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2015/12/29
Hanoi旅行(11)
11月11日(水)
この日はVanさんの提案で、ハノイから観光バスに乗って約2時間の場所にある寺院訪問と川下り(上り)を楽しみました。Vanさんは水曜日ということで休暇を取ったようで、またKimさん夫婦も一緒です。寺院の名前は日本語のネットによれば「バイディン寺」というらしいのですが、場所はここで間違いないのですが、彼女達は別の名前を言っていたような気がしますが思い出せない?Kimさんは(元)合弁会社でTea Ladyをしていた人で、元Staffたちの中では唯一英語を喋らない人ですが、5年前にハノイを訪問した時は、我々を含む元staffたちを郊外にある立派な別荘に招待してくれて、よく分かりませんがかなりの資産家のようです。今回はHa Long Bay行きと同じく、ご主人も一緒に参加しました。Kimさんは正確な年齢は忘れましたが、記憶によれば、私より10歳程度若かったのでは?ご主人も正確な年齢は知りませんが私より若いのは間違いないのですが、どうも夫婦そろって引退して悠々自適の生活をしているようです。

朝、私がHo Tayを自転車で1周した後アパートで待っていたら、3人がタクシー乗ってやってきました。事前に電話があったのですが、本当は朝食にPhoを食べる予定だったが、やや時間が遅れたこともあり、タクシーの中で朝食を食べたのですが、何を食べたのか思い出せません?ベトナム特有のものだったような気がしますが?何だったかな?とにかくタクシーは観光バスの待ち会い場所に到着しました。場所はおそらく旧市街の外れだと思いますが、要は、狭い通りの歩道に、お風呂の椅子のようなものを置いて、お茶を提供する商売をしているところです。そうこうしているうちに観光バスがやって来たのですが、これが普通の大きさの大型観光バスで、狭い通りを無理して走行しているような感じです。私は言われるまま一番前の運転席の隣に座り、他の3人は真ん中あたりの席に座りました。私にはどういう観光バスかよく分からないのですが、我々はほぼ最初の乗客のようで、その後あちらこちらに寄って観光客を拾っていったようで、最終的にバスはほぼ満員になりました。とにかく狭い通りを通って行くので、一度トラックの運転手とトラブルになり何か言いあいをしていました。乗客は殆どがベトナム人のようでしたが、韓国人のグループが10名ほどと、日本人が私の他にもう1名いたようです。もう1名の日本人とは話はしませんでしたが、30歳代のちょっと格好いい男性で、カメラが趣味のようで盛んに写真を撮っていました。もしかしたらプロのカメラマンかもしれませんが?

観光バスは高速道路を順調に進み約2時間で目的地に到着しました。ちなみに地図で見るとハノイの南にあります。東南アジア最大の寺院らしいのですが、オープンは2010年とのことで、まだ外国人にはあまり知られていないようで、確かに欧米人は殆ど見なかったですね。ちなみに、同じバスに乗っていた韓国人や日本人はどうして当地を知ったのか?なお、ネットによると寺院はまだ完成していないようで、そういえば、まだ工事中のところがありましたね。


私はベトナム人3人と一緒だったので気が楽でしたが、それでもツアーガイドが韓国人や日本人向けにまず英語で説明してくれたので非常に助かりました。まず、バスを降りて黄色の電気自動車に乗って寺院まで行きました。ちなみに、この電気自動車は、私自身は日本ではゴルフ場以外では見た記憶がないのですが(もっとも、私は最近はゴルフはやらないのでかなり昔の記憶ですが)、ハノイではかなり普及しているようで、中心地でも例えばHoan Kiem Lake周遊やHo Tay周遊で活躍しているようです。

大きな寺院は3つあり、それぞれが結構離れていて、しかもだんだんと高くなっているので、歩いて行くのも結構大変でした。しかし途中の回廊には様々の仏像があり、観光客受けを狙っているのか、かなりユニークなものが多かったようです。

寺院の後はまた電気自動車に乗ってバスまで戻り、ランチの後は川下り(上り)です。あとでネットで見ると、「チャンアン」というところらしいのですが、川下りは個人的には3回目で、1回目はビッグドンというところで1997年に家内と一緒で、また5年前にはホアルーというところに娘と一緒に行きましたが、3カ所とも各々近くにあるようです。ちなみに、3カ所とも「陸のHa Long Bay」と言われているようです。私もよく分からないのですが、この「チャンアン」というところは、まだ観光地化されて日が浅いとのことで、そう言われてみれば、お店とか設備が前に行った2カ所に比べれば少なかったような気がします。しかし、水の透明度等は抜群で、なにより洞窟や鍾乳洞の数が圧倒的に多く、中にはもう高さが限界というほど低い鍾乳洞等があり、体を頭毎船底に屈めないと通れなかったりします。おそらく中には頭を打ちつけてしまう観光客もいるに違いない。自分のことで精いっぱいで見ていなかったが、漕ぎ手の女性は低いところをどうやって通っていたのか?

ところで、前2回は折り返し地点で、刺繍等の物売りが始まり、船の上で逃げようがないので買わざるを得ないのだが、幸い私の場合は一緒だった家内や娘が売り物に興味があったようなので問題なかったようです。価格はどうなのかよく分かりませんでしたが?ところが今回はその物売りがありませんでした。ベトナム人と一緒だったせいなのかもしれませんが、別のボートに乗った韓国人のグループも、そんな時間はなかったような気がしますが?ネットによれば、まだ観光地化されて日が浅いので、そういうものがまだないと書かれていますが?

ということで、1日たっぷり過ごしてまたHanoiに戻りました。到着はまた朝と同じ場所で降りたので、我々は1番最後だったようです。なお、前回記載しましたが、前日場所が分からずに営業を停止したと思っていた日本レストラン「サイゴンさくら」をバスの中から偶然見つけました。最後にバスをおりて時間も遅くなったのでディナーということでPhoを食べました。Phoは朝だけではないようです。

この日はVanさんの提案で、ハノイから観光バスに乗って約2時間の場所にある寺院訪問と川下り(上り)を楽しみました。Vanさんは水曜日ということで休暇を取ったようで、またKimさん夫婦も一緒です。寺院の名前は日本語のネットによれば「バイディン寺」というらしいのですが、場所はここで間違いないのですが、彼女達は別の名前を言っていたような気がしますが思い出せない?Kimさんは(元)合弁会社でTea Ladyをしていた人で、元Staffたちの中では唯一英語を喋らない人ですが、5年前にハノイを訪問した時は、我々を含む元staffたちを郊外にある立派な別荘に招待してくれて、よく分かりませんがかなりの資産家のようです。今回はHa Long Bay行きと同じく、ご主人も一緒に参加しました。Kimさんは正確な年齢は忘れましたが、記憶によれば、私より10歳程度若かったのでは?ご主人も正確な年齢は知りませんが私より若いのは間違いないのですが、どうも夫婦そろって引退して悠々自適の生活をしているようです。


朝、私がHo Tayを自転車で1周した後アパートで待っていたら、3人がタクシー乗ってやってきました。事前に電話があったのですが、本当は朝食にPhoを食べる予定だったが、やや時間が遅れたこともあり、タクシーの中で朝食を食べたのですが、何を食べたのか思い出せません?ベトナム特有のものだったような気がしますが?何だったかな?とにかくタクシーは観光バスの待ち会い場所に到着しました。場所はおそらく旧市街の外れだと思いますが、要は、狭い通りの歩道に、お風呂の椅子のようなものを置いて、お茶を提供する商売をしているところです。そうこうしているうちに観光バスがやって来たのですが、これが普通の大きさの大型観光バスで、狭い通りを無理して走行しているような感じです。私は言われるまま一番前の運転席の隣に座り、他の3人は真ん中あたりの席に座りました。私にはどういう観光バスかよく分からないのですが、我々はほぼ最初の乗客のようで、その後あちらこちらに寄って観光客を拾っていったようで、最終的にバスはほぼ満員になりました。とにかく狭い通りを通って行くので、一度トラックの運転手とトラブルになり何か言いあいをしていました。乗客は殆どがベトナム人のようでしたが、韓国人のグループが10名ほどと、日本人が私の他にもう1名いたようです。もう1名の日本人とは話はしませんでしたが、30歳代のちょっと格好いい男性で、カメラが趣味のようで盛んに写真を撮っていました。もしかしたらプロのカメラマンかもしれませんが?


観光バスは高速道路を順調に進み約2時間で目的地に到着しました。ちなみに地図で見るとハノイの南にあります。東南アジア最大の寺院らしいのですが、オープンは2010年とのことで、まだ外国人にはあまり知られていないようで、確かに欧米人は殆ど見なかったですね。ちなみに、同じバスに乗っていた韓国人や日本人はどうして当地を知ったのか?なお、ネットによると寺院はまだ完成していないようで、そういえば、まだ工事中のところがありましたね。



私はベトナム人3人と一緒だったので気が楽でしたが、それでもツアーガイドが韓国人や日本人向けにまず英語で説明してくれたので非常に助かりました。まず、バスを降りて黄色の電気自動車に乗って寺院まで行きました。ちなみに、この電気自動車は、私自身は日本ではゴルフ場以外では見た記憶がないのですが(もっとも、私は最近はゴルフはやらないのでかなり昔の記憶ですが)、ハノイではかなり普及しているようで、中心地でも例えばHoan Kiem Lake周遊やHo Tay周遊で活躍しているようです。



大きな寺院は3つあり、それぞれが結構離れていて、しかもだんだんと高くなっているので、歩いて行くのも結構大変でした。しかし途中の回廊には様々の仏像があり、観光客受けを狙っているのか、かなりユニークなものが多かったようです。
寺院の後はまた電気自動車に乗ってバスまで戻り、ランチの後は川下り(上り)です。あとでネットで見ると、「チャンアン」というところらしいのですが、川下りは個人的には3回目で、1回目はビッグドンというところで1997年に家内と一緒で、また5年前にはホアルーというところに娘と一緒に行きましたが、3カ所とも各々近くにあるようです。ちなみに、3カ所とも「陸のHa Long Bay」と言われているようです。私もよく分からないのですが、この「チャンアン」というところは、まだ観光地化されて日が浅いとのことで、そう言われてみれば、お店とか設備が前に行った2カ所に比べれば少なかったような気がします。しかし、水の透明度等は抜群で、なにより洞窟や鍾乳洞の数が圧倒的に多く、中にはもう高さが限界というほど低い鍾乳洞等があり、体を頭毎船底に屈めないと通れなかったりします。おそらく中には頭を打ちつけてしまう観光客もいるに違いない。自分のことで精いっぱいで見ていなかったが、漕ぎ手の女性は低いところをどうやって通っていたのか?


