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Posted by vietnhat at

2014/11/16

清算業務(5)

    



ドキュメンテーションをやりながら、会社の清算のための最後の取締役会の準備も行っていました。議題と内容について大まかに合意したうえで、ベトナム人の社長が手書きでベトナム語の原稿を作成し、それを若手の社員が英語に翻訳してタイプという手順を取っていました。このころ頻繁にベトナム人の社長と内容について議論していたのですが、お互いに外国語である英語で議論するので、どうも一抹の不安が常に残ったのです、やはり文章にすると相手の考えていることがよく分かりました。Draftを見ながらそれは違うだろうということで、何回も修正しこれも結構時間がかかったと記憶しています。ちなみに、私が今でもよく覚えているのは、ベトナム語の手書きの原稿を英語に翻訳してPCでタイプしている若手にそれは違うだろうと言うと、彼は私の言うことを一発で理解するのですが、どうもベトナム語の原稿ではそうなっていないということのようでした。このように修正を繰り返して最終版の作成に至りました。

ドキュメンテーションの最終Draftも最後の取締役会の議題として添付しましたが、そういえばドキュメンテーションの最終段階としてVCBの本店に出向き初めて会った女性の役員(だったと思いますが)に説明ということがありました。会話は全てベトナム語で行われ、当方の若いベトナム人の弁護士が説明していたので私はただ黙って座っていただけでしたが、不謹慎な言い方ではありますが、こういう時はこちらはベトナム語が分からないので気が楽ではありました。最後にこの女性役員が当方の弁護士に「あんた若いのにしっかりしているね。」という趣旨のこと言っていたようです

なおこのMeetingが行われたVCB本店では高層のVCBタワーが新本店として竣工する直前だと記憶しているのですが、そのせいかMeetingが行われた(旧)本店は暗くて人も少なく荷物が積まれていて何かうら哀しい感じでした。2010年12月に再訪した時には高層のVCBタワーを見ることが出来ました。



 




  

Posted by tsukuma at 04:19Comments(0)

2014/11/08

清算業務(4)

    

先週報告した米国系銀行はシティ・バンクのことですが、今週20周年の記念式典の記事が新聞に掲載されていました。1993年にハノイに駐在員事務所を開設して翌1994年にはハノイ支店としてスタートし、現在はハノイとホーチミンの2支店体制で営業しているそうです。ちなみに日本からは撤退するそうですが。そういえば当時米国人のハノイ支店長と会った時に、私が旧長銀・日本リースの代理人として働いていると言ったら、昔シティーの役員をしていた八城氏(当時は新生銀行(旧長銀)の社長)を知っている(或いは部下として働いていた?)と言っていましたね。
http://www.vir.com.vn/citibank-vietnam-celebrates-20-years-of-progress.html

Citibank Vietnam celebrates 20 years of progress
Citibank Vietnam marked two decades of development in the Vietnamese market and reaffirmed its commitment to its customers in the country.

Citibank country officer for Vietnam Dennis Hussey emphasised the important role of the business communities of both foreign and domestic, and expressed his pride that Citibank Vietnam has been serving them and helping them to accomplish financial goals and needs in its 20th year anniversary.
Also on this occasion, Citibank Vietnam was awarded with two noble awards from Vietnam’s government and State Bank of Vietnam for its outstanding contributions and success.
“The State Bank of Vietnam highly appreciates Citi’s achievements in the past 20 years, contributing to the overall development of the banking sector and local economy. This is important foundation for Citi - Hanoi Branch to continue with further achievements, expanding business activities effectively in order to contribute to the socio-economic development of Vietnam.”, Deputy Governor Dao Minh Tu said.
Citi ASEAN head Michael Zink said: “I reaffirm Citi’s commitment to our customers in Vietnam, to the market, and to supporting the overall development of society in many years to come.”
With its first representative office set up in Hanoi in 1993, Citibank quickly upgraded into a branch one year later. Over the past two decades, Citi has emerged as the leading financial institution with over 600 professional individuals operating at two branches in Hanoi and Ho Chi Minh City. With its global presence and local expertise, Citi Vietnam offers a wide range of best-in-class and innovative financial products and services to corporate and institutional businesses, small and medium-sized enterprises and consumers.
Citi, the leading global bank, has approximately 200 million customer accounts and does business in more than 160 countries and jurisdictions. Citi provides consumers, corporations, governments and institutions with a broad range of financial products and services, including consumer banking and credit, corporate and investment banking, securities brokerage, transaction services, and wealth management.
By Ngoc Linh


他にこんな記事がありました。ANZ、HSBC、新韓、Lao Viet、Credit Agricoleの各銀行のホーチミン支店、Lao Vietについてはハノイ支店も、及びANZ系のリース会社がオペレーションを止めるので閉鎖に向けて手続き中と書いていますね。ANZ系のリース会社を除き、Lao Vietを除き、各行ともホーチミン支店を閉鎖するだけのようなので大して影響はないのかもしれませんが、ホーチミンは銀行の過当競争の地域なんですかね?Loa Vietはラオスの銀行のようですが、ホーチミン支店とハノイ支店を閉めるようで、2大都市の支店を閉めたらあと何が残るのか?新韓銀行は韓国系だと思いますが虎ノ門に東京支店がありますね?大阪や福岡にも支店があるようです。何れにしても閉鎖に向けて手続き中とのことで昔を思い出してしまいました。
http://www.vir.com.vn/7-foreign-bank-branches-to-end-operations-in-vietnam.html
7 foreign bank branches to end operations in Vietnam
Seven branches of foreign banks and one foreign-owned financial leasing company are finalizing procedures to terminate their operations in two biggest cities of Vietnam, according to a recently released report of the Economic Committee of the National Assembly.

They are the Ho Chi Minh City branch of Australia and New Zealand Banking Group Ltd (ANZ), the HCMC branch of Hong Kong and Shanghai Banking Corp (HSBC), the HCMC branch of Standard Chartered Bank, the HCMC branch of Shinhan Bank, the HCMC and Hanoi branches of LaoVietBank, the HCMC branch of Credit Agricole SA and financial leasing company ANZ V-Track, said the Economic Committee’s report, citing data from the State Bank of Vietnam (SBV).
The SBV has revoked the licenses and officially put an end to the operations of the two branches in Hanoi and Ho Chi Minh City of LaoVietBank, Economic Commission said in the report.
Regarding the activities, the number of credit institutions in operation, and the reorganization, and dissolution of them, the report said the current banking system is designed to supply efficient banking services and products to meet the diverse needs of the economy.
The data in the report said that the current system has 47 commercial banks, including five state-owned commercial banks that have been equitized with the government holding a controlling stake, 33 joint-stock commercial banks, four joint venture banks, five banks with 100-percent foreign capital, two policy banks, and 53 branches of foreign banks.
There are also 28 non-credit institutions, one cooperative bank, 1,144 people's credit funds and two microfinance institutions.

