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Posted by vietnhat at

2013/05/04

日常



仕事に追われる日々を過ごしていて正直言って同じ日本人である社長のY氏への報告のための報告的な仕事もかなりあったが良いことも少しはあり、Y氏の自信から来る部分もあり又年齢的にも定年前の最後の仕事と思っていた節があり、合弁会社の運営や業務を進めるにあたり日本を気にせずに進めていて日本側もY氏には遠慮していたようです。従って私もその部分では恩恵を受けていたのは事実ですが、その代わりY氏との関係においては常にギクシャクして結構疲れたものです。前にも投稿しましたが私の親元のJLCのみならずY氏の親元であるLTCBからも私のアパートに朝早く電話をかけてくることがあって、朝早い時間帯のアパートへの電話は100%日本の株主からの電話で特にLTCBからの電話については直接Y氏に言ってよと思ったものです。日本の企業の中には日本の意向を聞かないと一歩も動けないところも結構あってなかなか進まないケースも多くありました。私も英国駐在中は、100%子会社だったこともあり日本の本社への報告で苦労した経験がありますが、散々時間をかけて本社に報告して結局「前向きに検討しますと」答えておけということが多く、要はYesでもNoでもないということなのですが、引っ張れる時間は限られており、「前向きに検討します」とは英語でどう言えばいいのかと本社に向かって喧嘩を売ったこともありましたがそれは現場にいるお前が考えろということでイギリス側への返答には毎回のように窮したものです。
ハノイでもう一つ良かった(のかどうか分かりませんが)Y氏が英語にこだわり、私に対しても英語のレベルアップを執拗に求めたことでした。ハノイ在任中はおそらく日本語を書いたことがなく日本へのFaxさえも英文で書いていました(Faxはお互いに全て見せ合うルールになっていました)。おかげで英文を書く抵抗感はかなり薄れたのではと思います。私があまり従順ではないこともあったので、Y氏と私との間の日本人同士の会話も英語ということを言い出したことがありました(これはさすがに見送りましたが)。Y氏は英語力に相当の自信を持っていて、曰くLTCBで一番レベルが高い(これはおそらく事実)、またハノイで一番(これはイギリス人オーストラリア人のネイティブがいたので無理)と常々言っていました。合弁交渉・準備中は日本側の英国系法律事務所とは殆んど毎日のようにコンタクトを取りFaxのやり取りを頻繁にやっていて、Y氏が弁護士事務所に送ったFaxは私も見ていて私は日本人なのでY氏が書いていた内容はよく分かったのですが、イギリス人やオーストラリア人の弁護士はY氏が書いたFaxについて確認の意味も含めてよくY氏ではなく私に電話をかけてきて(弁護士達は同じハノイにいるがこちらの狭い準備室の状況を知らない)、私がY氏の面前で答えるわけにも行かず困惑したものでした。Y氏が居なくなって電話をかけ直したり、適当に理由をつけてメトロポールホテルの隣のビルにあった弁護士事務所まで出かけて説明したものです。
ということで日々いろいろなことがあって毎日が流れていったわけですが、合弁会社設立後は数件の営業案件を手がけましたがその後しばらく営業が出来なかった時期があったような記憶があります。よく思い出せないのですが何か法律の問題でリース法か何かに問題が発生し暫くの間実質休業していたような記憶があります。
ハノイの冬である1-2月は日本人にとってはそれほど寒くはありませんが天気が悪く鉛色の空という表現をしていました。雨の量はたいしたことはないのですが霧雨のような雨が降り続きとにかく暗いというイメージでした。といってもロンドンの冬よりはましで、ロンドンの冬の時期は朝暗い時間に家を出て会社に着くころに少し明るくなりますが、夕方は3:00過ぎに暗くなるという毎日で、暖流か何かの関係で思ったほど寒くはないのですが殆んど晴れることはなく昼間でも暗い日々でした。時々間違って晴れることがありましたが地平線の少し上に太陽が出るだけでロンドンが相当高い緯度に位置していることがよく分かりました(カムチャッカ半島と同じぐらいの緯度だそうです)。その代わり夏は反対に白夜に近く、日没は夜9:00ぐらいで日没を過ぎてもすぐには暗くならずに夜11:00ごろまでは薄明るかったと思います。ハノイに赴任する1年前の1996年だったようですがテニスの伊達さんがウインブルドンの準決勝でドイツのグラフと対戦して1日目は日没サスペンドになり翌日負けましたが、1日目の午後9:00頃に審判がSuspended due to darknessと言って翌日再試合になったときにはまだ明るいので出来るのにと思ったものです。
ハノイではこの頃になるとY氏から夜のお誘いは殆んどなくなり(実はここでは書けない事情もあったのですが)、おかしな表現ですがこれ幸いと夜は私自身の意思で動いたものです。といってもたいした選択肢があるわけでもなく(私がよく知らなかったこともありますが)、もっぱら運転手のMr.Cとその友人達とビアホイに行くことが多かったようです。またMr.Cの奥さんが西湖の北側の居酒屋みたいなところで働いていてそこにもよく行きました。Mr.Cの友人の中に4-5歳ぐらいの娘さんを連れてくる人がいて前にも投稿しましたがベトナム語の1-10までを彼女に教えるつもりが逆に私の発音がおかしいといって教えられていましたが、その女の子も20歳ぐらいになりますね。


  

Posted by tsukuma at 20:46Comments(0)