ところで、前2回は折り返し地点で、刺繍等の物売りが始まり、船の上で逃げようがないので買わざるを得ないのだが、幸い私の場合は一緒だった家内や娘が売り物に興味があったようなので問題なかったようです。価格はどうなのかよく分かりませんでしたが?ところが今回はその物売りがありませんでした。ベトナム人と一緒だったせいなのかもしれませんが、別のボートに乗った韓国人のグループも、そんな時間はなかったような気がしますが?ネットによれば、まだ観光地化されて日が浅いので、そういうものがまだないと書かれていますが?

ということで、1日たっぷり過ごしてまたHanoiに戻りました。到着はまた朝と同じ場所で降りたので、我々は1番最後だったようです。なお、前回記載しましたが、前日場所が分からずに営業を停止したと思っていた日本レストラン「サイゴンさくら」をバスの中から偶然見つけました。最後にバスをおりて時間も遅くなったのでディナーということでPhoを食べました。Phoは朝だけではないようです。


Posted by tsukuma at
16:54
│Comments(1)
2015/12/27
Hanoi旅行(10)
11月10日(火)午後
もしかしたら11月9日(月)の午後だったかもしれませんが、Vanさんの弟がスポーツ用の自転車をアパートに持って来てくれました。私が昔と同じように自転車に乗ってハノイを散策したいという話をしたので、自転車を貸してくれるということになったものです。実は、この弟に実際に会うのは初めてですが、1997年にVanさんから話は聞いていたことを思い出しました。今36-37歳とのことなので、当時は18歳ぐらいの高校生だったと思いますが、私の家内がハノイで一人暮らしの私のために、ミルクを混ぜて冷凍庫で冷やせば出来るインスタントのアイスクリームを持ってきてくれたのですが、私はそこまでしてアイスクリームを作るのが面倒で、説明書きは日本語だったので主要な部分を英訳して、全部をVanさんともう一人の女性にあげたのですが、Vanさんが家で作って当時高校生の弟に大好評だったという話を思い出しました。なお、せっかく家内が準備してくれたアイスクリームの元を、人にあげてしまったことは、家内には内諸にしていたかもしれません?

当時はスポーツ用の自転車はハノイでは殆ど見た記憶がないのですが、今ではみんな健康増進のためかヘルメットを着用してよく乗っているようで、実際にかなり見かけました。ところで、私が借りた自転車には、暫くして気がついたのですが、埼玉県警の防犯シールがついていて、何のシールかを彼らに説明したら、日本語が読めないので当然防犯シールの件は分からなかったのですが、日本からの中古の輸入品という認識はあったようです。

ということで、ハノイの町を疾走するつもりで自転車を借りたのですが、Ho Tayを自転車で1周することを除き、市内を自転車でというのは早々に諦めました。理由はいくつかあるのですが、①昔とは比較にならない程のものすごい交通量をみて怖気づいてしまった②昔の感が戻らない③確実に20歳近く年を取っておりイメージ通りに体が動かない、等です。残念ながら、交通量は飛躍的に増えているのに、道路を走っている自転車の数自体は逆にかなり減っており、もう多くの自転車に紛れて走るのは不可能な状況になっていました。

その代わり、毎朝Ho Tayを時計回りに1周していました。通常1時間程度と聞いていたのですが、私の場合はゆっくり走っていたせいか、もう少し時間がかかったようです。昔も休日には同じコースを自転車で走っていたのですが、正確にいうと同じコースではあるが、今は新しい道路が湖に沿ってできており、昔はかなり危険と隣り合わせの状況でしたが、今ではかなり安全な走行が出来ました。自転車専用道路ではないので、時々ヒヤッとすることもありましたが、安全性は昔とは比較になりません。1-2回ですが観光客が乗っていない観光用の電気バスのような乗り物も見たような気がします。おそらく昼間の時間帯は観光客を乗せて頻繁に走っているのでしょう。

自転車でHo Tayを1周していると、明らかに街並みが進化しているのが分かります。また対岸から見るとハノイの町が明らかに高層化しています。日本が長期不況でモタモタしている間にハノイは随分と進んだようです。

Ho Tay1周の後半になると、なんと言うのかスライダー等の設備がある「Water Park」があります。2000年ごろに出来た施設で、当時ホーチミン市で人気のアトラクションと同じ施設をハノイにも作ったと聞いた記憶がありますが、今回は(一応)冬季なのでPark自体は閉鎖されていました。2000年ごろにはあまりにもお客が少なかったので、大丈夫かなと思ったことがあるのですが、おそらくその後お客が増えたのだと思います。今回、15年が経過し、老朽化も目立つ施設がまだ残っているのを発見して、正直嬉しくなりました。ただ、ハノイでは日本人の常識で考えると、とっくにアウトで退場すべきホテルやテーマパーク等の施設がしぶとく残っているケースがあり驚くことも結構あります。何故なのか私には分からないのですが?

またこの辺は、昔は水田地帯で、学校に遅れそうな小学生が勝手に(了解は取っていたのでしょうが、言葉が分からなかったので、勝手に乗ったと思っていました)自転車の荷台に乗って手で方向を指示して、よく小学校の近くまで送ったものです。今はもうそんな小学生は見当たりませんね。
最後はフランス風の建物が多い地域で、昔は外国人が多く住んでいた地域ですが、湖に沿った道路はおそらく新しく造ったものだと思います。建物は昔からあったので道路がその間を通ってかなり曲がりくねっています。

とにかく、Ho Tayの周りは毎日早朝に自転車で1周していました。

11月10日(火)夜
年のせいか、ベトナム料理が続くと日本料理が恋しくなり、また中心街に戻り当時よく行っていた合弁会社の近くの「サイゴンさくら」という日本レストランに行ってみました。ここでよく豚カツ定食を食べたものです。ネットによればまだ営業しているようなので行ってみたのですが、行ってみたら見当たりません。場所を勘違いしているかなと思って、廻りも探してみたのですがやはりありません。てっきり営業を停止したのかと思っていたら、実は翌日観光バスで郊外まで行って帰りに、オペラハウスの近くで昔と同じ「サイゴンさくら」の店構えの店をたまたまバスから見つけました。場所を少しですが移転していたようで。ネットを見るとかなり最近引っ越したようです。ということで、その日は「サイゴンさくら」には行けなくて、結局前の日と同じレストランに行きました。

なお、アパートはホテルと違い備品がありません。洗面用具等は一応持って行ったのですがタオルがありません。ということで、タオルを買おうとするのですが、これが見当たらない。Vanさんに聞けばなんとかしてくれるのかもしれませんが、そこまで面倒はかけられないので、自分で何とかお店を見つけようとするのですが見つけられません。やっと、ハンカチのような小さなタオルを見つけ、お店の人にもっと大きいのはないのかと聞くのですが、(おそらく)それしかないと言う。夜も遅くなると、言葉が通じないこともあり、だんだん面倒になり、寒くもないので結局小さなタオル2枚で過ごしました。次回はちゃんと準備して行こう。
もしかしたら11月9日(月)の午後だったかもしれませんが、Vanさんの弟がスポーツ用の自転車をアパートに持って来てくれました。私が昔と同じように自転車に乗ってハノイを散策したいという話をしたので、自転車を貸してくれるということになったものです。実は、この弟に実際に会うのは初めてですが、1997年にVanさんから話は聞いていたことを思い出しました。今36-37歳とのことなので、当時は18歳ぐらいの高校生だったと思いますが、私の家内がハノイで一人暮らしの私のために、ミルクを混ぜて冷凍庫で冷やせば出来るインスタントのアイスクリームを持ってきてくれたのですが、私はそこまでしてアイスクリームを作るのが面倒で、説明書きは日本語だったので主要な部分を英訳して、全部をVanさんともう一人の女性にあげたのですが、Vanさんが家で作って当時高校生の弟に大好評だったという話を思い出しました。なお、せっかく家内が準備してくれたアイスクリームの元を、人にあげてしまったことは、家内には内諸にしていたかもしれません?

当時はスポーツ用の自転車はハノイでは殆ど見た記憶がないのですが、今ではみんな健康増進のためかヘルメットを着用してよく乗っているようで、実際にかなり見かけました。ところで、私が借りた自転車には、暫くして気がついたのですが、埼玉県警の防犯シールがついていて、何のシールかを彼らに説明したら、日本語が読めないので当然防犯シールの件は分からなかったのですが、日本からの中古の輸入品という認識はあったようです。

ということで、ハノイの町を疾走するつもりで自転車を借りたのですが、Ho Tayを自転車で1周することを除き、市内を自転車でというのは早々に諦めました。理由はいくつかあるのですが、①昔とは比較にならない程のものすごい交通量をみて怖気づいてしまった②昔の感が戻らない③確実に20歳近く年を取っておりイメージ通りに体が動かない、等です。残念ながら、交通量は飛躍的に増えているのに、道路を走っている自転車の数自体は逆にかなり減っており、もう多くの自転車に紛れて走るのは不可能な状況になっていました。


その代わり、毎朝Ho Tayを時計回りに1周していました。通常1時間程度と聞いていたのですが、私の場合はゆっくり走っていたせいか、もう少し時間がかかったようです。昔も休日には同じコースを自転車で走っていたのですが、正確にいうと同じコースではあるが、今は新しい道路が湖に沿ってできており、昔はかなり危険と隣り合わせの状況でしたが、今ではかなり安全な走行が出来ました。自転車専用道路ではないので、時々ヒヤッとすることもありましたが、安全性は昔とは比較になりません。1-2回ですが観光客が乗っていない観光用の電気バスのような乗り物も見たような気がします。おそらく昼間の時間帯は観光客を乗せて頻繁に走っているのでしょう。


自転車でHo Tayを1周していると、明らかに街並みが進化しているのが分かります。また対岸から見るとハノイの町が明らかに高層化しています。日本が長期不況でモタモタしている間にハノイは随分と進んだようです。


Ho Tay1周の後半になると、なんと言うのかスライダー等の設備がある「Water Park」があります。2000年ごろに出来た施設で、当時ホーチミン市で人気のアトラクションと同じ施設をハノイにも作ったと聞いた記憶がありますが、今回は(一応)冬季なのでPark自体は閉鎖されていました。2000年ごろにはあまりにもお客が少なかったので、大丈夫かなと思ったことがあるのですが、おそらくその後お客が増えたのだと思います。今回、15年が経過し、老朽化も目立つ施設がまだ残っているのを発見して、正直嬉しくなりました。ただ、ハノイでは日本人の常識で考えると、とっくにアウトで退場すべきホテルやテーマパーク等の施設がしぶとく残っているケースがあり驚くことも結構あります。何故なのか私には分からないのですが?


