2016/01/04
Hanoi旅行(12)
11月12日(木)午前・午後
この日は夜まで予定が入っていないので、それまでは自由に時間を使えました。
自転車での移動を諦めたので、歩いてハノイの西側にあるDaewoo Hotelへ。昔はここのアパートに住んでいたので、お馴染みの場所です。地図で見ると、今宿泊しているHo Tayのアパートから、Daewooまでは約2kmですね。しかし2kmの道のりも、昔と比べると随分と変わりました。このホテルはもともと韓国のDaewooが建設して所有していたが、ちょうど私がハノイにいた頃のアジア通貨危機による韓国の経済破綻によるIMF管理の際に、会社の組織がどうなっているか知りませんが、Daewoo財閥が破綻した時もホテルを持っていたDaewooは生き残ったようで、但し、Daewooとは関係ない韓国人から聞いた話ですが、当時既にホテル等の売却の話を進めていたようです。結局、売却の話はうまく行かなかったようでその後も持ち続けたようで、やっと2012年にベトナム側の合弁相手に持ち分を売って、ベトナム資本100%になったようです。ただ、おそらく売買契約でそうなっているのだと思いますが、その後もDaewooの名前はそのまま使い続け、今でも「Daewoo Hotel」ですね。お客も韓国人が多いようで、見た目では韓国系ですね。ちなみに、ホテルの隣にアパートとオフィス棟があり、オフィス棟には韓国大使館があったのですが、よく確認していませんが、今はないようです。また、ホテルには昔はもっと従業員がいたような気がしますが、明らかに減少しており、ホテルに入る時もノーチェックでした。

なお、Daewooの隣には超高層のロッテビルが出来ていて、風景が一変してしまいました。昔は、ここはハノイによくあった大きな沼地だったのですが、5年前に訪れた時はロッテビルの建設中で、その後完成して今回初めて見ましたが、よくこんなに大きくて高いものを造ったなというのが正直な感想です。そういえば、1997年にDaewoo Hotelを持っている会社の女性会長が、韓国から視察に来たときに、ホテルで大掛かりな歓迎レセプションが行われ、私はアパートからそれを眺めていたのですが、管理会社の知り合いの韓国人が、沼地にハノイで初となるボーリング場を造れと女性会長から命令されたとぼやいていましたが、経済危機等で結局実現しませんでした。当時から沼地は韓国系が権利を持っていたのかもしれません。

Daewoo Hotelで休息のあと、さらに西へ向かって歩き始めました。最終の目的地は合弁会社が出来る前に準備室があった、HITCというシンガポール系のビルです。まだ朝食を食べていなかったので、何処かでと思っていたら、Daewoo Hotelの敷地内にパンを売っている小さな店舗があり、Daewooのパンは美味しかったなということを思い出しまし、久しぶりにまた美味しいパンを食べました。そういえば、家内はハノイに来て日本に帰る時は、必ずお土産としてパンを持って帰っていましたね。ハノイはフランスの影響が強いということがあり、まだベトナムに行ったことがない時に、湿気が低いフランスのパリで、長いフランスパンを手で持って歩くのを見て、いかにもフランス的だなと思ったのですが、その後ベトナムを初めて訪れて、同じ光景を湿気が高いハノイでも見て吃驚仰天したものです。

朝食の後さらに西へ進みました。地図で見ると、目的地はDaewooからさらに1kmほど西にあるようです。Cau Giayという通りですが、道路の真ん中で工事をしていて、道路に掲げられた看板を見ると、おそらくですが高架の鉄道路線を建設しているようです。通りには多くの店舗が並んでいますが、当然ながら街並みが昔と比べて比較にならない程洗練されていますね。

目的のHITCビルは9階建てですが、昔は周りに目立ったビルがなく遠くからでも直ぐに分かったのですが、今は高層ビルが立ち並び、よく見ないと分からなくなってしまいました。当時は、周りには今にも崩れそうな店舗や民家や小学校が建っていましたが、今ではすっかり消えて、近代的な街並みに生まれ変わっていました。