In particular, commercial banks continue to play a dominant role in the whole system, and local commercial banks still have an edge in its widespread network across the country over foreign banks, said the report.
According to SBV data, as shown in the report, in the period of 2011-2013, the number of credit institutions decreased by 4 joint-stock commercial banks and 2 credit organizations, and three non-bank affiliates of foreign banks have been converted from dependant to independent branches.
According to data compiled and published by Reuters last month, the fully state-owned banks in Vietnam included Agribank, Vietnam Development Bank, Vietnam Bank for Social Policies, and Co-operative Bank of Vietnam with total assets worth around VN1,180 trillion (US$55.4 billion)
Meanwhile, Vietnam has 37 partly equitized banks.
Vietnam, with a population of 88.7 million, had 68.5 million bankcards by the end of March 2014, up 3.5 percent from December 2013, based on central bank data, Reuters reported.
Source Tuoitrenews


    





  

Posted by tsukuma at 06:45Comments(0)

2014/11/08

ハノイでの生活(3)

   

10年以上も昔の話なので段々と記憶が薄れていくのですが、当時一番印象に残っているのは2000年12月のクリスマスのことです。ほとんどはキリスト教徒ではないのにクリスマスを盛大に祝うのは日本人と同じですが、私の記憶ではハノイで最初にクリスマスを迎えた1997年12月にはまだそれほどの賑わいを見せていなかったのではと思いますが(あくまでも私個人の記憶ですが)、それからわずか3年後の2000年にはすっかり様変わりしていたことにとにかく驚かされました。

1. キリスト教徒
前にも記載したと思いますが、この年だったか別の年だったか記憶が定かではないのですが、ハノイのホアンキエム湖の西側にある古い大聖堂に大勢のキリスト教徒が集まりお祈りしていたのは本当に驚きました。思えばベトナム戦争当時、南ベトナムのサイゴンからのニュースには仏教やキリスト教に係るものが多くあって、いろいろな対立や紛争が結構あったような記憶があります。実際にベトナムに来てみるとハノイの大聖堂はもちろん、少し離れた郊外にも古い大きな教会が突然現れてその度に驚いたものです。とにかく南部だけではなくベトナム北部にもキリスト教の影響が小さくないという印象を持ちました。

2. サンタクロース
これも前に投稿したので詳しくは記載しませんが、サンタクロースのコスチュームで三菱パジェロに乗ってハノイ中にあるスタッフの家を回ってプレゼントを渡して行ったのも楽しい思い出です。あれからもう15年も経ったのですね!詳しくは2012年12月24日の投稿を参照ください。
http://omoide.vietnhat.tv/e14573.html

2000年12月24日は半そで半ズボンで過ごしたような記憶があります。夜はホアンキエム湖でとにかく大勢の人に圧倒されました。ベトナム人はモーターバイクと思っていたのであれほど大勢の人が歩いているのはおそらく初めてではなかったかと思います。


   



  

Posted by tsukuma at 06:40Comments(0)

2014/11/01

清算業務(3)

      

1. 合弁終了契約

前述したように第1回目のMeetingだけは行ったが、あとは書面によるコメントの応酬が主でした。先方からベトナム語のコメントが来て、それを当方の英系弁護士事務所が英文のDraftに反映させたものを当方が検討して、当方の英文のコメントをベトナム語にして先方に提出という手順を繰り返していました。当方のコメントに対して先方から回答があるのが通常1週間程度だったと記憶しているのでとにかく時間がかかりました。一生懸命に検討して、東京にFaxで連絡して、コメントを準備してという作業を別室に籠って一生懸命やっていました。先方からのコメントを待っている間もやることはたくさんあり忙しくしていました。

2. アメリカ系銀行

(1) 当方の弁護士が作成したDraftは最初からEscrow Accountの設定を前提にしていて、果たして先方が設定にOKと言うかなと思って心配していたのですが、すんなりOKしたので意外な感じがしました。もしかしたら当時ベトナムで流行っていた手法だったのかもしれません。合弁終了契約締結後の話になりますが、株譲渡代金を一旦Escrow Accountに振込み、いくつかある(確か4-5個あったと思います)条件を成就して初めて国外の日本の株主に送金出来るというものでした。成就すべき条件の主なものが、ベトナム中央銀行による合弁終了の最終的な承認、及びベトナム国外への送金の承認だったと思いますが、この承認が何時になるのかよく分からず結局6カ月ほどを要したのですが、途中で本当に承認されるのかどうか不安になり「現金を船に積んで(おそらく)香港に逃げようとして火事になり船も現金も燃えてしまった」という夢を見て目が覚めたということがありましたね。

(2) とにかく、当方の弁護士事務所と同じビルにあったアメリカ系の銀行のEscrow Accountを設定することになり、Feeの話やFee Letterの話で何度かMeetingを持ちましたがFee自体はそれほど高い水準ではなかったと記憶していますが、かなりの金額が約6ヵ月間Escrow Accountに(当方にとって)無利息で寝ていたので銀行側にはそれなりに儲けがあったのでははと思います。

3. 4大事務所の中の一つの国際会計事務所

依頼したのが大まかに以下の3点のTax Clearanceだったと記憶しています。
・合弁会社自体のTax Clearance
・日本の株主2社のTax Clearance
・日本側の役員に関するTax Clearance

(1) 要はベトナムでの税金について納税をきちんと行っていて未払いはないということの証明ですが、これが分かったような、分からないような点が多く、最後までなかなか出せなかったような記憶があります。日本側の役員に関するTax Clearanceについては、私は当時長期出張者という立場だったので関係なかったですが、形式的に日本人の役員が2名いたためそのClearanceが必要でした。

(2) このTax Clearanceの一部もEscrow Accountから送金するための条件だったと思います。

(3) 最終的に帰国する時にはTax Clearanceの本紙を内ポケットに入れていて、出国審査の際に係官から求められれば提示するようにと注意されていましたが、結局求められることはありませんでした。