またこの辺は、昔は水田地帯で、学校に遅れそうな小学生が勝手に(了解は取っていたのでしょうが、言葉が分からなかったので、勝手に乗ったと思っていました)自転車の荷台に乗って手で方向を指示して、よく小学校の近くまで送ったものです。今はもうそんな小学生は見当たりませんね。
最後はフランス風の建物が多い地域で、昔は外国人が多く住んでいた地域ですが、湖に沿った道路はおそらく新しく造ったものだと思います。建物は昔からあったので道路がその間を通ってかなり曲がりくねっています。


とにかく、Ho Tayの周りは毎日早朝に自転車で1周していました。


11月10日(火)夜
年のせいか、ベトナム料理が続くと日本料理が恋しくなり、また中心街に戻り当時よく行っていた合弁会社の近くの「サイゴンさくら」という日本レストランに行ってみました。ここでよく豚カツ定食を食べたものです。ネットによればまだ営業しているようなので行ってみたのですが、行ってみたら見当たりません。場所を勘違いしているかなと思って、廻りも探してみたのですがやはりありません。てっきり営業を停止したのかと思っていたら、実は翌日観光バスで郊外まで行って帰りに、オペラハウスの近くで昔と同じ「サイゴンさくら」の店構えの店をたまたまバスから見つけました。場所を少しですが移転していたようで。ネットを見るとかなり最近引っ越したようです。ということで、その日は「サイゴンさくら」には行けなくて、結局前の日と同じレストランに行きました。

なお、アパートはホテルと違い備品がありません。洗面用具等は一応持って行ったのですがタオルがありません。ということで、タオルを買おうとするのですが、これが見当たらない。Vanさんに聞けばなんとかしてくれるのかもしれませんが、そこまで面倒はかけられないので、自分で何とかお店を見つけようとするのですが見つけられません。やっと、ハンカチのような小さなタオルを見つけ、お店の人にもっと大きいのはないのかと聞くのですが、(おそらく)それしかないと言う。夜も遅くなると、言葉が通じないこともあり、だんだん面倒になり、寒くもないので結局小さなタオル2枚で過ごしました。次回はちゃんと準備して行こう。
Posted by tsukuma at
08:04
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2015/12/26
Hanoi旅行(9)
11月10日(火)午前
この日は(元)合弁会社のベトナム人の(元)社長が、懐かしいハノイの中心街を案内してくれるということで、アパートで待っていたら、タクシーに乗ってやって来て、そこから歩いて中心街までいくことになりましたが、アパートは旧市街の北端にあり中心街まではそんなに遠くはないですね。直ぐに朝食をということで、アパートの近くのPho屋さんに行きました。ちなみに前日Hanh Namさんと行ったPho屋さんと同じ店です。

そこからさらに歩いて中心街へ向かいました。途中にフランスが19世紀に作ったという懐かしい石造りの給水塔(今は給水塔としては使われていないのでは?)があり、また近くにGalaxy Hotelがありました。このHotelには泊まったことはないですが1997年には既にありましたね。Websiteによると、開業は1995年だそうだから、当時はオープンして間もないころですね。なお、日本語のネットには同ホテルはベトナム政府の土地収用に伴い、11月30日を以て営業終了と書いていますね?HPには、少なくとも英語版には、そんなことは一言も書いていないようですが?

それから先は、わずか約1カ月前のことなのに、順番をよく覚えていないのですが、次はおそらくドンスアン市場の前に出たと思います。

本日の主な目的地は、Hoan Kiem Lakeの南側の(元)合弁会社があったビルの再訪です。もともとビルのオーナーは旅行会社でしたが、彼によるとオーナーが変わったか旅行会社の名前が変わったようです。当該ビルは3階建ての由緒あるコロニアル風オフィスビルで、それなりに老朽化しているはずですが、見る限りは昔と同じですね。(元)合弁会社は3階で、中には入れませんでしたが、植木で覆われたバルコニーは健在でしたね。Air Franceが引き続きテナントとして入っているようです。JALも、当時はハノイと日本の直行便がなかったにも拘わらず何故かハノイ・オフィスがあり、当該ビルの2階に入居していましたが、私がハノイにいる間に近くのオペラハウスの近くの(当時は)新しいビルに移りました。今はさらに別のところで営業しているようです。

Hoan Kiem LakeのそばのオープンスペースのCaféも健在です。5年前に来た時も元同僚や私の娘と一緒にここでLunchをしましたね。

Hoan Kiem Lakeを一周しましたが、殆ど昔と変わりません。彼曰く、ハノイはHoan Kiemが全てだそうですが、私はそんなことはないと思います。

旧市街もあちこちを廻り、Silkの通りや仏具店の通り等を廻り、お土産もたくさん頂きました。お土産は、最初は断ったのですが、せっかくの好意なので最終的にはありがたく頂きました。ただ、仏具用品は結構重量があり、飛行機で帰る時に重量オーバーにならないかと心配していたのですが、結果的には大丈夫でした。ちなみに、ハノイは旧市街地に限らず、同じ通りで同業者が同じ物を売っているというスタイルですね。

お昼は、旧市街地の中のレストランへ。彼によると、外国人観光客が多くて有名なレストランらしいのですが、彼自身も初めて入るとのことでした。ちなみに、我々以外のお客はみんなフランス人でした。また昼間から焼酎(Vodka)を飲んでいい気分になりました。

ということで結構いい気分になったのですが、あまり長居をしてもよくないので適当に切り上げることにしました。ちなみに彼は75歳になるそうで、そういえば最後に合弁会社を解散した2001年3月31日に、彼はもうすぐ60歳になるという話をしていたのを思い出しました。また、60歳になれば親元のVietcom Bankも定年になるという話もしていました。当時はハノイの西のLang Haにあった彼のアパート(おそらく銀行の社宅)や、休日には隣の省(但し、ハノイからそんなに遠くはなかったと思います)のHa Tayにあった彼の実家も連れっていってもらい、彼の実家からハノイに帰る時には、平原でどこが道路かも私にはよく分からない場所で、まだ昼間なのに急にカラオケに行こうと言い出し、農家の納屋みたいなところに入ったらカラオケの機械があり、そのうちに何処からか若い女性も現れビックリしたことを思い出しました。歌の方は当然ベトナム語の歌だけなので、私は聞いていただけでしたが、とにかく驚きの連続だったことを思い出しました。あれから15年が経過し、私もすっかり年を取り、当時の彼よりも年上の63歳になってしまいましたね。

ところで、今回ハノイで私が受けた質問で一番多かったのが、みんなは私がもう60歳を過ぎていることは何となく知っているので、「もう引退したのか?まだ仕事を続けているのか?」ということでした。背景としては、どうもベトナムでは、①男性60歳、女性55歳が定年で、定年を迎えたら否応なしに引退。②出来れば定年前に引退したい、ということがあるようで、ある人はベトナムでは定年を過ぎてしまうと、働く場所がなく選択の余地がないので引退という話をしていました。そういえば、公園に行っても私と同世代と思われる人々が集まっているのを見かけたりしますね。私は今後も健康に過ごし、何時までも出来るだけ元気に働きたいと思っていますが、いま働くのを止めれば、生活に困るということも否定しません。ただ、日本でも私と同世代の人の中には既に引退している人もいて、私が知っている範囲では、むしろ引退した人の方が多いという現実も一方であり、もしかすると今引退を余議なくされても、何とかなるのかもしれません。ただ、ご存じのとおり日本は財政問題が厳しく、私自身はやはり働けるうちは働こうとは思います。一方、ベトナムでは、私が知っている範囲では、引退した人は引退後も優雅に暮らしており、それが可能であればそれに越したことはないと思います。どういう仕組み・システムになっているのか知りませんが、私が知っている範囲では(本当かどうかは知りませんが)年金の額もかなり多いようで、少なくともベトナムで生活する分には問題ないレベルと思われます。日本ではなかなかそうはいかず、現実問題としてお金の面で早期に引退するのは厳しいという話をことあるごとに強調しましたが、どうもみんな日本の状況はよく分からないようです。

この日は(元)合弁会社のベトナム人の(元)社長が、懐かしいハノイの中心街を案内してくれるということで、アパートで待っていたら、タクシーに乗ってやって来て、そこから歩いて中心街までいくことになりましたが、アパートは旧市街の北端にあり中心街まではそんなに遠くはないですね。直ぐに朝食をということで、アパートの近くのPho屋さんに行きました。ちなみに前日Hanh Namさんと行ったPho屋さんと同じ店です。

そこからさらに歩いて中心街へ向かいました。途中にフランスが19世紀に作ったという懐かしい石造りの給水塔(今は給水塔としては使われていないのでは?)があり、また近くにGalaxy Hotelがありました。このHotelには泊まったことはないですが1997年には既にありましたね。Websiteによると、開業は1995年だそうだから、当時はオープンして間もないころですね。なお、日本語のネットには同ホテルはベトナム政府の土地収用に伴い、11月30日を以て営業終了と書いていますね?HPには、少なくとも英語版には、そんなことは一言も書いていないようですが?