HITCビル自体は昔と同じです。中に入ると1階から直接3階にエスカレーターで行けるようになっています。当時は、たしかハノイで唯一のエスカレーターで、3階で何か催し物がないと動いていませんでしたが、今は常時動いているようです。3階には食堂があって当時は外国人しか利用していませんでしたが、当日は私以外はベトナム人でした。食堂のレイアウトや壁の色合いが、1997年と全く同じように見えて懐かしくてしょうがありませんでした。壁にかけていたテレビの位置も全く同じで、そういえば1997年にペルーで起こった日本大使館人質事件で軍隊が突入して日本人の人質が解放されたニュースはここで見ましたね。食堂の従業員に、部屋の写真を撮っていいかどうか確認したらNoだったので、残念ながら写真はありませんが。ただ、当時はもう一人の日本人と何時も一緒だったので窮屈でしょうがありませんでした。今思い出しても嫌な思い出のひとつです。

行って思い出しましたが、HITCから道路の向かい側に大学があり、大学のことをベトナム語でDai Hocということをついでに思い出しました。教育大学と聞いた記憶がありますが、残念ながら道路の真ん中で鉄道高架工事をやっていてよく見えません。当時は、学生を含むベトナム人は一般的にサンダル履きが多く、靴を履いている人が比較的少ないという印象でしたが、今回は11月ということもありましたが、学生も全員が靴を履いていて服装も当時と比べると格段に垢ぬけています。そういえば、私も福岡の学生時代は夏に靴を履いたことがなく、社会人になって東京に来て東京の大学生は夏でも靴を履いているのを見て驚いたことがありました。ちなみに当時私は社会人として、夏でも靴を履かざるを得ず、水虫になりました。

帰りも当然行きと同じく歩いて帰ったのですが、超高層のロッテホテルや一応韓国系のDaewoo Hotel等がある韓国村の目と鼻の先に、かなりの数の日本レストランがあるのを発見しました。その一角にある高層ビル(V Towerというらしい。但し、ロッテビルに比べれば比較にならない程小さいですが。)は表玄関に日ノ丸が掲揚されているのでおそらく日系だと思いますが、このビルは2000年ごろには建っていてキーテナントとして日系のスーパー(西友だったかな?)が入居していました。今は別のテナントが入居していますが、その関係でこの一帯には日本レストランが多いのかもしれません?私も我慢できずに、その中の一軒に入りサバ定食を食べました。
この日は夜まで予定が入っていないので、それまでは自由に時間を使えました。
自転車での移動を諦めたので、歩いてハノイの西側にあるDaewoo Hotelへ。昔はここのアパートに住んでいたので、お馴染みの場所です。地図で見ると、今宿泊しているHo Tayのアパートから、Daewooまでは約2kmですね。しかし2kmの道のりも、昔と比べると随分と変わりました。このホテルはもともと韓国のDaewooが建設して所有していたが、ちょうど私がハノイにいた頃のアジア通貨危機による韓国の経済破綻によるIMF管理の際に、会社の組織がどうなっているか知りませんが、Daewoo財閥が破綻した時もホテルを持っていたDaewooは生き残ったようで、但し、Daewooとは関係ない韓国人から聞いた話ですが、当時既にホテル等の売却の話を進めていたようです。結局、売却の話はうまく行かなかったようでその後も持ち続けたようで、やっと2012年にベトナム側の合弁相手に持ち分を売って、ベトナム資本100%になったようです。ただ、おそらく売買契約でそうなっているのだと思いますが、その後もDaewooの名前はそのまま使い続け、今でも「Daewoo Hotel」ですね。お客も韓国人が多いようで、見た目では韓国系ですね。ちなみに、ホテルの隣にアパートとオフィス棟があり、オフィス棟には韓国大使館があったのですが、よく確認していませんが、今はないようです。また、ホテルには昔はもっと従業員がいたような気がしますが、明らかに減少しており、ホテルに入る時もノーチェックでした。
なお、Daewooの隣には超高層のロッテビルが出来ていて、風景が一変してしまいました。昔は、ここはハノイによくあった大きな沼地だったのですが、5年前に訪れた時はロッテビルの建設中で、その後完成して今回初めて見ましたが、よくこんなに大きくて高いものを造ったなというのが正直な感想です。そういえば、1997年にDaewoo Hotelを持っている会社の女性会長が、韓国から視察に来たときに、ホテルで大掛かりな歓迎レセプションが行われ、私はアパートからそれを眺めていたのですが、管理会社の知り合いの韓国人が、沼地にハノイで初となるボーリング場を造れと女性会長から命令されたとぼやいていましたが、経済危機等で結局実現しませんでした。当時から沼地は韓国系が権利を持っていたのかもしれません。
Daewoo Hotelで休息のあと、さらに西へ向かって歩き始めました。最終の目的地は合弁会社が出来る前に準備室があった、HITCというシンガポール系のビルです。まだ朝食を食べていなかったので、何処かでと思っていたら、Daewoo Hotelの敷地内にパンを売っている小さな店舗があり、Daewooのパンは美味しかったなということを思い出しまし、久しぶりにまた美味しいパンを食べました。そういえば、家内はハノイに来て日本に帰る時は、必ずお土産としてパンを持って帰っていましたね。ハノイはフランスの影響が強いということがあり、まだベトナムに行ったことがない時に、湿気が低いフランスのパリで、長いフランスパンを手で持って歩くのを見て、いかにもフランス的だなと思ったのですが、その後ベトナムを初めて訪れて、同じ光景を湿気が高いハノイでも見て吃驚仰天したものです。