(4) そもそもベトナムから出国する時に、Business Visaを有する人物かどうかはPassportを見れば分かりますが、一時帰国か本帰国か、Tax Clearanceを提示すべき出国者かどうかについて係官の方で果たして把握できるのか何時も疑問に思っていました。入出国審査の時に係官はコンピュータの画面を一生懸命に見ていますが、あそこには一体何が書かれてあるのでしょうか?しかし実際に提示を求められたことがあるという話を聞いたこともありますね。

(5) ちなみにコンピュータといえば、当時航空チケットは東京・香港経由・ハノイ間のキャセイ・パシフィック便の往復を購入していましたが、ハノイ・香港間の航空券の座席表示記載はマジックで手書きでした。2010年12月の再訪時にハノイから帰国する時にノイバイ空港にてコンピュータで印字された航空券(但し香港経由ではなく成田へ直通でしたが)を手にした時は密かに感激したものです。

      




  

Posted by tsukuma at 05:56Comments(0)

2014/10/13

ハノイでの生活(2)




1997-1998年に住んでいたアパートはハノイの西にありましたが、Meritus Hotelは旧市街の北側のHo Thai(西湖)に面した所にあり景色は最高でした。ホテルの最上階にある部屋からは紅河(Hong河)一帯が見え、食堂からはハノイ市の中心街が見渡せて前に住んでいたアパートも見えました。

ホテルからの眺めは良かったのですが、長期滞在者用とはいえホテルはホテルなので、アパートと違い窮屈でずっと部屋にいるとどうしても精神的に疲れてしまいました。ということで休日の昼間(夜も)は殆ど外出していました。しかし一体どこへ行っていたのか?これといってなかなか思い出せないのですが、自転車や徒歩でいろんなところを走り回った(歩き回った)のではと思います。よく行った場所でよく覚えているのは、何れもホテルの近くですが:
(1) Ho Thaiに面した細い4-5階建てのCafé
ベトナム・コーヒーを飲みながら何もしないで湖を眺めていたものです。
(2) ホテルの近くの地下のバー
夜たまに行っていました。おそらく昼間に見ると建物はボロボロだと思うのですが?2010年12月に再訪した時には(おそらく)まだバーは残っていたようです。
(3) ホテルの近くの道路に面したオープン歌声バー
ここも夜たまに行っていました。オープンというのは壁がなく道路から丸見えということですが、日本には無い形式のバーで、有名かどうか知りませんがプロと思われる歌手が歌ったり、お客さんがリクエストして生歌を披露したりしていました。言葉が出来ないとどうにもならないのですが、見ているだけでも結構楽しかったです。
(4) 日航ハノイホテル
ここも休日のたびに自転車で日本経済新聞を買いに行っていたような気がしますね。
(5) サイゴンさくら
夕飯によく行きました。トンカツ定食をよく食べたものです。当時ベトナムの自転車はライトがついていなくて、夜の運転は危険だったのでホテルとの間を歩いて往復していたような気がします。年齢のせいかやはりどうしても日本食が恋しくなったものです。







  

Posted by tsukuma at 04:26Comments(0)

2014/10/01

10月1日のVietnam Investment Reviewの記事から

来週の10月10日はハノイ解放60周年だそうで、Sofitel Plaza Hotelで特別なOfferがあるようです。
写真のように室内プールの外側にハノイを見渡せるスペースがありましたね。
それにしてもベトナムの歴史は苦難の連続ですね。


Vietnam Investment Review 2014.10.1号から



Sofitel Plaza celebrates Hanoi Liberation Day

On October 10, 1954, Hanoi was brightened with national flags, flowers and banners to welcome Vietnamese People’s Army taking over the capital. This was a glorious milestone marking a new period in the country’s history, opening a new era of freedom and happiness.

To commemorate the 60th anniversary of Hanoi Liberation Day, Sofitel Plaza Hanoi will take you on a memorable journey with a grand celebration.

Marvel at the unrivalled panoramic views of Hanoi when the sky is lit up with the spectacular display of fireworks. Take a sip of your favorite drink while enjoying the inspiring performances by our live band in the graceful ambience. All is set to bring guests an everlasting memory on this special occasion.

Located on the 20th floor of Sofitel Plaza Hanoi, Summit Lounge endows guests with a cozy atmosphere and a mesmerizing vista of the picturesque lakes. Meanwhile, Le Panorama at 19th floor brings a genuine experience of sophistication and luxury.

Accordingly from 7pm on October 10, the Sofitel Plaza Hanoi offers special ticket price at its Summit Lounge with VND350,000/adult and Le Panorama with VND350,000/adult and VND250,000 per child to enjoy your favourite drink while marveling at the unrivalled panoramic views of Hanoi when the sky is lit up with fireworks for the 60th celebration of the Liberation Day.

Especially the hotel’s Ming restaurant bewitches your gastronomic desires with the succulent pork dishes. Special offer of 20 percent dinner discount is applied for Accor Advantage Plus members with group of 6-10 persons. One complimentary pack of pink macaroons is offered for all lady guests on Vietnamese Women’s Day on October 20. Exclusive birthday celebration with Ming Set Menu at VND1,500,000++/person and a complimentary bottle of Monte Alpha for groups of 6-10 persons.
  

Posted by tsukuma at 19:56Comments(0)

2014/09/27

ハノイでの生活(1)

    


ハノイで2度目の生活を始めたわけですが、日本にいた約2年間はネットを通じてベトナムの経済動向やFDI等に関する情報には結構アクセスしていました。ネットを通じた情報を見る限り、経済面では正直苦戦しているなという印象でした。しかし実際に再度ハノイを訪れて2度目の生活を始めると、2年間の間に随分と変化があり、やはりベトナムの勢いというものを感じました。例えば、ハノイでは新しい道路がいくつも開通しており、1997年には殆どなかった信号もかなり増えていました。また、1997年の段階では殆んど普及していなかった携帯電話については、もう年寄りも含めて誰もが保有しているような印象を受けました。勢いがある国では固定電話よりも携帯電話の普及が早いそうです。とにかく生活レベルが1997年当時に比べて、かなり上昇したような印象を受けました。もちろんたった2年間では変わらないものも結構ありましたが、私が日本人だからそう感じるのかもしれませんが、日本では2年間では全ての面で何の変化もないことを考えると、大きな変化だと思いました。