それから先は、わずか約1カ月前のことなのに、順番をよく覚えていないのですが、次はおそらくドンスアン市場の前に出たと思います。
本日の主な目的地は、Hoan Kiem Lakeの南側の(元)合弁会社があったビルの再訪です。もともとビルのオーナーは旅行会社でしたが、彼によるとオーナーが変わったか旅行会社の名前が変わったようです。当該ビルは3階建ての由緒あるコロニアル風オフィスビルで、それなりに老朽化しているはずですが、見る限りは昔と同じですね。(元)合弁会社は3階で、中には入れませんでしたが、植木で覆われたバルコニーは健在でしたね。Air Franceが引き続きテナントとして入っているようです。JALも、当時はハノイと日本の直行便がなかったにも拘わらず何故かハノイ・オフィスがあり、当該ビルの2階に入居していましたが、私がハノイにいる間に近くのオペラハウスの近くの(当時は)新しいビルに移りました。今はさらに別のところで営業しているようです。
Hoan Kiem LakeのそばのオープンスペースのCaféも健在です。5年前に来た時も元同僚や私の娘と一緒にここでLunchをしましたね。
Hoan Kiem Lakeを一周しましたが、殆ど昔と変わりません。彼曰く、ハノイはHoan Kiemが全てだそうですが、私はそんなことはないと思います。
旧市街もあちこちを廻り、Silkの通りや仏具店の通り等を廻り、お土産もたくさん頂きました。お土産は、最初は断ったのですが、せっかくの好意なので最終的にはありがたく頂きました。ただ、仏具用品は結構重量があり、飛行機で帰る時に重量オーバーにならないかと心配していたのですが、結果的には大丈夫でした。ちなみに、ハノイは旧市街地に限らず、同じ通りで同業者が同じ物を売っているというスタイルですね。
お昼は、旧市街地の中のレストランへ。彼によると、外国人観光客が多くて有名なレストランらしいのですが、彼自身も初めて入るとのことでした。ちなみに、我々以外のお客はみんなフランス人でした。また昼間から焼酎(Vodka)を飲んでいい気分になりました。
ということで結構いい気分になったのですが、あまり長居をしてもよくないので適当に切り上げることにしました。ちなみに彼は75歳になるそうで、そういえば最後に合弁会社を解散した2001年3月31日に、彼はもうすぐ60歳になるという話をしていたのを思い出しました。また、60歳になれば親元のVietcom Bankも定年になるという話もしていました。当時はハノイの西のLang Haにあった彼のアパート(おそらく銀行の社宅)や、休日には隣の省(但し、ハノイからそんなに遠くはなかったと思います)のHa Tayにあった彼の実家も連れっていってもらい、彼の実家からハノイに帰る時には、平原でどこが道路かも私にはよく分からない場所で、まだ昼間なのに急にカラオケに行こうと言い出し、農家の納屋みたいなところに入ったらカラオケの機械があり、そのうちに何処からか若い女性も現れビックリしたことを思い出しました。歌の方は当然ベトナム語の歌だけなので、私は聞いていただけでしたが、とにかく驚きの連続だったことを思い出しました。あれから15年が経過し、私もすっかり年を取り、当時の彼よりも年上の63歳になってしまいましたね。

ところで、今回ハノイで私が受けた質問で一番多かったのが、みんなは私がもう60歳を過ぎていることは何となく知っているので、「もう引退したのか?まだ仕事を続けているのか?」ということでした。背景としては、どうもベトナムでは、①男性60歳、女性55歳が定年で、定年を迎えたら否応なしに引退。②出来れば定年前に引退したい、ということがあるようで、ある人はベトナムでは定年を過ぎてしまうと、働く場所がなく選択の余地がないので引退という話をしていました。そういえば、公園に行っても私と同世代と思われる人々が集まっているのを見かけたりしますね。私は今後も健康に過ごし、何時までも出来るだけ元気に働きたいと思っていますが、いま働くのを止めれば、生活に困るということも否定しません。ただ、日本でも私と同世代の人の中には既に引退している人もいて、私が知っている範囲では、むしろ引退した人の方が多いという現実も一方であり、もしかすると今引退を余議なくされても、何とかなるのかもしれません。ただ、ご存じのとおり日本は財政問題が厳しく、私自身はやはり働けるうちは働こうとは思います。一方、ベトナムでは、私が知っている範囲では、引退した人は引退後も優雅に暮らしており、それが可能であればそれに越したことはないと思います。どういう仕組み・システムになっているのか知りませんが、私が知っている範囲では(本当かどうかは知りませんが)年金の額もかなり多いようで、少なくともベトナムで生活する分には問題ないレベルと思われます。日本ではなかなかそうはいかず、現実問題としてお金の面で早期に引退するのは厳しいという話をことあるごとに強調しましたが、どうもみんな日本の状況はよく分からないようです。


Posted by tsukuma at
05:15
│Comments(0)
2015/12/22
Hanoi旅行(8)
11月9日(月)午前
たった2時間の時差と気候の差で、夜中に何度も目が覚めてしまいましたが、最終的に起きた時には、そんなに遅い時間ではなかったのですが、旦那も長男も出かけていました。相変わらずベトナム人は朝が早い。Hanh Namさんが車で出勤する時に、私を次のアパートまで送ってくれることになっていて、今朝はベトナム麺のPhoを食べることになっていたので、私はてっきり作ってくれるのだと思って待っていたら、外で食べることが分かって、ベトナムでは特に平日の朝はみんな外食だということをすっかり忘れていて、慌てて荷持をまとめて彼女の車に乗り込みました。

月曜日の朝の道路の混雑ぶりは想像を絶するほどすごく、まだモーターバイクがかなり走っているが、車の台数がさらに増加すれば、もうどうにもならなくなるのではないだろうか?普段は旦那が車で通勤し、彼女はタクシーのことが多いそうですが、彼女のレベルではもうモーターバイクは卒業のようです。聞いてはいませんが、彼女の家にはもうモーターバイクはないようです?久しぶりのハノイですが、車は懐かしい昔よく通った道路を走っていて、道路の数は増えたとはいえ、東京等に比べればまだたいしたことはないのかもしれません。そういえば、私がハノイで勤務していたころ、東京の本社から誘拐事件等を防ぐため、車での通勤経路を毎日変えろというお達しがあり、ハノイでは変えようにも道路の数が少ないので毎日変えるほど通勤経路がない、ハノイでは誘拐事件が起きる心配はない、と回答したことがありました。ロンドンで勤務していたころも、頻発する爆弾事件に対する対応を報告しろと言ってきたことがあり、私は直接の担当ではなかったですが、対応策はないと回答したと聞きました。仕事なのでしょうがないですが、東京の本社は事情がよく分からないせいもあり、時々どうにもならないことを言ってきたものです。

そうこうするうちに、車はHo Tay(West Lake 西湖)のそばにあるアパートに到着して、取りあえず荷持を置いて、近くの、ハノイには何処にでもあるPho屋さんに入りました。Pho屋さんには、鶏(Pho Ga)か牛肉(Pho Bo)のどちらかに分かれているようで、お店によっては両方やっている所もあるようです。我々が入ったのは鶏(Pho Ga)の方でしたが、苦手なパクチ―も得意なふりをして食べました。

食事の後は、彼女はそのまま出勤し、私はアパートで取りあえずの生活のための最小限の準備をしましたが、これが結構時間がかかりました。備え付けの洗濯機で溜まった洗濯物を洗い出したら、久しぶりのドラム式洗濯機なので使い方がよく分からずに(日本の洗濯機も休日に使おうとしても使い方がよく分からないことがありますが)途中で動かなくなってしまい、しょうがないので管理人の人を呼んだのですが、言葉が通じないので身振り手振りで説明したら、何とか分かってくれたようで洗濯機は動き出したのですが、そうこうするうちにVanさんから電話があり、洗濯物は1階に出しておけば管理室の若い女性がやってくれるとのこと。ということで、その後は、毎日洗濯してもらうことになりました。

貸してくれたNokiaの小型の携帯電話はとにかく便利で、私はそもそも携帯の番号を知らず誰にも番号を教えていなかった(られなかった)のですが、とにかくいろんな人から電話があり、間違い電話と思われるベトナム語の電話も1~2回あり、私は日本では携帯電話は家族へのメール以外は殆ど使わないので、1週間で日本での年間の電話量をはるかに上回る電話を受けていました。

Maiさんという一番年長の女性の旦那から電話があり、前から約束していたのですが、電話の後にモーターバイクでアパートまでやってきました。彼は息子一家が金沢に住んでいて、時々夫婦で日本にやってくるのですが、以前は息子一家(当時は夫婦でしたが)は川崎に住んでいて会う機会も多かったのですが、息子が金沢に転勤後は(もう4年ほど経ちますか?)なかなか日本では会う機会がありません。実は、彼のハノイの家は2000年ごろ何回か行ったことがあり、そのとき彼は海外(香港?)に住んでいて、ハノイでは会ったことがなく、初めて会ったのが東京だったのですが、そういえばハノイの彼の家は正確には分からないがアパートからそんなに遠くないはずです。雨が降っていたのでモーターバイクの後ろに乗せてもらって(ヘルメットは昔と違ってちゃんと着用しました)、近くのBBQ屋さんへ。ちなみにこのBBQ屋さんは、韓国式ではなくベトナム式のようですが、何処が違うのか私にはよく分かりません。韓国式と同じくハサミで肉を切っていたような気がしますが(定かではありません?)?彼は日本語は出来ないが、金沢や富山や福井にはかなり詳しく、私は行ったことがないのでなかなか話についていけません。結局、来年は金沢で会おうと言うことになったのですが、私の方は金沢に行けるかどうか分からないと言ったつもりですが、私の金沢行きのタイミングを聞いて自分達に日本への旅行のスケジュールを決めると言っていたような気がします。というような、たわいもない話をしていたが、結構昼間からビールを飲んでしまいました。ということで、アパートに戻ったのはまだ明るかったと思いますが、疲れもありひと眠りしたような気がします。

夜は一人だったので、Ho Tayiの湖の側にあるこのレストランへ。このレストラン「BÁNH TÔM HỒ TÂY」という名前らしい。実はそれまでレストランの名前は知らなかったのですが、1997年以来もう何度来たか分かりません。どうも私は店の名前や地名や通りの名前等生活に必要な最小限のベトナム語の名前さえ覚えられなかったようです。ひとつには運転手さんに、あそこに行きたいといえば、連れて行ってくれたので、名前を覚える必要がなかったからかもしれませんが、今となっては言いわけになりますね。とにかく、このお店は、日本語のネットではハノイで一番有名なレストランと書かれていますね?少なくともハノイで一番高級なレストランではないですが。私は、ここのウナギ料理が大好きで、早速ウナギ料理をリクエストしたのですが、理由が全く分からなかったのですが、ウナギ料理はないとのことで、他の海鮮料理を頼みましたが、ウナギは季節外れなのかな?でも5年前に娘と来たときに、ウナギ料理を食べたのは12月だったな?でも日本では暑い時に「土用のウナギ」を食べますね、とか考えていて、結局ウナギの季節は分からずじまいです。

たった2時間の時差と気候の差で、夜中に何度も目が覚めてしまいましたが、最終的に起きた時には、そんなに遅い時間ではなかったのですが、旦那も長男も出かけていました。相変わらずベトナム人は朝が早い。Hanh Namさんが車で出勤する時に、私を次のアパートまで送ってくれることになっていて、今朝はベトナム麺のPhoを食べることになっていたので、私はてっきり作ってくれるのだと思って待っていたら、外で食べることが分かって、ベトナムでは特に平日の朝はみんな外食だということをすっかり忘れていて、慌てて荷持をまとめて彼女の車に乗り込みました。


