までは行かなかったのですが、海岸から山の上のドーバー城がよくみえました。当時山の上からフランスのカレーが見えたことを思い出しました。港に世界有数の船会社であるP&Oのマークが入った大きなフエリーが停泊していたが、P&Oは確か数年前にアラブ系の会社に買収されたのでは?

 

5. グリニッジ/テムズ河遊覧
最後はグリニッジでバスを降りて船に乗ってテムズ河遊覧を行いました。グリニッジでは残念ながら丘の上にある天文台には行かなかったので翌日再訪しました。船はグリニッジから再開発地域のカナリ―ウォーフ(ドッグランド)やロンドン塔やロンドン橋等に途中停泊し最後はビッグベンまで行きました。当時は1-2回やはり船でテムズ河を遊覧したような気がします。河から見るとロンドンは又違う顔があり高層ビルが立ち並ぶ再開発地域は昔と同じですが、金融街のシティーには昔では考えられなかった奇抜な形をしたビルを幾つか見ることができました。伝統的なイギリス風の建物とは明らかに違うのですが、投資家の大半を中東や中国が占めるからでしょうか(個人的な憶測です)?

    

  

Posted by tsukuma at 19:59Comments(0)

2014/06/20

ロンドン旅行(2)

2014年5月31日(土曜日)

9時間の時差は如何とし難いがしょうがない。夜中に何回も目が覚めてしまうが旅行に来たので時間になったら行動しなければならない。幸い1年で最も日が長い時期なので午前4時には明るくて朝食前に一人で散歩に出ることにしました。ちなみに朝食前の散歩には毎日出かけました。

(早朝)
1. 1日目の散歩は地下鉄に乗って当時働いて場所へ行きました。オフィスはBerkshier Houseという12階建のビルの11階だったと思いますが、1階のPubが小奇麗になっていることを除いて、気味が悪いくらい当時と全く変わっていません。そういえば1階にスポーツセンターがありロンドンには珍しく中庭に屋外の温水プールがあり冬でも泳いでいる人がいました。私は利用したことはありませんでしたが、日本人の同僚だったF君が会員で一泳ぎしては残業していたものです。




2. 隣のホテルは名前が変わっていましたが引き続きホテルとして営業していました。サンドイッチ屋さんは昔と同じですね。ロンドンのサンドイッチ屋さんはパンそのもの(白か茶色かその他?)から始まり中身もいろいろと選択しなければならないので注文するのも結構大変でした。新聞やタバコを買っていた売店も働いている人は変わっていましたが引き続きインド系の人が取り仕切っていて店構えも全く同じでした。瞬時に釣銭の計算をしていたのも同じでしょうか?たまに行っていたイタリアン・カフェが無くなっていました。会社のそばの裏通りにあった劇場では家族全員でCatsを見た記憶があるのですが、劇場の名前は変わっていましたが「War Horse」という劇を上映しているようです。この劇は日本のテレビでもコマーシャルか何かで見た記憶がありますが映画だと思っていたのですが劇なんですね?Catsは引き続き別の劇場で上映しているようです。

   

3. 驚いたことにたまに行っていた韓国レストランは、名前は変わっていると思いますが引き続き韓国レストランとして残っていて、しかも両サイドに新たに2店の韓国レストランが営業していました。端っこに「寄り道/よりみち」と日本語で書かれた日本レストランが申し訳程度にありましたが、よく見ると隣の韓国レストランと同じマークがありもしかしたら韓国系の経営と思われます。とにかくロンドンにおける韓国の進出ぶりはすさまじく別の機会に詳しく書きます。

 


(午前)
20年前に住んでいたロンドンの西のEaling/Acton地域へ。

1. West Acton
最初1年間住んだフラット(アパート)があります。3階建ての奥から2番目の2階。ここも驚くほど変わっていせん。当時築80年だったと記憶しているから20年経っているので築100年のはずですが20年前と同じように見えます。ちなみにハノイの場合は5年-10年も経過するとすっかり老朽化したように見えるのだが、ロンドンの場合は150年は住み続けると聞いた記憶があります。気候の関係でしょうか?ちなみに煙突は必要ないのだが、何故か全ての家に煙突がついている。このフラットの場合は暖炉に電気で明るくなる模型がありました。大家はイラン人でしたがイランに住んでいて会ったことはなく、近所に住むイラン人の家族が管理人をしていてたまに何か困ったことがないか言いながら実は様子を見に来ていました。中東系の銀行に勤めていた旦那は私と同じような朴訥とした英語を喋るので分かり易かったと思います。奥さんはあまり英語が得意ではなかったようで来る時は何時も10代の娘が通訳で来ていました。長女が居ないときはたまに5-6歳ぐらいの二女が通訳でついてきて結局何を言っているのかよく分からなくて困ったものです。イスラム教徒だと思いますが旦那が来たときにわざとウイスキーを奨めたら飲んでいました。結局1年後に大家がフラットを手放すことになり我々も退去せざるを得なくなりました。