Meritus Hotelから合弁会社まで改めて地図で見ると約3kmの距離で、歩こうと思えば歩けない距離ではなく実際に歩いたこともありました。毎日の通勤は車で送り迎えしてくれることもありましたが、車の手配がつかなかったり手配が面倒なこともあり、幸い雨が少ない乾季ということもあり、自転車で旧市街を通って通勤することが多かったようです。とにかくモーターバイクの数が飛躍的に増えていて渋滞に巻き込まれて全く動けなかったこともありました。

ハノイではとにかく健康には留意することに心がけましたが、健康的な生活を送る環境については日本よりも遥かに恵まれていました。朝起きると、近くのHo Thai沿いの公園を散歩していました。中年の女性たちが毎日公園に集まりカセットの音楽に合わせて体操(腰をクネクネする動き)をしていました。また老若男女が路上でネットを張ってバトミントンに講じたりしていました。ホテルに戻り室内プールで一泳ぎのあと朝食をとり出勤していました。記憶では当時はハノイで唯一の室内プールだったと思います。夜は外で食事をしていましたが、面倒な時はホテルの長期滞在者用に準備されていた軽食で済ませることもありました。夜も寝る前に、酔っぱらっていないときは、出来るだけプールで一泳ぎしサウナで汗を流していました。


    



  

Posted by tsukuma at 06:27Comments(0)

2014/09/20

清算業務(2)

       

 ハノイに行った2000年9月早々に第1回目のDocumentation Meetingを行ないました。 場所はよく覚えていないのですが(おそらく)Ly Thai ToにあったVCBのJVセクションの会議室ではなかったかと思います?先方は英語が出来るのに通訳を通じてベトナム語と英語で行いました。合弁設立の時よりもベトナム語色が強くなったような気がしました。こちらは日本人なのに日本語が一切出てこないのは不公平だが此処はベトナムなのでしょうがないと思った記憶があります。

Documentation Meetingはかなり形式的なもので取りあえずのコメントは出てきましたが、これから精査して追加のコメントを出していくと言うことでした。実際のMeetingはこの第1回目を含めて数回しか行わなかったと思います。あとは文書のやり取りで延々とコメントの応酬が続くことになります。

先方のVCB側のメンバー数人は実は合弁設立の時と同じでメンバーで、初めて会った若い女性1名を除き、よく知っている人物ばかりでした。全員女性というのも日本ではあり得ない状況だったかもしれません。とにかく久しぶりということで、第1回目のMeetingは適当に切り上げて、その日はランチをご馳走してくれました。ランチではいろいろな話をしたと思いますが、私が驚いたのは、私がいない間に合弁会社の社長を退任した日本人のY氏のプライベートについて実によく知っていて、中には何故そんなことまで知っているんだというようこともあり、驚いたと同時に空恐ろしくもなったものです。おかげでこちらはY氏のプライベートについては随分と詳しく知ることになったわけですが。

その後のDocumentationは以下の手順で行われたと記憶しています。
(1) 先方から文書でベトナム語のコメント。
(2) 当方のベトナム人弁護士がベトナム語版と英語版のDocumentに先方のコメントを反映。
(3) 先方のコメントを反映した英語版を見ながら私と当方の弁護士で議論。必要であれば東京の意見も聴取。
(4) ベトナム人弁護士が、当方からのカウンターコメントをベトナム語にして先方に送付。
と大まかに言って以上のような手順だったと思います。こちらが先方にカウンターコメントを送っても返ってくるのは最低でも3-4日は経過してからで、とにかく時間がかかりました。通常のDocumentationであれば問題点をだんだん絞り込んでいくのですが、本件の場合はDocumentの数が3-4種類あったこともあり追加のコメントが次から次に出てきて、とにかく時間がかかりました。コメントを待っている間も他の仕事が山ほどあり忙しくしていました。

  
なお、Ly Thai To(リタイト)は10世紀ごろの皇帝の名前らしいのですが2010年12月に再訪した時にHoan Kiem湖の近くにLy Thai Toの銅像ありました。2004年に建立されたそうで当時はありませんでした。

       



  

Posted by tsukuma at 04:45Comments(0)

2014/09/14

清算業務(1)





仕事が一時的に忙しくなったり、夫婦でロンドン旅行に行ったりで、結構忙しくしていて、すっかりご無沙汰していましたが、久しぶりで本題に戻ります。時間が経つと当時の記憶や印象が曖昧になってくるので、とにかく忘れてしまわないうちに、記録を残す意味でも再開したいと思います。

過去の履歴を見ると2000年9月に会社の清算業務で再びハノイに住むことになり、当時のシンガポール系のMeritus Hotel(その後売却され現在はフランス系のSofitel Plaza Hotelになっているようです)に滞在することになったところで終っているようです。

とりあえず様子を見るためにハノイに短期で出張のつもりで行ったら、いきなり本番が始まったので日本に帰れなくなり、身の回りの例えば普段着や運動靴等をとにかく急いで買い揃えました。

とにかく目的は、会社を清算し現・預金として残っていた資本金のうち日本側の持ち分をベトナム側に売却し、その売却額を日本に送金することでしたが、何をどうしていいのか皆目見当がつかず、問題はベトナムでもファイナンス会社の清算は初めてのケースで法的な手続き規定がなく、日本でもそうだと思いますが、法的な手続き規定もなく前例もないことについては試行錯誤の連続で、途方もなく時間がかかりました。実はあとで分かったのですが、ベトナム側(VCB)はやはり破綻していた韓国の銀行とのJV銀行の清算も同時並行的に進めていたようです。

取りあえずベトナム側の了解を取った上で、日本側の弁護士として英国系の弁護士事務所を指名し、会社清算・持ち分売却に係る膨大な契約書のドラフトを作成してもらい、そのドラフトをベトナム側に提示したところまでは、東京から電話とメールで完了していたので、ハノイでは具体的な作業が、それも物理的(時間的)にも精神的にも気が遠くなるような作業が始まりました。

私は毎日合弁会社に出勤し別室で作業することになりました。当事者は思い出す限り以下のとおりです。

(1) 英国系の弁護士事務所
合弁会社の近くのメトロポールホテルのそばにあるInternational Centreというオフィスビルにありました。ちなみに同事務所は現在も同じところにあるようです。英国人の弁護士と若いベトナム人の弁護士が担当してくれましたが、ベトナム語版の問題もあり、主に30歳ぐらいの若いベトナム人の弁護士が対応してくれました。殆ど毎日訪問していたような記憶があり、当時会議室から見えたハノイの中心街の景色は今でもよく覚えています。この若いベトナム人の弁護士はとにかく舌を巻くほど優秀で、ずいぶんと助けられました。合弁会社から歩いて5分程度だったので、何時も歩いて行ったのですが、意味がよく分からなかったのですが、英国人の弁護士からは外国人が一人で歩いて来るのは勇気があると、妙な褒め方をしていました。私はアジア人でしかも当時は溶け込んでいたのか、一人で歩いていても別にトラブルは無かったですが?

