2016/01/24
Hanoi旅行(15)
11月14日(土)
いよいよ最終日となりました。当日の深夜便(正確には翌日の0時過ぎ)で帰国するわけですが、その前の夕方6時にアパートに皆が集まり最後のパーティーを開催してくれることになっていました。それまでは時間があるので自転車でHo Tayを1周し、前日と同じようにバナナの朝食の後、また土地勘があるDaewoo Hotelまで歩いて行きました。

昔はDaewoo Hotelの裏側にアパートの入口があり、その前を比較的広い道路が走っていましたが直ぐに行き止まりで、行き止まりの向こう側は舗装されていなかった道路が走っていて、古い住宅が立ち並んでいました。今では舗装されていなかった道路と古い住宅は消えていて、広い道路がずっと伸びています。その道路の向かい側には超高層のロッテビルが建っているという感じですね。当日は土曜日だったので前日のことだったと思いますが、アパートに住んでいると思われる若い日本人(韓国人ではなかったと思います?)が出勤のため玄関に出てきて、車に乗り込んでいるところに出くわし、自分もそうだったなと昔のことを思い出してしまいました。

舗装されていない道路と古い住宅が消えてしまっていたことで思い出したのですが、Daewoo Hotelの東側にある広い道路(片側3車線?)は、1997年の1月に私がハノイに赴任した時は、車1台がやっと通れる舗装されていない道路と、両脇に古い住宅が立ち並び人々が普通に生活していたのですが、3月だったと思いますが、僅か3週間で、人を追い出して、建物を壊し、広い道路を完成させたことがありました。なぜ3週間という工事期間を記憶しているかというと、家内が初めてハノイに様子を見にやって来て3週間滞在した時に、来たときは舗装されていない道路を通って、帰国する時は広い道路を通って帰ったからですが、家内によれば3週間の間は工事の埃が凄くて窓を開けられなかったそうです。立ち退きの話は前から進んでいたとは思いますが、それにしても僅か3週間という工事期間は脅威的でした。日本だともう何年かかるか分かりませんね。

アパートのそばにはトゥーレ公園(Cong vien Thu le)があり、動物園も併設されています。入場料は1万ドン(約60円)でしたが、記憶が定かではないですが、当時は4-5千ドンだったのでは?しかも、当時は、外国人とベトナム人は入場料の金額が異なり、ベトナム人は1千ドンぐらいだったかもしれません。一度、黙ってベトナム人の入場料を窓口に出したことがありましたが、即外国人の入場料を請求されたことがありました。もっとも、今はどうか知りませんが、当時は営業時間以外は門は解放され(これはハノイでは他の施設も同様でした)、入場料なしで中に入れたので、私は朝と夕方6時ごろ動物園を散歩することが多かったので、入場料を払った記憶は実はあまりありません。
http://244room.blogspot.jp/2013/07/hanoi-zoo.html

中にいる動物の種類はそんなに変わっていませんが、やはり来園者の服装等は昔と比べて随分と垢抜けています。また乗り物等は、当時は旧ソ連製のようなタイプ(旧ソ連には行ったことはありませんが)のものが多かったのですが、今はすっかり洗練された乗り物が多いようです。露天も昔に比べればすっかり少なくなりましたね。そういえば、当時は人が集まる場所には、必ず体重計の前に座っているお婆さんがいたのですが、今ではもう見当たりませんね、その他の場所でも見かけなかったような気がします。私が初めてこの動物園で見た時に、何のためにお婆さんが体重計の前に座っているのか理由が分からずに、翌日事務所で秘書のVanさんに聞いたところ、ハノイではそういう場所でお金を払って体重を量る人が多いということで納得した次第です。とにかく当時はよく理解できないことが多く、聞いてみて初めて納得ということが結構ありました。しかし結局理由がよく分からなかったこともあり、例えば、場所はHo Tay近くの官庁街だったと思いますが、休日に自転車で走っていると、大勢の人がモーターバイクや自転車で緑が多い何かの施設内を通過していたので、私も後ろからついて行ったら、私だけが警官から止められて通過出来ないということがありました。翌日事務所で何故私だけが駄目だったのか聞いてみたのですがよく分からず、おそらく軍の施設だったからではということになったのですが、これはもう確認のしようがありませんでした。

動物園の中にはお寺があり、1997年の秋ごろだったと思いますが、5年毎のベトナムの総選挙があり、ここが投票所になっていました。朝の6時か7時に係員が整列して、ラジカセから流れる音楽を聞いていたのですが、何処かで聞いたことがある歌だと思ったら、昔懐かしい「インターナショナルの歌」で、たしか過去に日本語版、中国語版、英語版を聞いたことがあったので、4カ国語目の「インターナショナルの歌」でしたね。
https://www.youtube.com/watch?v=KFlGfHCCZdQ

動物園の中には何の変哲もない橋があったのですが、この橋を通ると何時も数名の所謂ストリートチルドレンがどこからともなく現れ、もう私は顔を覚えられていたので逃げようがありませんでした。たしか近くに孤児院みたいなものがあると言う話を聞いた記憶があります。そういうこともあり、当時は財布は持たずに散歩に出かけることにしていましたが(ポケットを引っ張ってI have no moneyという。)、全く現金を持っていないのも逆に危険なので、小額紙幣を10枚ほど何時も持っていました。一度、腕時計を腕からもぎ取られそうになったので、散歩の時は腕時計も止めました。