月曜日の朝の道路の混雑ぶりは想像を絶するほどすごく、まだモーターバイクがかなり走っているが、車の台数がさらに増加すれば、もうどうにもならなくなるのではないだろうか?普段は旦那が車で通勤し、彼女はタクシーのことが多いそうですが、彼女のレベルではもうモーターバイクは卒業のようです。聞いてはいませんが、彼女の家にはもうモーターバイクはないようです?久しぶりのハノイですが、車は懐かしい昔よく通った道路を走っていて、道路の数は増えたとはいえ、東京等に比べればまだたいしたことはないのかもしれません。そういえば、私がハノイで勤務していたころ、東京の本社から誘拐事件等を防ぐため、車での通勤経路を毎日変えろというお達しがあり、ハノイでは変えようにも道路の数が少ないので毎日変えるほど通勤経路がない、ハノイでは誘拐事件が起きる心配はない、と回答したことがありました。ロンドンで勤務していたころも、頻発する爆弾事件に対する対応を報告しろと言ってきたことがあり、私は直接の担当ではなかったですが、対応策はないと回答したと聞きました。仕事なのでしょうがないですが、東京の本社は事情がよく分からないせいもあり、時々どうにもならないことを言ってきたものです。


そうこうするうちに、車はHo Tay(West Lake 西湖)のそばにあるアパートに到着して、取りあえず荷持を置いて、近くの、ハノイには何処にでもあるPho屋さんに入りました。Pho屋さんには、鶏(Pho Ga)か牛肉(Pho Bo)のどちらかに分かれているようで、お店によっては両方やっている所もあるようです。我々が入ったのは鶏(Pho Ga)の方でしたが、苦手なパクチ―も得意なふりをして食べました。


食事の後は、彼女はそのまま出勤し、私はアパートで取りあえずの生活のための最小限の準備をしましたが、これが結構時間がかかりました。備え付けの洗濯機で溜まった洗濯物を洗い出したら、久しぶりのドラム式洗濯機なので使い方がよく分からずに(日本の洗濯機も休日に使おうとしても使い方がよく分からないことがありますが)途中で動かなくなってしまい、しょうがないので管理人の人を呼んだのですが、言葉が通じないので身振り手振りで説明したら、何とか分かってくれたようで洗濯機は動き出したのですが、そうこうするうちにVanさんから電話があり、洗濯物は1階に出しておけば管理室の若い女性がやってくれるとのこと。ということで、その後は、毎日洗濯してもらうことになりました。


貸してくれたNokiaの小型の携帯電話はとにかく便利で、私はそもそも携帯の番号を知らず誰にも番号を教えていなかった(られなかった)のですが、とにかくいろんな人から電話があり、間違い電話と思われるベトナム語の電話も1~2回あり、私は日本では携帯電話は家族へのメール以外は殆ど使わないので、1週間で日本での年間の電話量をはるかに上回る電話を受けていました。

Maiさんという一番年長の女性の旦那から電話があり、前から約束していたのですが、電話の後にモーターバイクでアパートまでやってきました。彼は息子一家が金沢に住んでいて、時々夫婦で日本にやってくるのですが、以前は息子一家(当時は夫婦でしたが)は川崎に住んでいて会う機会も多かったのですが、息子が金沢に転勤後は(もう4年ほど経ちますか?)なかなか日本では会う機会がありません。実は、彼のハノイの家は2000年ごろ何回か行ったことがあり、そのとき彼は海外(香港?)に住んでいて、ハノイでは会ったことがなく、初めて会ったのが東京だったのですが、そういえばハノイの彼の家は正確には分からないがアパートからそんなに遠くないはずです。雨が降っていたのでモーターバイクの後ろに乗せてもらって(ヘルメットは昔と違ってちゃんと着用しました)、近くのBBQ屋さんへ。ちなみにこのBBQ屋さんは、韓国式ではなくベトナム式のようですが、何処が違うのか私にはよく分かりません。韓国式と同じくハサミで肉を切っていたような気がしますが(定かではありません?)?彼は日本語は出来ないが、金沢や富山や福井にはかなり詳しく、私は行ったことがないのでなかなか話についていけません。結局、来年は金沢で会おうと言うことになったのですが、私の方は金沢に行けるかどうか分からないと言ったつもりですが、私の金沢行きのタイミングを聞いて自分達に日本への旅行のスケジュールを決めると言っていたような気がします。というような、たわいもない話をしていたが、結構昼間からビールを飲んでしまいました。ということで、アパートに戻ったのはまだ明るかったと思いますが、疲れもありひと眠りしたような気がします。

夜は一人だったので、Ho Tayiの湖の側にあるこのレストランへ。このレストラン「BÁNH TÔM HỒ TÂY」という名前らしい。実はそれまでレストランの名前は知らなかったのですが、1997年以来もう何度来たか分かりません。どうも私は店の名前や地名や通りの名前等生活に必要な最小限のベトナム語の名前さえ覚えられなかったようです。ひとつには運転手さんに、あそこに行きたいといえば、連れて行ってくれたので、名前を覚える必要がなかったからかもしれませんが、今となっては言いわけになりますね。とにかく、このお店は、日本語のネットではハノイで一番有名なレストランと書かれていますね?少なくともハノイで一番高級なレストランではないですが。私は、ここのウナギ料理が大好きで、早速ウナギ料理をリクエストしたのですが、理由が全く分からなかったのですが、ウナギ料理はないとのことで、他の海鮮料理を頼みましたが、ウナギは季節外れなのかな?でも5年前に娘と来たときに、ウナギ料理を食べたのは12月だったな?でも日本では暑い時に「土用のウナギ」を食べますね、とか考えていて、結局ウナギの季節は分からずじまいです。



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23:21
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2015/12/20
Hanoi旅行(7)
11月8日(日)午後
軽い昼食を済ますと、船はいつの間にか港に着いていて、また来た時と同じバスに乗り込み一路ハノイを目指しました。途中激しい雨に見舞われ、行きも大量の雨の跡があり、雨が激しく降る地域なのかもしれません。前にも書きましたが、11月にこんなに雨が降ったかなと思うほど、毎日のように大量の雨に出会うことになります。郊外の風景は昔の風景と基本的には同じだと思いますが、しかし経済発展の影響が随所に見られる風景です。

途中でトイレ休憩をしましたが、行きとは違う店で、みんなお土産を大量に買い込むので驚いてしまいます。私は、日本でもモノは買わないし、ましてやハノイではお土産を買ってもあげる人がいないので、ますます買うことはありません。バスの中では行きと同じで4歳児の2人と一緒で、私はすっかりFunny manになってしまいました。

そうこうしているうちにバスはハノイの郊外に到着し、超高層アパートの群れや、見事に区画整理された1戸建てのニュータウンに圧倒されてしまいました。昔は、Ho Tai(西湖 West Lake)の西側にフランス風ビラ風の住居が集中いていて、外国人が住んでいましたが、今はそれが郊外に伸びていて、しかもベトナム人向けに作られているようです。

これだけ多くの住宅を建てて、一体誰が住むのかと思ったりするのですが、全部を見たわけではないですが、夜に通過すると超高層アパートには結構電気がついていたので空室は少ないようです。ちなみに、2000年代半ばごろ中国の上海に何回か出張し、やはり高速道路から見る超高層のアパート群に圧倒されたのですが、夜に超高層アパートを見ると電気が殆どついていなくて、空室(だと思われる)が多かったのとは対照的でした。

バスは、途中Long Bien Districtにあるイオンモールのそばで停車し、1家族(母親と10歳の女の子)がそこで降りたのですが、イオンモール/ハノイ店は10月28日にオープンしたようで、まだ2週間弱しか経過していなくて、しかも日曜日だったので、そばから見ただけですが殺人的に混雑していて、私が行ったことがあるのは千葉県内のイオンモールだけなので比較にはならないことは分かっていますが、私はあんなに混雑しているイオンモールは初めて見ました。ちなみにバスの中にいたベトナム人に、「あんなに混雑しているイオンモールは初めて見た、日本のイオンモール(実は千葉県だけですが)とは、もう比較にならない」と言ったのですが、彼・彼女達は(おそらく)初めて見るイオンモールで、しかも日本のイオンモールの状況は知らないのでピンとこなかったようです。なお、Long Bienはフランスが約100年前に作った有名なLong Bien橋と同じ名前ですが、改めて地図を見ると、ハノイの中心からLong Bien橋を渡っていったホン河の向こう側がLong Bien Districtのようです。私も昔は自転車に乗ってLong Bien橋を渡り、向こうまでよく行ったものです。向こう側はそれなりに住宅がありましたが、イオンモールがある辺りはその先で、当時はおそらく何もなかった地域だと思われます。なお、ハノイの中心部からイオンモールまでは無料バスが走っているようです。

イオンモールの後は、バスはホン河に係る橋を渡りハノイの中心部へ入ります。ちなみに、この橋の名前は知りませんが、かなり近代的な橋で、昔はなかったと思いますね。

中心部にいると交通量が多くなり混雑するのですが、出発したオペラハウスに到着してそこで解散しました。私はまたHanh Namさんと一緒にタクシーに乗り、彼女のアパートへ。アパートの入口で、たまたま彼女の両親とバッタリ。詳しいことは分からなかったのですが、彼女のアパートを訪問した帰りだったようです。年齢は私よりも一回り上の70歳代ですかね?割りと近くに住んでいるようです。アパートには既に、彼女の旦那さんと、長男がいました。旦那さんは46歳か47歳と言っていたと思いますが、5年前にも会っているので、久しぶりの再会になります。私は少々疲れたので少し寝たような気がします。

11月8日(日)夜
夜は、家族3人と私で、近くの韓国系のBBQ屋さんに行きました。ハノイでは殆ど受け身で、この時も連れて行ってもらったのでお店の名前等思い出せない、というか、最初から知らないと言う状況です。有名なお店のようで、昔は住んでいたアパートの近くの韓国レストランによく行きましたが、当時はベトナム人が韓国レストランや日本レストランに行くというのはなかなかなかったと思いますが、今ではもうベトナム人を対象にしたお店があっちこっちにあります。何度も言いますが、所得水準が上がったんですね。食事の後は、別のお店でデザートを食べました。豆腐のデザートで不思議な味がしましたが、とても美味しかったです。私が知らなかっただけかも知れませんが、「豆腐のデザート」って昔は見たことないですね。「豆腐」、は日本語では「とうふ」ですが、ベトナム語でも私の耳には「とうふ」と言っているように聞こえます。ただ、例のごとく、私が「とうふ」と言ってもベトナム人には通じませんが。中国語の発音も「とうふ」に近いそうです。昔はベトナム式の豆腐は、近所の市場で買ったことがありますが、やはり少し違いました。韓国人は、近くにあった外国人居留地の中のスーパーで売っていた豆腐を買っていましたが、こちらの方は異和感がなかったので、私も(家内も)そこで買っていました。ちなみに韓国語では「とうぶ」というようです。豆腐は中国から朝鮮半島を経由して日本に伝わったはずですが、「とうぶ」が「とうふ」になったんですかね?