      

2. ロンドン日本人学校
West Actonのフラットから徒歩10分ぐらいのところにあります。ここも昔と全く変わっていません。当時小学生だった子供たちが全日制に通っていました。校風は極めて自由だったようで子供たちも伸び伸び過ごせたようです。当日は土曜日だったので全日制は休みのはずだが、普段現地校に通っている子供たちが通う補習校の授業が行われていたと思いますが若干の人の出入りはあったが静かなものでした。昔はもっと活気があったような気がしますが?ちなみに2-3後の平日にも再度訪れたがその時は小学校低学年と思われる子供たちの大きな歌声が聞こえてきました。毎日子供たちを送り迎えしていた家内は特別に感慨深いものがあったようです。

     

3. Ealing Broadway
(1) West Actonの1駅先で地下鉄(この辺は地上を走っていますが)Central Lineの支線の終点です。ロンドンの地下鉄(地上部分)は必ず途中で本線から支線に分かれていて分岐駅までに行き先が変更になることがよくあり注意していないと支線行きが途中で本線行きになってしまうことがありました。まあ次の駅で戻ればいいのですが。

(2) ここはこの地区の最大の繁華街で駅前に大きなショッピングセンターがありましたが今でも全く昔と変わっていません。駅前で数年前に爆弾テロ事件があり大きなニュースになったと思います。そういえば当時は金曜日の夜に駅を降りて帰宅していると高校生連中が酔っぱらって大騒ぎをしていてよく帰りの地下鉄代の50ペンス~1ポンドをねだられたものです。



(3) 当時住んでいた家はショッピングセンターの裏側にあり、いわゆるセミディタッチ(2棟からなるタウンハウス)でした。ロンドンは驚くほど変わっていませんが、やはり変化もあり、例えばガーデニングの風習が少し変わってきているそうで、昔は道路に面した前庭もきれいにしていてその家もアジサイの花がきれいでしたが、今は前庭を駐車場にするケースが多いそうで、当時住んでいた家も前庭が駐車場になっていました。アジサイといえばロンドンの気候のせいと思われるが何カ月も咲きっぱなしで最後は気味が悪くなり花を切っていました。もう時効だと思いますが、私の母親が福岡から遊びに来て暫く(2-3カ月)滞在したあと帰国する時にアジサイの花を切って福岡に持ち帰ったのですが、福岡の実家の庭に毎年きれいに咲くそうです(私は見たことがないのですが)。但し花が咲く期間は日本のアジサイと同じで何カ月も咲くということはないそうです。この家の大家は若いイラク人でイギリスで教育を受けたようで普通のイギリス人と同じような英語を話していました。普段は南のポーツマス(だったと思いますが)に住んでいたそうであまり会ったことはなかったのですが、そういえば一度イラクのバクダットと思われるところから電話があり湾岸戦争が終わってすぐのころだったので緊張したものです。隣に老夫婦(確かご主人のFirst NameはHenryさんだった?)が住んでいて、ご主人はイギリス人には珍しく話好きで老人なので視野が狭そうでしたが目が合うと家に拉致されて何時間もウイスキーを飲むはめになるのでなるべく目が合わないようにしました。生きていればもう100歳ぐらいだと思いますが隣の家の前には「Sale Agreed」(売買成立)の看板が立っていて不動産会社の人間らしき人物が出入りしていました。イギリスは景観保護の見地から同じ通りには同じ形の・タイプの家が立ち並んでいるのですが、当時たまに夜に飲んで中心街からタクシーで帰ると暗くてしかも酔っているので、家の玄関に書かれてある住所(番号)しか目印がなく我が家の前でピッタリと止まったことがありませんでした。

 

4. Ealing Common
何の変哲もない公園ですが昔と違い子供用の遊具が設置してありました。一度1週間ほど移動遊園地が突然出現したことがあります。日本には無いですが大規模な遊園地が各地を転々とするようです。最後は娘が日本人学校の友人とこの公園を通って通学していたようです。公園を渡り切った所に駅があり日本の書籍を売っていた日系の本屋さんがありましたがさすがに見当たりませんでした。

    