当時のハノイではこういう話が多く、物乞い、靴磨きの強要等もうキリがありませんでした。当時、合弁会社からイギリス系の弁護士事務所まで数分だったので、歩いて行くことが多かったのですが、私は東洋人なので少しは紛れてしまうこともありましたが、それでも捕まることも結構ありました。イギリス人の弁護士は私のことを「Brave」と妙に褒めていましたが、あれは「向こう見ずだと」少しは「揶揄」する気持ちもあったのかもしれませんね。

また小さな子供が、道路を横断するとき等に非常に危険な行為をすることも多く、大人が教えた訳でもないだろうに、と思ったことも多くありました。見ているこっちがヒヤヒヤすることが結構あったものです。

以上は当時の状況ですが、しかし、今回私はかなり歩きましたが、一度もそういう場面に遭遇しませんでした。そういう局面でも、私が見た範囲では、かなり生活水準が向上していると感じました。
(注)旧ソ連には一度も行ったことはないと書きましたが、1990年ごろモスクワの空港に2-3回Transitしたことがあるのを思い出しました。(一部私の推測ですが)1980年代まで航空機は旧ソ連を通過出来ずに、欧州便は北極点の上空を飛んでいたと思いますが、1980年代の後半になると(おそらくお金の問題が関係あると思いますが)旧ソ連の上空を通過できるようになり、(おそらく交換条件として)便によってはモスクワの空港に立ち寄ることがありました。それも深夜の変な時間帯で、しかし免税店は開いていて日本製の電化製品等を売っていました。日本人はおそらく日本製の電化製品は買わなかったと思いますが、私はお土産にキャビアを買ったことがありました。何時か忘れましたが歌手の北島三郎がいましたね。トイレトペーパーがペーパーではなくて、とにかく固かった記憶があります。結局、旧ソ連は1991年に崩壊しましたが、当時ロンドンに勤務していましたが、英国の銀行がアレンジした旧ソ連向けのプロジェクトファイナンスの案件に参加していて、全部だめになったので東京の本社からエラク怒られました。あんたが大丈夫と言ったんでしょう、怒られる筋合いはないと、電話で言いたかったのですが、グッとこらえたことがありました。ロシアになった今では(最近は欧州便には乗らないけど)もちろん寒そうなシベリア上空も飛んでいますね。

いよいよ最終日となりました。当日の深夜便(正確には翌日の0時過ぎ)で帰国するわけですが、その前の夕方6時にアパートに皆が集まり最後のパーティーを開催してくれることになっていました。それまでは時間があるので自転車でHo Tayを1周し、前日と同じようにバナナの朝食の後、また土地勘があるDaewoo Hotelまで歩いて行きました。

昔はDaewoo Hotelの裏側にアパートの入口があり、その前を比較的広い道路が走っていましたが直ぐに行き止まりで、行き止まりの向こう側は舗装されていなかった道路が走っていて、古い住宅が立ち並んでいました。今では舗装されていなかった道路と古い住宅は消えていて、広い道路がずっと伸びています。その道路の向かい側には超高層のロッテビルが建っているという感じですね。当日は土曜日だったので前日のことだったと思いますが、アパートに住んでいると思われる若い日本人(韓国人ではなかったと思います?)が出勤のため玄関に出てきて、車に乗り込んでいるところに出くわし、自分もそうだったなと昔のことを思い出してしまいました。
舗装されていない道路と古い住宅が消えてしまっていたことで思い出したのですが、Daewoo Hotelの東側にある広い道路(片側3車線?)は、1997年の1月に私がハノイに赴任した時は、車1台がやっと通れる舗装されていない道路と、両脇に古い住宅が立ち並び人々が普通に生活していたのですが、3月だったと思いますが、僅か3週間で、人を追い出して、建物を壊し、広い道路を完成させたことがありました。なぜ3週間という工事期間を記憶しているかというと、家内が初めてハノイに様子を見にやって来て3週間滞在した時に、来たときは舗装されていない道路を通って、帰国する時は広い道路を通って帰ったからですが、家内によれば3週間の間は工事の埃が凄くて窓を開けられなかったそうです。立ち退きの話は前から進んでいたとは思いますが、それにしても僅か3週間という工事期間は脅威的でした。日本だともう何年かかるか分かりませんね。


アパートのそばにはトゥーレ公園(Cong vien Thu le)があり、動物園も併設されています。入場料は1万ドン(約60円)でしたが、記憶が定かではないですが、当時は4-5千ドンだったのでは?しかも、当時は、外国人とベトナム人は入場料の金額が異なり、ベトナム人は1千ドンぐらいだったかもしれません。一度、黙ってベトナム人の入場料を窓口に出したことがありましたが、即外国人の入場料を請求されたことがありました。もっとも、今はどうか知りませんが、当時は営業時間以外は門は解放され(これはハノイでは他の施設も同様でした)、入場料なしで中に入れたので、私は朝と夕方6時ごろ動物園を散歩することが多かったので、入場料を払った記憶は実はあまりありません。
http://244room.blogspot.jp/2013/07/hanoi-zoo.html