軽い昼食を済ますと、船はいつの間にか港に着いていて、また来た時と同じバスに乗り込み一路ハノイを目指しました。途中激しい雨に見舞われ、行きも大量の雨の跡があり、雨が激しく降る地域なのかもしれません。前にも書きましたが、11月にこんなに雨が降ったかなと思うほど、毎日のように大量の雨に出会うことになります。郊外の風景は昔の風景と基本的には同じだと思いますが、しかし経済発展の影響が随所に見られる風景です。


途中でトイレ休憩をしましたが、行きとは違う店で、みんなお土産を大量に買い込むので驚いてしまいます。私は、日本でもモノは買わないし、ましてやハノイではお土産を買ってもあげる人がいないので、ますます買うことはありません。バスの中では行きと同じで4歳児の2人と一緒で、私はすっかりFunny manになってしまいました。

そうこうしているうちにバスはハノイの郊外に到着し、超高層アパートの群れや、見事に区画整理された1戸建てのニュータウンに圧倒されてしまいました。昔は、Ho Tai(西湖 West Lake)の西側にフランス風ビラ風の住居が集中いていて、外国人が住んでいましたが、今はそれが郊外に伸びていて、しかもベトナム人向けに作られているようです。


これだけ多くの住宅を建てて、一体誰が住むのかと思ったりするのですが、全部を見たわけではないですが、夜に通過すると超高層アパートには結構電気がついていたので空室は少ないようです。ちなみに、2000年代半ばごろ中国の上海に何回か出張し、やはり高速道路から見る超高層のアパート群に圧倒されたのですが、夜に超高層アパートを見ると電気が殆どついていなくて、空室(だと思われる)が多かったのとは対照的でした。


バスは、途中Long Bien Districtにあるイオンモールのそばで停車し、1家族(母親と10歳の女の子)がそこで降りたのですが、イオンモール/ハノイ店は10月28日にオープンしたようで、まだ2週間弱しか経過していなくて、しかも日曜日だったので、そばから見ただけですが殺人的に混雑していて、私が行ったことがあるのは千葉県内のイオンモールだけなので比較にはならないことは分かっていますが、私はあんなに混雑しているイオンモールは初めて見ました。ちなみにバスの中にいたベトナム人に、「あんなに混雑しているイオンモールは初めて見た、日本のイオンモール(実は千葉県だけですが)とは、もう比較にならない」と言ったのですが、彼・彼女達は(おそらく)初めて見るイオンモールで、しかも日本のイオンモールの状況は知らないのでピンとこなかったようです。なお、Long Bienはフランスが約100年前に作った有名なLong Bien橋と同じ名前ですが、改めて地図を見ると、ハノイの中心からLong Bien橋を渡っていったホン河の向こう側がLong Bien Districtのようです。私も昔は自転車に乗ってLong Bien橋を渡り、向こうまでよく行ったものです。向こう側はそれなりに住宅がありましたが、イオンモールがある辺りはその先で、当時はおそらく何もなかった地域だと思われます。なお、ハノイの中心部からイオンモールまでは無料バスが走っているようです。



イオンモールの後は、バスはホン河に係る橋を渡りハノイの中心部へ入ります。ちなみに、この橋の名前は知りませんが、かなり近代的な橋で、昔はなかったと思いますね。

中心部にいると交通量が多くなり混雑するのですが、出発したオペラハウスに到着してそこで解散しました。私はまたHanh Namさんと一緒にタクシーに乗り、彼女のアパートへ。アパートの入口で、たまたま彼女の両親とバッタリ。詳しいことは分からなかったのですが、彼女のアパートを訪問した帰りだったようです。年齢は私よりも一回り上の70歳代ですかね?割りと近くに住んでいるようです。アパートには既に、彼女の旦那さんと、長男がいました。旦那さんは46歳か47歳と言っていたと思いますが、5年前にも会っているので、久しぶりの再会になります。私は少々疲れたので少し寝たような気がします。


11月8日(日)夜
夜は、家族3人と私で、近くの韓国系のBBQ屋さんに行きました。ハノイでは殆ど受け身で、この時も連れて行ってもらったのでお店の名前等思い出せない、というか、最初から知らないと言う状況です。有名なお店のようで、昔は住んでいたアパートの近くの韓国レストランによく行きましたが、当時はベトナム人が韓国レストランや日本レストランに行くというのはなかなかなかったと思いますが、今ではもうベトナム人を対象にしたお店があっちこっちにあります。何度も言いますが、所得水準が上がったんですね。食事の後は、別のお店でデザートを食べました。豆腐のデザートで不思議な味がしましたが、とても美味しかったです。私が知らなかっただけかも知れませんが、「豆腐のデザート」って昔は見たことないですね。「豆腐」、は日本語では「とうふ」ですが、ベトナム語でも私の耳には「とうふ」と言っているように聞こえます。ただ、例のごとく、私が「とうふ」と言ってもベトナム人には通じませんが。中国語の発音も「とうふ」に近いそうです。昔はベトナム式の豆腐は、近所の市場で買ったことがありますが、やはり少し違いました。韓国人は、近くにあった外国人居留地の中のスーパーで売っていた豆腐を買っていましたが、こちらの方は異和感がなかったので、私も(家内も)そこで買っていました。ちなみに韓国語では「とうぶ」というようです。豆腐は中国から朝鮮半島を経由して日本に伝わったはずですが、「とうぶ」が「とうふ」になったんですかね?


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2015/12/19
Hanoi旅行(6)
11月7日(土)夜
いよいよ食堂でPartyです。たくさん食べて、少し飲んで、たくさんお喋りし、たくさん写真を撮られました。出てくる料理は当然ベトナム料理なのですが、実は私はパクチが苦手で、でもベトナム料理には必ずパクチが入っていますが、この時はさほど気にならなかったですね。ベトナム人は昔から写真を撮ったり撮られたりするのが好きでしたが、今はもうみんながサムスンやiphoneのカメラ付きのスマホ(カメラ付きのスマホというのが表現として正しいのかよく分かりませんが?)を持っていて、写真好きにますます拍車がかかっているようです。ちなみに、ベトナム人(元Staff達)はみんなスマホと併せてタブレットを持っているようで、ネット環境は日本よりずっと進んでいるのではという感じですね?少なくとも、スマホもタブレットも持っていない私よりは、ずっと進んでいますね。そういえば、タブレットは日本ではあまり見ないですね?良く分からないのですが、日本はWIFIの設備がかなり劣るので、それがタブレットの普及を妨げているという話を聞いたことがあります。ベトナムでは何処でも使っているようなので、おそらく広範囲に使用可能なようです。

なお、私が普段使っているシャープのガラ携は世界対応とかで、ベトナムに到着後に、空港での荷持の待ち時間に日本から持って行ったマニュアルどおりにセットしたのですが、日本の家族との間でSMSの送受信が可能なようで、数回の送受信であればコストもたいしたことはなく、軽く1,000円以下で収まったようです。ちなみに、ハノイ滞在中は、私にはシステムがよく分からないのですが、SIM CardがセットされたNokiaの小さい携帯を貸してくれて、その携帯・番号宛てに皆が電話をくれました。私が日本で使っている折り畳式のガラ携は、ハノイではかなり旧式なようで誰も使っておらず、出すと恥ずかしいのでカバンの奥にしまっていました。なお、タブレットやスマホを貸してもらって、私のFacebbokのAccountにアクセスしたりしたのですが、設定のしかたが悪いのか、私のAccountには簡単にアクセスできるのですが、どのタブレットやスマホでも言語が中国語で出てくることが多かったようで、もしかしたら殆ど中国製かもしれません。私は日本人なので中国語の漢字は何となく分かることもあり、Facebookの「いいね」は中国語では「賛」のようです。ただ、ネットによると、この「賛」という中国語は台湾式で大陸では使わないという指摘もありますね?そういえば、今考えると簡体式の漢字ではなかったような気がするので、もしかしたら台湾式の繁体字でFacebookの設定も台湾用だったのかもしれません。

イギリス人のツアーグループも英語を喋る東洋人のグループも食堂でのPartyでは一緒でしたが、Partyが終わるといつの間にか居なくなり、そのまま我々だけのカラオケ大会になりました。1997年から2001年にハノイに住んでいて、カラオケにはたまに行っていましたが、機械は旧式でビデオも何処かの国で編集したような海賊版のようなものが主流で、実際にビデオに美空ひばりや日本の有名な歌手本人が登場して吃驚したことがありました。また、日本の歌の歌詞が全てカタカナ(それも間違いだらけ)というビデオもあり、カタカナだけだと、なかなか読めないということがよく分かったりしました。

しかし、15年後にベトナムで再び見たカラオケの機器やビデオは、昔とは全く違い近代的で素晴らしいものでした。私は日本でカラオケに行かないので、日本でのカラオケの状況は全く知らないのですが、この日に見たカラオケは間違いなく最新鋭のものだと思います。当然ながらベトナムの歌ばかりでしたが、私が聞いたことがある曲が1曲ありました。みんなから歌え歌えと言われたのですが、ベトナム人の前でベトナム語を披露するのはさすがに遠慮しました。少しでも、ちゃんと勉強したことがあれば歌ったかもしれませんが、人名や地名すら通じない私のベトナム語は、やはり封印した方がいいと思いますね。

結局、カラオケで多くの歌を聞きながら皆と飲んだのですが、日本のようにダラダラしないでスパッと終わったのもベトナム式だと感心しました。
合弁会社で働いていたのはもう随分昔のことですが、5年前に一度ハノイを訪問したということはありますが、久しぶりにも拘わらず、時間や距離を全く感じないReunion Meetingでした。
11月8日(日)午前
船室のベッドでHa Long Bayを眺めながらゆっくりと寝ていたのですが、二日酔いは全く感じずに爽快な朝を迎えました。早朝はかなり雨が降っていたようです。この日に限らず、殆ど毎日のように早朝はかなりの雨が降り、私は11月は乾季だと思い込んでいたのですが、かなりの雨が降り吃驚しました。

実は後で知ったのですが、女性陣は船の屋上(甲板?)で体操をしたようです。体操というのは、ベトナムの中年女性がよく公園でやっている独特の体操で、うまく表現できないのですが、体をクネクネ動かし、やや激しい動きをする体操です。彼女たちもああいう体操をする年齢になったんですね。