(2) 米国系銀行
最近日本で個人業務からの撤退を発表した銀行ですが、ここも同じくInternational Centreにありました。ネットで調べてみると、この銀行も現在も同じビルで営業しているようです。何故この銀行が登場するかと言うと、ベトナム側との交渉の中で、売却代金を振り込むEscrow A/Cを設定することになり、ベトナム系でも日本系でもない米国系の同行に設定することになったものです。ANZ銀行にも確認した記憶があるのですが、おそらく条件面でこちらの米国系銀行にしたのだと思います。後日説明しますが、最終的にはOKだったのですが、実はこの処理が後で結構大きな問題になります。同行の担当者は若いベトナム人の女性でしたが、最初に支店長のアメリカ人も含めて会議室で会った時に、昔のハノイの大きな写真が飾ってあって漢字で「河内」(ハノイ)と書かれていたのですが、私が指摘するまで誰も何と書いてあるのか分からなかったということがありました(急に思い出しました)。

(3) 4大事務所の中の一つの国際会計事務所
日本の会社がベトナムから撤退するにあたり、税金問題をクリアーにしておく必要がありました。同会計事務所は合弁会社と同じBa Trieu Streetをもう少し南に行った4-5階建てぐらいのビルに入居していたと思います。税金問題は分かったような、分からないような複雑な面があり、とにかくこれをクリアーにしておかないとベトナムから出て行けないので、最後はかなりの頻度で訪問して相談したものです。担当者は40歳ぐらいのベトナム人女性でした。

(4) SBV(ベトナム中央銀行)
合弁会社を設立した時ほど頻繁には行かなかったような気がしますが、それでも時折通っていました。


思い出す限り、合弁(解消)相手のVCB以外に、上記の当事者が介在したと思います。考えてみれば、日本語が全く通じない中での孤軍奮闘で、火事場の馬鹿力ではないですが、(自画自賛にはなりますが)よく頑張ったと思います。



  

Posted by tsukuma at 01:08Comments(0)

2014/08/03

ロンドン旅行(10)

ロンドン旅行記は終わりますが、最後に印象に残ったことを:

私が今回とにかく驚いたことは韓国の勢いや躍進についてです。私も、日本のマスコミを通じてですが、韓国国内或いは日本と韓国との間にはいろいろな問題があるのは百も承知しているのですが、自分の目で見た現実は現実として認識する必要があるのではと思います。以下はあくまでも私個人が短時間の間に見たことをベースにしていることを理解ください。日本では韓国について極端なマイナス報道が目立つのであえてプラス面を強調したいと思います。

1. 溢れる大勢の韓国人
とにかく何処に行っても大勢の韓国人がいて驚きました。もちろん数のうえでは中国人が多いはずですが、中国人は昔から多かったので、とにかく韓国人の大幅な伸びには驚いてしまいました。特に留学生等の若者が多いのには驚きました。また駐在員とおぼしき中年の韓国人も多く、金融街のシティーでは韓国語を喋る男女がとにかく目立ちました。ロンドンを離れた観光地に行っても状況は同じでした。平日の市内の観光地にも大勢の韓国人の若者がいて、こんな時間にこんな所で何をしているのか、と昔は日本人の若者に対して思った同じことをつい思ってしまいました。ロンドンの南の方には韓国人が多く住む居住区もあるそうです。



2. 韓国レストラン
韓国人が増えた結果としてだと思いますが、とにかく市内の至る所で韓国レストランの数が増えました。最後の夜に中心街で食事をした地中海レストランの隣も韓国レストランで大勢の韓国人の若者たちで賑わっていました。



3. 韓国の文化広報活動
たまたま帰国の日の早朝に、ホテルの近くにあるトラファルガースクエアーという所を散歩しました。National Galleryやネルソン提督の銅像等があり昼間は多くの観光客で賑わう所ですが、韓国の伝統芸能を紹介する建物があり文化広報活動にも力を入れているようです。



4. 消えてしまった日本人
昔に比べて日本人がすっかり少なくなっている感じがします。ちなみにロンドン日本人学校の生徒数は現在500名程度のようで記憶では20年前は約1000人だったと思うので半減しています。街中でも日本人の若者を見ることは少なく、というか私は日本人の若者は全く見かけませんでした(どこかにいるとは思いますが?)。唯一の例外は日本人の60歳代70歳代の女性の旅行者グループはどこに行っても多く見かけました。彼女たちの多くには男性の配偶者がいると思うのですが何処でどうしているのか?日本でおとなしく留守番をしているのか?逆に心配になりました。



5. 電子製品・電化製品
よく聞く話なのでまたかと思うかもしれませんが、ロンドンで見る電子製品・電化製品は、例えばホテルの部屋のテレビ、観覧車内部等街中のタブレット・PC・画面(正確に何というのかよく知らないのですが)等の目にするものは100%韓国製です。ロンドン滞在中に日本製を見ることはありませんでした。最近サムスンの業績がイマイチで問題視されているようですが、日本の電機メーカーはとっくの昔からもっと問題視されていています。



6. ピカデリーサーカスの広告塔
ニューヨークのタイムズスクエアと並ぶ広告で有名な場所ですが、20年前はソニーやサンヨー等日本企業が目立っていましたが、今や日本企業は完全に消えてしまい代わってサムスンや現代自動車等の韓国企業の独壇場になっています。ただ画像を見るとTDKはまだ残っていますね?

  

7. 自動車
① 私がロンドンに住んでいた時は当時最後のイギリス国産だったRoverに乗っていました。但しホンダと提携していてエンジンはホンダ製で日本語の表示がありました。
ちなみに当時ロンドンに住んでいた日本人の殆どはドイツ車に乗っていました。



② その後、最後のイギリス車であったRover社も結局分割され中国・インド・ドイツ等に買収され、イギリスから国産メーカーが消えてしまいました。家族経営の国産はまだ残っているらしいのですが?