(午後)
家内のたっての希望で中心部の劇場で「Mamma Mia」の観賞。劇場は地下鉄のCovent Garden駅から徒歩5分ほどのAldwych というところにあります。どこの劇場もそうですが古くてそれなりに趣があります。当時働いていた職場からも歩いて行ける距離でおそらく何度も劇場の前は通っているはずです。ミュージカルの英語は相変わらずよく分かりませんが歌は全てABBAのどこかで聞いたことがある歌ばかりでそれなりに楽しめました。帰りはCovent Gardenの市場を通って帰りましたがここも昔と変わりませんね。
http://www.boxoffice.co.uk/arts-and-theatre-tickets/musicals/mamma-mia-tickets.aspx?gclid=CJ3kibLNhb8CFUUAvAod0pAANw


    

Posted by tsukuma at 20:53Comments(0)

2014/06/13

ロンドン旅行

     



暫くブログを更新していませんが、先日のロンドン旅行について若干のコメントを。「ベトナムの思い出」というタイトルに偽りありですがご勘弁を。

ロンドン旅行についてはかなり前から夫婦で話していましたが思いきって今回出かけることにしました。1990年から1993年まで駐在ということで家族全員でロンドンで過ごしたわけですが、帰国後20年が経過し私は2000年2月の出張が最後で約15年ぶり、家内は実に20年ぶりの再訪になりました。

1. 2014年5月30日(金曜日)
成田空港でバージンアトランティックに搭乗。バージンアトランティックには1980年代の終わりに出張で2-3回搭乗したことがありますが、当時は大きな機体(ジャンボ?)で客席も豪華でビジネスには機内にバーラウンジがありましたが、今回は機体は一回り小さくエコノミー席ということもあり特に豪華という印象はありませんでした。思えば2000年以来ベトナムや中国へのフライトはありましたが、12時間の長時間フライトは久しぶりでエコノミー席での12時間は正直疲れました。

2. Heathrow空港
空港の内部を移動しても空港全体の様子は全く分かりませんが、入国審査までこんなに歩いたかなと思うほど延々と歩きました。イギリスは入国審査に時間がかかるという話をよく聞き、昔も中国からの便と一緒になると一体何時になったら順番が来るのだろうと思った記憶がありますが、今回は運よくスムーズに通過出来ました。空港からは旅行会社の手配した車でホテルへ。途中我々が住んでいた地域を通過しましたが昔と同じ風景が広がっていました。さらに市街地に入る前にHammer Smithという地域を通過し、駅ビルを含む新規オフィス開発に参加し不動産不況の中で紆余曲折があり駐在の終わりごろ何とか完成したのですが、驚いたことにあれから20年プロジェクトの一部を既に取り壊していました。

3. ホテル
ホテルはビッグベン・国会議事堂のテムズ河を挟んだ向かいにあり新しい近代的な建物でした。歴史的建造物であるCounty Hall(旧ロンドン市庁舎)の隣にあり、昔何があったか思い出せませんが、さらにその隣に昔からあった病院は思い出しました。とにかく今は1年で最も日が長い季節で日没は午後9時過ぎで朝は4時には明るくなっているようです。夜は一杯やって夜11時ごろでも薄明るく小鳥がさえずっているので変な感じなのですが朝の記憶はあまりありません。朝はギリギリまで寝ていたのかな?

4. County Hall(旧ロンドン市庁舎)
大観覧車(London Eye)がテムズ川のほとりに出来たのはテレビで見て知っていたのですが、何と歴史的建造物であるCounty Hallにぴったりと隣接していて景観を重視するイギリス人がよく許したなというぐらい一体となっています。County Hallについては様々な苦い思い出があり久しぶりにみて感慨深いものがありました。1989年だった思いますがイギリス側と日本側が50%ずつを出資して開発会社を設立しCounty Hallの再開発を行うことになり、日本側は大手信託銀行が旗振り役で大手ゼネコンと当時私が勤務していた会社が出資したのですが、途中でロンドンの不動産マーケットが急速に悪化したため、日本側の旗振り役の信託銀行が手を引くことになり、大手ゼネコンや私の会社も已むなく(個人的には已むなくという感じだったのですが?)撤退することになり、イギリス側を説得して開発会社を清算したものです。文章で簡単に書くとこんな感じなのですが、実は当時いろいろありとても全部は書ききれません。私はロンドン赴任前から本件に関わっていたのですが、ロンドンに赴任と同時に佳境に入り、毎日のように(1日何回もということがあったと思います)取締役会(私はたしか代理でしたが結局取締役本人(ロンドン現法社長)は一度も出席しなかったような?)があり英語が分からないところは教えてもらいながらとにかく必死で頑張った記憶があります。最後の取締役会終了後はイギリス側と日本側が握手をして別れこれがイギリス式かと思ったものです。County Hallの再開発についてはその後も紆余曲折があり今はメインとしてマリオットホテルが営業しているようです。London Eyeには最後の日に乗って一周しました。

(引き続き次回以降)


       

Posted by tsukuma at 23:21Comments(0)