朝食の後は、一部の人はボートに乗って、カヤック乗り場に行き、カヤック遊びに興じたりしていました。私は船の屋上で海や島を眺めながらボーッとしていました。
いよいよ食堂でPartyです。たくさん食べて、少し飲んで、たくさんお喋りし、たくさん写真を撮られました。出てくる料理は当然ベトナム料理なのですが、実は私はパクチが苦手で、でもベトナム料理には必ずパクチが入っていますが、この時はさほど気にならなかったですね。ベトナム人は昔から写真を撮ったり撮られたりするのが好きでしたが、今はもうみんながサムスンやiphoneのカメラ付きのスマホ(カメラ付きのスマホというのが表現として正しいのかよく分かりませんが?)を持っていて、写真好きにますます拍車がかかっているようです。ちなみに、ベトナム人(元Staff達)はみんなスマホと併せてタブレットを持っているようで、ネット環境は日本よりずっと進んでいるのではという感じですね?少なくとも、スマホもタブレットも持っていない私よりは、ずっと進んでいますね。そういえば、タブレットは日本ではあまり見ないですね?良く分からないのですが、日本はWIFIの設備がかなり劣るので、それがタブレットの普及を妨げているという話を聞いたことがあります。ベトナムでは何処でも使っているようなので、おそらく広範囲に使用可能なようです。



なお、私が普段使っているシャープのガラ携は世界対応とかで、ベトナムに到着後に、空港での荷持の待ち時間に日本から持って行ったマニュアルどおりにセットしたのですが、日本の家族との間でSMSの送受信が可能なようで、数回の送受信であればコストもたいしたことはなく、軽く1,000円以下で収まったようです。ちなみに、ハノイ滞在中は、私にはシステムがよく分からないのですが、SIM CardがセットされたNokiaの小さい携帯を貸してくれて、その携帯・番号宛てに皆が電話をくれました。私が日本で使っている折り畳式のガラ携は、ハノイではかなり旧式なようで誰も使っておらず、出すと恥ずかしいのでカバンの奥にしまっていました。なお、タブレットやスマホを貸してもらって、私のFacebbokのAccountにアクセスしたりしたのですが、設定のしかたが悪いのか、私のAccountには簡単にアクセスできるのですが、どのタブレットやスマホでも言語が中国語で出てくることが多かったようで、もしかしたら殆ど中国製かもしれません。私は日本人なので中国語の漢字は何となく分かることもあり、Facebookの「いいね」は中国語では「賛」のようです。ただ、ネットによると、この「賛」という中国語は台湾式で大陸では使わないという指摘もありますね?そういえば、今考えると簡体式の漢字ではなかったような気がするので、もしかしたら台湾式の繁体字でFacebookの設定も台湾用だったのかもしれません。

イギリス人のツアーグループも英語を喋る東洋人のグループも食堂でのPartyでは一緒でしたが、Partyが終わるといつの間にか居なくなり、そのまま我々だけのカラオケ大会になりました。1997年から2001年にハノイに住んでいて、カラオケにはたまに行っていましたが、機械は旧式でビデオも何処かの国で編集したような海賊版のようなものが主流で、実際にビデオに美空ひばりや日本の有名な歌手本人が登場して吃驚したことがありました。また、日本の歌の歌詞が全てカタカナ(それも間違いだらけ)というビデオもあり、カタカナだけだと、なかなか読めないということがよく分かったりしました。


しかし、15年後にベトナムで再び見たカラオケの機器やビデオは、昔とは全く違い近代的で素晴らしいものでした。私は日本でカラオケに行かないので、日本でのカラオケの状況は全く知らないのですが、この日に見たカラオケは間違いなく最新鋭のものだと思います。当然ながらベトナムの歌ばかりでしたが、私が聞いたことがある曲が1曲ありました。みんなから歌え歌えと言われたのですが、ベトナム人の前でベトナム語を披露するのはさすがに遠慮しました。少しでも、ちゃんと勉強したことがあれば歌ったかもしれませんが、人名や地名すら通じない私のベトナム語は、やはり封印した方がいいと思いますね。


結局、カラオケで多くの歌を聞きながら皆と飲んだのですが、日本のようにダラダラしないでスパッと終わったのもベトナム式だと感心しました。
合弁会社で働いていたのはもう随分昔のことですが、5年前に一度ハノイを訪問したということはありますが、久しぶりにも拘わらず、時間や距離を全く感じないReunion Meetingでした。
11月8日(日)午前
船室のベッドでHa Long Bayを眺めながらゆっくりと寝ていたのですが、二日酔いは全く感じずに爽快な朝を迎えました。早朝はかなり雨が降っていたようです。この日に限らず、殆ど毎日のように早朝はかなりの雨が降り、私は11月は乾季だと思い込んでいたのですが、かなりの雨が降り吃驚しました。


実は後で知ったのですが、女性陣は船の屋上(甲板?)で体操をしたようです。体操というのは、ベトナムの中年女性がよく公園でやっている独特の体操で、うまく表現できないのですが、体をクネクネ動かし、やや激しい動きをする体操です。彼女たちもああいう体操をする年齢になったんですね。


朝食の後は、一部の人はボートに乗って、カヤック乗り場に行き、カヤック遊びに興じたりしていました。私は船の屋上で海や島を眺めながらボーッとしていました。
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2015/12/06
Hanoi旅行(5)
11月7日(土)午後
1.宿泊する船に乗船
波止場で小さな船に乗り、乗船する船まで数分でした。救命胴衣の着用が義務のようです。乗船すると割当られた部屋に行きましたが、写真のとおり立派なものです。 直ぐにランチだったと思いますが、この辺はまだ1カ月しか経っていないのに、もう記憶があやふやになっており、思い出し、思い出し書いています。おそらく私の能力や記憶力に問題があると思われますが、もうひとつは、細かい点はベトナム語で進むので、私は大体は理解していても良く分からない部分もあり、とにかく後ろからついて行くしかないという事情もあるのかと思います。船には我々の他はイギリス人の20人ほどのツアー客と、5人ほどの(英語を喋っていたので)シンガポール人と思われる東洋人のグル―プが乗船。但し、シンガポール人と思われるグループの中のお爺さんは、私にベトナム語で話しかけてきたりしたので、なんだかどういうグループかよく分からなかったのですが?ベトナム人のツアーガイドが先ずイギリス人達に英語で説明するので、私は別のグループですが、それを聞いてツアーの内容を理解したりしていました。

2.船はHa Long Bayの奥へ

とにかく昼食の途中だったと思いますたが船が動き出し、写真でよく見る風景ですが、島が多いハロン湾の奥に停泊しました。

3.鍾乳洞へ
暫くして、全員ではなかったと思いますが、小さなボートに乗って近くの島へ。そこで鍾乳洞の見学をしました。おそらく添付の写真がそうだと思います。かなり昔ですが、山口県の秋吉台やイギリスのマンチェスターの近くの鍾乳洞に行ったことがありますが、気候のせいか地形のせいか、ハロン湾の鍾乳洞は全然涼しくなかったですね。

ところで、4歳の男の子が途中でお菓子を買ってもらっていたのですが、お菓子の袋に「Oishi」書かれてあって、日本人としては語感が気になるので、「Oishi」ってどういう意味かと母親に聞いてみたのですが、特に意味はなくて商標か何かだとの答え。ちょっと気になったので、ネットで調べて見たら、タイに本社を置き日本レストランの経営や日本食を販売しているが日系ではないようです。「Oishi」はやはり日本語の「おいしい」から来ているようですが、純粋の日本人では「おいしい」から「Oishi」という商標は思いつかないかもしれません。

4.さらに別の島へ
この島の名前は直ぐに忘れてしまいしたが、ロシア人の銅像が建てられていました。ベトナム人なら誰でもそのロシア人の名前は知っているそうなのですが?
この島には砂浜があり、私は希望しませんでしたが、水泳らしきものが出来るようになっていました。もう11月でしたが、水泳をしようと思えば出来ないことはない気候でした。ところで、この砂浜ですが、少し不自然で場所的に砂浜があるようなところではないのでもしかしたら、別の場所から砂を持ってきて砂浜を作ったのかもしれません。

5..観光客
観光客は圧倒的に西欧人が多かったようです。聞くところによると、少し前までは中国人の団体客がとにかく多かったそうですが、ベトナムと中国の外交関係が悪化して中国人の観光客が減ってしまったようです。ベトナムで減った分が、もしかして日本に向かっているのかもしれませんが、もちろんそんなことは思っても口にはしません。
ハノイ市内ではあれほど大勢いる韓国人を殆ど見かけなかったのも、たまたまかも知れませんが、奇妙でしたね。また、日本人は少なくとも私は全く見なかったですね。日本人の観光客はハノイ市内でもあまり見かけなかったので、やはり円安の影響で減っているのかもしれませんね。
ひと昔前であれば、ベトナム人と外国人との間には見えない壁みたいなものがあり、こういう観光地でもベトナム人はあまり目立たなかったのかもしれませんが、今やそんな壁はなく、ベトナム人の観光客もとにかく大勢いました。

1.宿泊する船に乗船
波止場で小さな船に乗り、乗船する船まで数分でした。救命胴衣の着用が義務のようです。乗船すると割当られた部屋に行きましたが、写真のとおり立派なものです。 直ぐにランチだったと思いますが、この辺はまだ1カ月しか経っていないのに、もう記憶があやふやになっており、思い出し、思い出し書いています。おそらく私の能力や記憶力に問題があると思われますが、もうひとつは、細かい点はベトナム語で進むので、私は大体は理解していても良く分からない部分もあり、とにかく後ろからついて行くしかないという事情もあるのかと思います。船には我々の他はイギリス人の20人ほどのツアー客と、5人ほどの(英語を喋っていたので)シンガポール人と思われる東洋人のグル―プが乗船。但し、シンガポール人と思われるグループの中のお爺さんは、私にベトナム語で話しかけてきたりしたので、なんだかどういうグループかよく分からなかったのですが?ベトナム人のツアーガイドが先ずイギリス人達に英語で説明するので、私は別のグループですが、それを聞いてツアーの内容を理解したりしていました。



2.船はHa Long Bayの奥へ



とにかく昼食の途中だったと思いますたが船が動き出し、写真でよく見る風景ですが、島が多いハロン湾の奥に停泊しました。



3.鍾乳洞へ
暫くして、全員ではなかったと思いますが、小さなボートに乗って近くの島へ。そこで鍾乳洞の見学をしました。おそらく添付の写真がそうだと思います。かなり昔ですが、山口県の秋吉台やイギリスのマンチェスターの近くの鍾乳洞に行ったことがありますが、気候のせいか地形のせいか、ハロン湾の鍾乳洞は全然涼しくなかったですね。


ところで、4歳の男の子が途中でお菓子を買ってもらっていたのですが、お菓子の袋に「Oishi」書かれてあって、日本人としては語感が気になるので、「Oishi」ってどういう意味かと母親に聞いてみたのですが、特に意味はなくて商標か何かだとの答え。ちょっと気になったので、ネットで調べて見たら、タイに本社を置き日本レストランの経営や日本食を販売しているが日系ではないようです。「Oishi」はやはり日本語の「おいしい」から来ているようですが、純粋の日本人では「おいしい」から「Oishi」という商標は思いつかないかもしれません。