③ 今回高速道路等で一生懸命見ていましたが、私が見た範囲では:



1) NO1はドイツ車でその他フランス、イタリア等のヨーロッパ車が圧倒していました。

2) アメリカ車はFord車が圧倒的に多く、GM車やクライスラー車は殆ど見かけませんでした。なおGMのイギリス法人としてVAUXHALL社(日本ではオペル)がありますが、あまり見かけなかったような気がしますが、ネットで見るとそれなりに売れているようです。

3) 日本車もトヨタ、日産、ホンダ、マツダ、三菱、スズキ等がそれなりに走っていて、特に三菱は日本で見るより多くの車が走っているのではないかというぐらい走っています。ただ、ドイツ車やFord車に比べるとやっぱり数で劣ります。トヨタ、日産、ホンダは英国に工場がありネットを見るとそれなりに売れているのですが?

4) 特筆すべきは韓国車で、20年前はおそらく韓国車は走っていなかったと思いますが、今やかなりの台数が走っています。起亜自動車は現代自動車のグループ会社らしいのですがイギリスではむしろ起亜車の方が多いようです。台数はまだ日本車には及びませんが20年前は見たことがないということを考えると将来的(それもかない近い将来)には分かりません。デザインは、個人的な趣味の問題もありますが、日本車よりも洗練されているように感じました。

ということで韓国の躍進ぶりを実際見た範囲で書きました。一部の日本人は、安物とか壊れやすいとか、いろいろと難癖をつけるでしょうが、そんなことはありません。むしろ電子製品については日本製よりも高く性能もよくブランド力もあるのでそれでも売れていると言うのが現実です。ベトナムのハノイで韓国系のアパートに住んでいましたが、電気製品はすべて韓国製で何の問題もありませんでした。食器洗浄機は単身だったのであまり使ったことはありませんでしたが、私はハノイで初めて見ました。いまだに日本の我が家には食器洗浄機はありません。韓国や韓国人も必死で頑張っています。それなりに現実を直視する必要があるのではと思います。私は日本人ですからやはり日本には頑張って欲しいのですが、韓国もそれ以上に頑張るでしょう。もう昔のようにどこかの国が独占できるという時代ではありません。政治的にはいろいろあるのでしょうが、経済的には出来るところはお互いの利益のために協力して共存してやっていくということでは・・・と個人的には思いますが。

  

Posted by tsukuma at 06:25Comments(0)

2014/07/21

ロンドン旅行(9)

ロンドン旅行にもう一台カメラを持参したが、何故かPCにCopy出来なくて人に頼んでやっとCopy出来るようになりました。以下まとめて:

(1) ホテルの周辺

      

(2) 最初に住んでいたFlat(アパート)

              


(3)2軒目に住んだ家

  


(3) ロンドン日本人学校

        

(4) イーリングコモン



(5) ミュージカル

  

(6) コベントガーデン

  

(7) リッチモンドパーク



(8) リーズ城

            

(9) ドーバー


  

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2014/07/12

ロンドン旅行(7)

2014年6月5日(木曜日)早朝

とうとう日本に帰国する日がやってきました。本当にあっという間でした。名残り惜しいけどしょうがないです。早朝の散歩も最後になりましたが当日は地下鉄に乗ってホテルに帰れなくなると困るので、歩いてホテルの周りを一周することにしました。

(1) County Hall
前に記述した通り私には思い出深い建物です。

    

(2) 早朝のビッグベンとテムズ河

            

(3) ダウニング街10番地
首相公邸がありニュースでよく登場しますがこんなに警備が厳しかったかな?
近くにチャーチルの銅像やThe Women of world war IIの像があります。

    


(4) トラファルガー広場
昼間は人でいっぱいですがさすがに早朝は閑散としています。



(5) 韓国の国旗
トラファルガー広場の一角に韓国の伝統文化を紹介する建物がありました。韓国国旗は24時間掲揚しているようです。とにかくロンドンにおける韓国の躍進はすさまじく恐ろしいほどです。これについては別途まとめて報告します。

    

(6) スコットランドヤード
そういえばここにロンドン警視庁がありました。





(7) Savoy Hotel
見た目ではよく分かりませんが超一流のホテルです。Partyによく呼ばれました。Party会場に入る時に中世の騎士のような格好をした係りの人が中に入る人の名前を読み上げるのですが、日本人の名前を読み上げるのは大変だったようです。私の故郷の福岡銀行が駐在員事務所から支店に格上げした時のPartyもここでありました。内心ではイギリス戦後最大の不況の時に勇気あるなと思ったのですが、今はもう撤退して支店や駐在員事務所はないようです。



(8) ホテルに戻り窓から撮影。帰る時に気がつきましたが、当時の職場のすぐ近くの(当時は珍しかった)高層のセンターポイントビルがよく見えました。

    

いよいよ帰国のときが来ましたが、20年前と変わらないロンドンもあれば、変わってしまったロンドンもあり、若干書き遺したこともあるような気がするので、もう少しお付き合いください。
  

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2014/07/12

ロンドン旅行(8)

今回のロンドン旅行は、私は2000年2月の最後の出張から約14年ぶり、家内は20年ぶりの再訪でした。やはりロンドンは20年前と殆ど変らないと言ってもいいと思いますが、もちろん変化もあります。変わらないロンドン、変わったロンドン、幾つかコメントしたいと思います。

1. 地下鉄
20年前は発車のベルや車内アナウンスは全く無かったと思いますが、今回は発車のベルはもちろん、次の駅の案内や、乗り換えの案内等の車内アナウンスがありました。余計なことは言わないというのがロンドン流だと思っていたので少し以外でした。「Mind the gap」のアナウンスは昔と同じでした。

http://www.youtube.com/watch?v=PDGlECVOGE8

2. 列車
6月3日(火)はWaterloo駅から列車で約30分のところにあるHampton Courtに行きましたが、列車が時刻表通りに出発したことに驚きました。20年前は遅延やキャンセルは当たり前でした。



3. ホームレス
確実に減少しています。当時の職場の最寄駅周辺には大勢のホームレスで溢れていましたが、今回は1-2名しか見かけませんでした。また当時は通りすがりの人から小銭やタバコをねだられることが珍しくなかったのですが、今回は少なくとも私は皆無でした。おそらく景気のレベルが全く違うのではと思われます。



4. 傘とイギリス人
滞在中は概ね好天に恵まれたのですが、それでもイギリスらしい天候(要は変わりやすい)の日もあり雨に降られた日もありました。昔は雨が降っていても傘はささないのがイギリス流と思っていて実は私も殆ど傘はささなかったと思います。ザーザー降りは少なく濡れてもすぐに乾いたような気がしますが、今回は雨が降りそうで降っていない時でも傘をさしている人がいて、雨が降ると大勢の人が傘をさしていました。もちろん昔と同じで傘をささない人も多くいますが?