朝食の後さらに西へ進みました。地図で見ると、目的地はDaewooからさらに1kmほど西にあるようです。Cau Giayという通りですが、道路の真ん中で工事をしていて、道路に掲げられた看板を見ると、おそらくですが高架の鉄道路線を建設しているようです。通りには多くの店舗が並んでいますが、当然ながら街並みが昔と比べて比較にならない程洗練されていますね。


目的のHITCビルは9階建てですが、昔は周りに目立ったビルがなく遠くからでも直ぐに分かったのですが、今は高層ビルが立ち並び、よく見ないと分からなくなってしまいました。当時は、周りには今にも崩れそうな店舗や民家や小学校が建っていましたが、今ではすっかり消えて、近代的な街並みに生まれ変わっていました。

HITCビル自体は昔と同じです。中に入ると1階から直接3階にエスカレーターで行けるようになっています。当時は、たしかハノイで唯一のエスカレーターで、3階で何か催し物がないと動いていませんでしたが、今は常時動いているようです。3階には食堂があって当時は外国人しか利用していませんでしたが、当日は私以外はベトナム人でした。食堂のレイアウトや壁の色合いが、1997年と全く同じように見えて懐かしくてしょうがありませんでした。壁にかけていたテレビの位置も全く同じで、そういえば1997年にペルーで起こった日本大使館人質事件で軍隊が突入して日本人の人質が解放されたニュースはここで見ましたね。食堂の従業員に、部屋の写真を撮っていいかどうか確認したらNoだったので、残念ながら写真はありませんが。ただ、当時はもう一人の日本人と何時も一緒だったので窮屈でしょうがありませんでした。今思い出しても嫌な思い出のひとつです。



行って思い出しましたが、HITCから道路の向かい側に大学があり、大学のことをベトナム語でDai Hocということをついでに思い出しました。教育大学と聞いた記憶がありますが、残念ながら道路の真ん中で鉄道高架工事をやっていてよく見えません。当時は、学生を含むベトナム人は一般的にサンダル履きが多く、靴を履いている人が比較的少ないという印象でしたが、今回は11月ということもありましたが、学生も全員が靴を履いていて服装も当時と比べると格段に垢ぬけています。そういえば、私も福岡の学生時代は夏に靴を履いたことがなく、社会人になって東京に来て東京の大学生は夏でも靴を履いているのを見て驚いたことがありました。ちなみに当時私は社会人として、夏でも靴を履かざるを得ず、水虫になりました。


帰りも当然行きと同じく歩いて帰ったのですが、超高層のロッテホテルや一応韓国系のDaewoo Hotel等がある韓国村の目と鼻の先に、かなりの数の日本レストランがあるのを発見しました。その一角にある高層ビル(V Towerというらしい。但し、ロッテビルに比べれば比較にならない程小さいですが。)は表玄関に日ノ丸が掲揚されているのでおそらく日系だと思いますが、このビルは2000年ごろには建っていてキーテナントとして日系のスーパー(西友だったかな?)が入居していました。今は別のテナントが入居していますが、その関係でこの一帯には日本レストランが多いのかもしれません?私も我慢できずに、その中の一軒に入りサバ定食を食べました。

Posted by tsukuma at 06:40│Comments(0)