4.さらに別の島へ
この島の名前は直ぐに忘れてしまいしたが、ロシア人の銅像が建てられていました。ベトナム人なら誰でもそのロシア人の名前は知っているそうなのですが?
この島には砂浜があり、私は希望しませんでしたが、水泳らしきものが出来るようになっていました。もう11月でしたが、水泳をしようと思えば出来ないことはない気候でした。ところで、この砂浜ですが、少し不自然で場所的に砂浜があるようなところではないのでもしかしたら、別の場所から砂を持ってきて砂浜を作ったのかもしれません。


5..観光客
観光客は圧倒的に西欧人が多かったようです。聞くところによると、少し前までは中国人の団体客がとにかく多かったそうですが、ベトナムと中国の外交関係が悪化して中国人の観光客が減ってしまったようです。ベトナムで減った分が、もしかして日本に向かっているのかもしれませんが、もちろんそんなことは思っても口にはしません。
ハノイ市内ではあれほど大勢いる韓国人を殆ど見かけなかったのも、たまたまかも知れませんが、奇妙でしたね。また、日本人は少なくとも私は全く見なかったですね。日本人の観光客はハノイ市内でもあまり見かけなかったので、やはり円安の影響で減っているのかもしれませんね。
ひと昔前であれば、ベトナム人と外国人との間には見えない壁みたいなものがあり、こういう観光地でもベトナム人はあまり目立たなかったのかもしれませんが、今やそんな壁はなく、ベトナム人の観光客もとにかく大勢いました。



Posted by tsukuma at
13:34
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2015/12/05
Hanoi旅行(4)
11月7日(土)午前
1.集合場所のオペラハウス
そうこうしている内に、タクシーは集合場所のオペラハウスに到着。懐かしい面々が揃っていました。当日参加したのは、5年前にハノイを訪問したときに会った人ばかりでしたが、私以外はハノイに住んでいるわけですが、それぞれ久しぶりに会うようで挨拶がもう大変でした。また、オペラハウスが観光バスの発着場になっているようで、我々以外も大勢の観光客がバスを待っていました。昔もこうだったかなと思いながら、バスを待っていました。

2.Ha Long Bayに向けて出発
そのうち我々が乗るFordの中型のバスがやって来て、いよいよHa Long Bayに向けて出発しました。道順はおそらく1997年にハイフォンに行った時とほぼ同じだと思いますが、もう道路の状況が全く違い、当時はハイフォンまで約40-50kmのところ、車で約5時間を要したと思いますが、今はそれよりも少し遠いHa Long Bayまで約3時間程度で行けるようです。私はハノイに住んでいたのに、Ha Long Bayにも行ったことがないのかとよく言われるのですが、当時は、道路の状況も悪く(我々の感覚では)運転も荒く、車で郊外を長時間走るのは、私(或いは家内)にとっては恐怖以外の何ものでもありませんでした。また私自身が、風光明媚な場所にいくよりも、ハノイの街中で人々がどんな暮らしをしているかの方に興味があったということも、Ha Long Bayを含む観光地にあまり行ったことがない理由の一つかもしれません。今は道路の状況が飛躍的に良くなり、また職業運転手だけではなく、一般の多くの人が運転するので、恐怖を感じることはずっと少なくなりました(但し、零になったわけではありません)。そういえば昔は殆ど見ることがなかった女性ドライバーも多く見かけました。

3.道中
バスの中では、私は4人掛けのシートに元Staffたちの4歳の男の子2人と座り、怪獣のオモチャや日本語が書かれた森永か明治のお菓子で遊んでいました。時々、前の席にいた別の元staffの10歳ぐらいの女の子が、4歳の2人の子供たちにチャチャを入れたりしていました。しかし、日本人の4歳児はまだほんの子供で日本語すらきちんと喋れなかったりしますが、2人のベトナム人の4歳の子供たちは基本的な英語を喋り、「What’s your name?」と聞くので「Tsukuma」と答えると「Funny name」と返してきてなかなかのものです。英語がかなりのレベルにあるだけでなく、日本人の名前がFunnyということが分かっているようで、私は「Funny man」と命名されてしまいました。母親が英語を喋るという事情はあるにしても、英語教育がかなり進んでいるようです。4歳でもこうなので10歳の女の子はもっとすごくて、最近FACEBOOKで私に友達申請をしてきました。
車は、ハノイ市内では、乗用車は日本車それもトヨタが圧倒的なシェアを持っているようです。また中型のバスはFord、大型のバスやトラックやタクシーは韓国車と住みわけが出来ているような印象を個人的には受けました。日本車はトヨタ以外はマツダが日産よりも多く走っているような感じですね。三菱やダイハツ等もそれなり走っていますが、スバルは殆ど見かけなかったような気がします。なお、トヨタ車とは別にレクサス車がかなり走っていて、トヨタ車との割合またレクサス車の台数自体は少なくとも千葉県柏市よりもずっと多いという印象ですね。ただ、ハノイを出て地方に行くほど、何故だか私には分からないのですが、乗用車についても韓国車が日本車を上回るようになりますね(気のせいかな?)。また、ハングル文字が書かれたトラックやバスがやたらに目立ち、途中の町にもハングル文字の看板が溢れていますね。私は読めないのですが何となく検討がつき、何れにしても韓国のプレゼンスはハノイのみならずハノイを離れた町でもものすごいものがあります。

途中で1階トイレタイムがあったが、とにかくベトナム人はちょっとした食べ物等の買い物をよくします。もっとも、私自身は日本でもめったに買い物はしませんが、日本でもPA等で買い物をする人は多いのかもしれません。 途中の町は、当然ながら昔と比べるとかなり洗練されています。私が日本人だからそう思うのかもしれませんが、この20年近く日本は殆ど変っていないような気がしますが、ベトナムの変化にはもう目を見張るものがあります。
4.Ha Long Bayの入り口に到着
ハノイを出て3時間程度だったと思いますが、まだ午前中にHa Long Bayの入り口に到着。私は初めて来たので昔との比較はできないですが、想像していたよりもかなり洗練されている感じがしました。

1.集合場所のオペラハウス
そうこうしている内に、タクシーは集合場所のオペラハウスに到着。懐かしい面々が揃っていました。当日参加したのは、5年前にハノイを訪問したときに会った人ばかりでしたが、私以外はハノイに住んでいるわけですが、それぞれ久しぶりに会うようで挨拶がもう大変でした。また、オペラハウスが観光バスの発着場になっているようで、我々以外も大勢の観光客がバスを待っていました。昔もこうだったかなと思いながら、バスを待っていました。



2.Ha Long Bayに向けて出発
そのうち我々が乗るFordの中型のバスがやって来て、いよいよHa Long Bayに向けて出発しました。道順はおそらく1997年にハイフォンに行った時とほぼ同じだと思いますが、もう道路の状況が全く違い、当時はハイフォンまで約40-50kmのところ、車で約5時間を要したと思いますが、今はそれよりも少し遠いHa Long Bayまで約3時間程度で行けるようです。私はハノイに住んでいたのに、Ha Long Bayにも行ったことがないのかとよく言われるのですが、当時は、道路の状況も悪く(我々の感覚では)運転も荒く、車で郊外を長時間走るのは、私(或いは家内)にとっては恐怖以外の何ものでもありませんでした。また私自身が、風光明媚な場所にいくよりも、ハノイの街中で人々がどんな暮らしをしているかの方に興味があったということも、Ha Long Bayを含む観光地にあまり行ったことがない理由の一つかもしれません。今は道路の状況が飛躍的に良くなり、また職業運転手だけではなく、一般の多くの人が運転するので、恐怖を感じることはずっと少なくなりました(但し、零になったわけではありません)。そういえば昔は殆ど見ることがなかった女性ドライバーも多く見かけました。



3.道中
バスの中では、私は4人掛けのシートに元Staffたちの4歳の男の子2人と座り、怪獣のオモチャや日本語が書かれた森永か明治のお菓子で遊んでいました。時々、前の席にいた別の元staffの10歳ぐらいの女の子が、4歳の2人の子供たちにチャチャを入れたりしていました。しかし、日本人の4歳児はまだほんの子供で日本語すらきちんと喋れなかったりしますが、2人のベトナム人の4歳の子供たちは基本的な英語を喋り、「What’s your name?」と聞くので「Tsukuma」と答えると「Funny name」と返してきてなかなかのものです。英語がかなりのレベルにあるだけでなく、日本人の名前がFunnyということが分かっているようで、私は「Funny man」と命名されてしまいました。母親が英語を喋るという事情はあるにしても、英語教育がかなり進んでいるようです。4歳でもこうなので10歳の女の子はもっとすごくて、最近FACEBOOKで私に友達申請をしてきました。


車は、ハノイ市内では、乗用車は日本車それもトヨタが圧倒的なシェアを持っているようです。また中型のバスはFord、大型のバスやトラックやタクシーは韓国車と住みわけが出来ているような印象を個人的には受けました。日本車はトヨタ以外はマツダが日産よりも多く走っているような感じですね。三菱やダイハツ等もそれなり走っていますが、スバルは殆ど見かけなかったような気がします。なお、トヨタ車とは別にレクサス車がかなり走っていて、トヨタ車との割合またレクサス車の台数自体は少なくとも千葉県柏市よりもずっと多いという印象ですね。ただ、ハノイを出て地方に行くほど、何故だか私には分からないのですが、乗用車についても韓国車が日本車を上回るようになりますね(気のせいかな?)。また、ハングル文字が書かれたトラックやバスがやたらに目立ち、途中の町にもハングル文字の看板が溢れていますね。私は読めないのですが何となく検討がつき、何れにしても韓国のプレゼンスはハノイのみならずハノイを離れた町でもものすごいものがあります。





途中で1階トイレタイムがあったが、とにかくベトナム人はちょっとした食べ物等の買い物をよくします。もっとも、私自身は日本でもめったに買い物はしませんが、日本でもPA等で買い物をする人は多いのかもしれません。 途中の町は、当然ながら昔と比べるとかなり洗練されています。私が日本人だからそう思うのかもしれませんが、この20年近く日本は殆ど変っていないような気がしますが、ベトナムの変化にはもう目を見張るものがあります。


4.Ha Long Bayの入り口に到着
ハノイを出て3時間程度だったと思いますが、まだ午前中にHa Long Bayの入り口に到着。私は初めて来たので昔との比較はできないですが、想像していたよりもかなり洗練されている感じがしました。


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