5. ガーデニング
家の庭をきれいにしているのは昔と同じですが、最近は意識の変化もあるようで、例えば道路から見える前庭も昔は綺麗に手入れをしていたものですが、最近は駐車場にするケースが多いそうで、我々が20年前に住んでいた家の前庭も駐車場になっていました。

   

6. 自動販売機
屋外に自動販売機がないのは20年前と同じです。おそらく景観保護の観点から今後も同じだと思います。しかしながら室内で自動販売機の数が飛躍的に増えています。しかも昔と違い最新鋭の機器ばかりです。もっとも私は日本でも自動販売機は利用しないので正確には分からないのですが。写真はHeathrow空港に設置してあった自動販売機です。

   

  

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2014/07/08

ロンドン旅行(6)-3

2014年6月4日(水曜日)午後

午後は子供たちや親類に必要最小限のお土産をということで買い物へ行きました。

1. ハロッズ
言わずとしれた有名デパートですが、実は私は殆ど行ったことがありませんでした。Hyde Parkからすぐのところにあり、公園から徒歩でデパートへ。数年前に中東系に買収されたと言うニュースを見た記憶がありますがデパート自体はそれほど変わっていないような気がしました。ただお客は中東系と中国人が圧倒的に多く家内曰く客層が変わってしまったそうです。何も買わずに次のところへ移動。1階に日本のデパ地下みたいなところがあったと思いましたが相当に広いので見つけられませんでした。

http://london.navi.com/shop/42/

2. Liberty
Oxford Circusにあるデパートですが行って思い出しましたが木造りの内装で内側が天井から地下まで吹き抜けになっていて昔と全く同じように見えます。ハロッズほど派手ではなく規模も大きくははありませんが、如何にも英国風という感じがします。ただ商品の値段が高く値札を見るとギョッとしました。家内は何かを買ったようです。

http://london.navi.com/shop/76/

3. Fortnum & Mason
結局、最終的にピカデリーサーカスにあるFortnum & Masonで定番の紅茶や小物をお土産に購入。当時は英国ではここの紅茶はここでしか買えなかったのですが、日本に帰国したらディスカウントストアを初め色々なお店で売っていたので驚いたものです。しかし今回は翌日帰国のときにHeathrow空港で売っているのを見つけてしまいました。本店(1店舗しかないはずですが)でしか販売しないという方針を若干変更したのかもしれません。

http://woman.excite.co.jp/blog/sanpo/sid_1094748/



2014年6月4日(水曜日)夕方


最後の日の夕食はOxford Circusの地中海料理のレストランへ。日本ではなかなか食べられないと思いますが、東京では世界中の料理が何でも食べられるか?おそらくこの店だと思いますが?

http://www.tripadvisor.jp/LocationPhotoDirectLink-g186338-d1385646-i45210020-Bistro_1_Beak_Street-London_England.html


ホテルとレストランとの間のバスから写真撮影。

            

  

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2014/07/07

ロンドン旅行(6)-2

2014年6月4日(水曜日)午前

1. エリザベス女王のパレードのあとはHyde Parkへ。ロンドンの中心部にあるとにかく広大な公園ですね。池も昔のままですね。

          

2. そういえば20年前に屋外のオペラコンサートで有料席のすぐ後ろの無料席でイタリアのオペラ歌手のルチアーノ・パヴァロッティ氏(という名前だったかな?もう亡くなりましたね?)の歌を聞きましたね?夏にはロンドンのあちらこちらの公園で野外コンサートが盛んに開催されました。ロンドン中心部の北にあるHampstead Parkでの野外コンサートの幕間の舞台での花火はいまだに忘れられません。日本では見られない花火のショーでした。最近は騒音問題で屋外コンサートができなくなったそうなのですが?Hyde ParkでJapan Festivalが開催されたことがありました。鎧兜の侍姿の人が、走る馬から的をめがけて弓を射る「流鏑馬」を生まれて初めて見ました(実は日本ではいまだに見たことがないのですが)。

    

3. Hyde Parkの西側は家内はよく来たらしいのですが、もしかしたら私は初めてかもしれない。故ダイアナ妃の記念館がありました。

      

4. Royal Albert HallをHyde Park側から見たのは初めてのような気がします。同Hallでのコンサートに一度来たことがありましたが、家内と当時小学生の高学年だった娘は何度も来たそうです。当時日本から大相撲が来てここで興業をやりました。私はHallには見に行きませんでしたが街中で名前を知らない力士を数人見ました

        

5. あとで思い出しましたがピーターパンの銅像が公園のどこかにあったような気がしますがすっかり忘れていました。思いのほか小さいのでうっかりすると見落としてしまいます。人によっては世界三大がっかり・・の一つだと言う人がいましたが、私はそれなりに立派な銅像だと思います。ちなみにデンマークのコペンハーゲンにある人魚の像は世界三大・・には必ず入っているらしいのですがこれは同感です(あくまでも私の個人的な感想です)。

            




  

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2014/07/06

ロンドン旅行(6)-1

2014年6月4日(水曜日)午前

とうとうロンドン滞在(実質)最後の日になり翌日は日本に帰国しなければなりません。楽しいことはあっという間に過ぎてしまいます。最終日は近くにある広大なHyde Parkの散策からスタートしようということになりました。

1. ホテルからWestminster Bridgeを渡りビッグベンを進んでいると大勢の警官がいました。何か起こったのかと思ったのですが大事件が発生したような雰囲気ではない。家内が若い警官をつかまえて何事かと聞いてみると、なんと当日は国会の開会日でエリザベス女王がバッキンガム宮殿からビッグベンまで馬車でパレードするとのこと。翌日のテレビの放送で分かったのですが女王は開会を宣言するだけでなく、長い時間を使ってかなり細かいそれも政策に関わるような内容のスピーチを行うようです。テレビでは女王のスピーチの内容がニュースになっていました。とにかくバッキンガム宮殿まで行って特等席と思われる場所を確保しました。