中にいる動物の種類はそんなに変わっていませんが、やはり来園者の服装等は昔と比べて随分と垢抜けています。また乗り物等は、当時は旧ソ連製のようなタイプ(旧ソ連には行ったことはありませんが)のものが多かったのですが、今はすっかり洗練された乗り物が多いようです。露天も昔に比べればすっかり少なくなりましたね。そういえば、当時は人が集まる場所には、必ず体重計の前に座っているお婆さんがいたのですが、今ではもう見当たりませんね、その他の場所でも見かけなかったような気がします。私が初めてこの動物園で見た時に、何のためにお婆さんが体重計の前に座っているのか理由が分からずに、翌日事務所で秘書のVanさんに聞いたところ、ハノイではそういう場所でお金を払って体重を量る人が多いということで納得した次第です。とにかく当時はよく理解できないことが多く、聞いてみて初めて納得ということが結構ありました。しかし結局理由がよく分からなかったこともあり、例えば、場所はHo Tay近くの官庁街だったと思いますが、休日に自転車で走っていると、大勢の人がモーターバイクや自転車で緑が多い何かの施設内を通過していたので、私も後ろからついて行ったら、私だけが警官から止められて通過出来ないということがありました。翌日事務所で何故私だけが駄目だったのか聞いてみたのですがよく分からず、おそらく軍の施設だったからではということになったのですが、これはもう確認のしようがありませんでした。
動物園の中にはお寺があり、1997年の秋ごろだったと思いますが、5年毎のベトナムの総選挙があり、ここが投票所になっていました。朝の6時か7時に係員が整列して、ラジカセから流れる音楽を聞いていたのですが、何処かで聞いたことがある歌だと思ったら、昔懐かしい「インターナショナルの歌」で、たしか過去に日本語版、中国語版、英語版を聞いたことがあったので、4カ国語目の「インターナショナルの歌」でしたね。
https://www.youtube.com/watch?v=KFlGfHCCZdQ



動物園の中には何の変哲もない橋があったのですが、この橋を通ると何時も数名の所謂ストリートチルドレンがどこからともなく現れ、もう私は顔を覚えられていたので逃げようがありませんでした。たしか近くに孤児院みたいなものがあると言う話を聞いた記憶があります。そういうこともあり、当時は財布は持たずに散歩に出かけることにしていましたが(ポケットを引っ張ってI have no moneyという。)、全く現金を持っていないのも逆に危険なので、小額紙幣を10枚ほど何時も持っていました。一度、腕時計を腕からもぎ取られそうになったので、散歩の時は腕時計も止めました。
当時のハノイではこういう話が多く、物乞い、靴磨きの強要等もうキリがありませんでした。当時、合弁会社からイギリス系の弁護士事務所まで数分だったので、歩いて行くことが多かったのですが、私は東洋人なので少しは紛れてしまうこともありましたが、それでも捕まることも結構ありました。イギリス人の弁護士は私のことを「Brave」と妙に褒めていましたが、あれは「向こう見ずだと」少しは「揶揄」する気持ちもあったのかもしれませんね。
また小さな子供が、道路を横断するとき等に非常に危険な行為をすることも多く、大人が教えた訳でもないだろうに、と思ったことも多くありました。見ているこっちがヒヤヒヤすることが結構あったものです。
以上は当時の状況ですが、しかし、今回私はかなり歩きましたが、一度もそういう場面に遭遇しませんでした。そういう局面でも、私が見た範囲では、かなり生活水準が向上していると感じました。
(注)旧ソ連には一度も行ったことはないと書きましたが、1990年ごろモスクワの空港に2-3回Transitしたことがあるのを思い出しました。(一部私の推測ですが)1980年代まで航空機は旧ソ連を通過出来ずに、欧州便は北極点の上空を飛んでいたと思いますが、1980年代の後半になると(おそらくお金の問題が関係あると思いますが)旧ソ連の上空を通過できるようになり、(おそらく交換条件として)便によってはモスクワの空港に立ち寄ることがありました。それも深夜の変な時間帯で、しかし免税店は開いていて日本製の電化製品等を売っていました。日本人はおそらく日本製の電化製品は買わなかったと思いますが、私はお土産にキャビアを買ったことがありました。何時か忘れましたが歌手の北島三郎がいましたね。トイレトペーパーがペーパーではなくて、とにかく固かった記憶があります。結局、旧ソ連は1991年に崩壊しましたが、当時ロンドンに勤務していましたが、英国の銀行がアレンジした旧ソ連向けのプロジェクトファイナンスの案件に参加していて、全部だめになったので東京の本社からエラク怒られました。あんたが大丈夫と言ったんでしょう、怒られる筋合いはないと、電話で言いたかったのですが、グッとこらえたことがありました。ロシアになった今では(最近は欧州便には乗らないけど)もちろん寒そうなシベリア上空も飛んでいますね。


Posted by tsukuma at 19:09│Comments(0)