    

2. かなり待っていたのですが馬に乗った儀仗隊や軍楽隊等日本ではなかなかお目にかからない一群が次から次にパレードをします。またチャールズ皇太子とカミラ夫人が車で通り過ぎてバッキンガム宮殿に入りました。おそらく近くの宮殿に住んでいるのでは?20年前に故ダイアナ妃がバッキンガム宮殿の近くの宮殿で手を振っているのをテレビで見た記憶があります。家内はチャールズ皇太子夫妻があまり好きではないようですが結局2回見ることになりました。

      

3. 警備は緩いといえば緩いのですが、それでもタイミングをみてバッキンガム宮殿の前の道路の通行を禁止していました。若い女性が泣きそうな顔と声で、道路を横切った向こうに職場があるので何とか通してほしいと懇願していましたが駄目でしたね。そもそもバッキンガム宮殿の近くの道路を横切った所にある職場ってどんな職場だったのだろう?

  

4. いよいよエリザベス女王をはじめとする皇室関係者が馬車で通過しました。20年前に故ダイアナ妃が繁華街で買い物する後ろ姿を見たことがありますがエリザベス女王を見るのは初めてでした。

              

5. 皇室関係者が馬車で通過した後Hyde Park方面へ歩いていたら国会の開会時間に合わせて(と思いますが)空砲を何発も撃っていました。とにかくたまたまですが貴重なものを色々と見ることが出来ました。

              

6. 翌日の朝のテレビニュースのトップは当然このニュースでした。

http://www.telegraph.co.uk/news/politics/queens-speech/10874138/Queens-Speech-Live.html
  

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2014/07/04

ロンドン旅行(5)-3

2014年6月3日(火曜日)午後・夕方

午後はHampton Courtから再び当時住んでいたEaling/Acton地区へ。日本人学校も再度訪れました。時間をかけて回ってみたがもうキリがない。名残り惜しいがしょうがない。

1. 食事のあとホテルへ戻っていたら、家内が急にLondon Eyeに乗ろうと言い出しました。時間はもう19時を過ぎていたと思いますがまだ明るい。確かに乗る人は、それでもかなり多いが、昼間や休日に比べるとずいぶんと少なくなっていているような気がしました。ということで急きょ我々も乗車券を購入して行列に並ぶことにしました。それにしてもイギリスの乗車料や入場料は為替の問題もありますがとにかく高い。久しぶりの£なのでピンときませんが円に換算するととんでもない金額ですね。ところで為替ですが、今は£1=\170ぐらいだが、20年前は£1=\260ぐらいでとんでもない環境だったんですね。

2. 20年前はロンドンの中心で周りを見渡せる高い所は、セントポール寺院やTower of Londonのてっぺんぐらいしか思いつきませんでした。仕事で金融街の数少ない高層ビルの上の方に行ったことはありましたがさすがにそのときは仕事モードだし。

3. ところで我々の写真にも写っていますが、ロンドンの中心部ある1964年建築のテレコム・タワーからはロンドン中心部が見渡せるらしいのですが、20年前はテロの影響で閉鎖されていて、職場からも毎日見ていたのですが結局我々は一度も登ったことはありませんでした。今は大丈夫だと思いますが(定かではありませんが?)。

http://btlondon2012.co.uk/pano.html

4. とにかく、こんな場所にロンドンを見渡せる場所があること自体が驚きであり新鮮ですね。

                                

  

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2014/07/03

ロンドン旅行(5)-2

2014年6月3日(火曜日)午前

Hampton Court Palaceへ:http://www.hrp.org.uk/

6/3(火)午前はHampton Courtへ。前日のRichmond Parkと同じ方角ですが更に南西に約10km行ったところにあります。
16世紀にヘンリー8世が建設したらしいのですが英国史(ヨーロッパ史も)に疎いのでどうもピンときません。ただ華麗とは少し違うが厳かな景観は一見の価値があるのではと思います。ここも前日のRichmond Parkほどではないですが、家族で何度か訪れた思い出の地であり夫婦で是非再訪したいということになったものです。

1. Waterloo駅 https://www.flickr.com/photos/14880766@N02/7940105718/

(1) ホテルの近くのWaterloo駅から列車に乗りました。乗車時間は約30分。ロンドンには東京駅のようなものが存在せず、中心街を囲むように幾つかのターミナル駅があります。ちなみに高速道路も中心街は走っていません。おそらく景観保護の見地からそういう運営をしているのではと思います。

  

(2) Waterloo駅には約20のプラットホームがあり、昔と同じように乗車する列車がどのプラットホームから出発するのかがギリギリにならないと分からないので、乗客はみな電光掲示板の下に集まってプラットホームが掲示されるまで待たなくてはなりません。そういえば20年前に別のTerminal駅のVictoria Stationから南行きの列車に乗った時に、電光掲示板が壊れていて別の列車に乗ってしまい大周りして目的地に行かざるを得ないことがありました。

  

(3) 電光掲示板でプラットホームを確認するのは昔と同じですが、驚いたことに列車が定刻(9:06だったと思いますが)どおりに発車しました。1990年代の初めに英国で生活したものにとって、仕事でたまに列車に乗ったことがありますが列車が定刻どおりに発車した記憶がなく遅れるものだとばかり思っていたのでこれは本当に驚きでした。直接関係ないことですが、中学生の時に「プラットホーム」は和製英語で本来は教壇みたいなものをいうと注意された記憶がありますが、イギリスでは駅のプラットホームはプラットホームです。アメリカでは別の言い方をするのでしょうか(Track?)?

  

2. Hampton Court Palace

(1) ほどなく目的地のHampton Courtに到着。入場料が大人1人約£20で当時はもう少し安かったとは思いますがその度に全員の入場料を払っていたのでしょうか?ところで家内が気がついたのですが、私には60歳以上のシニアー料金(£2-3割引き)が適用とのことでパスポートの写しを提示して生まれて初めてシニアー料金で入場しました。

      

(2) 宮殿の中は20年前に何度も見学したのでかなり鮮明に記憶が残っていたようです。

    

(3) 外の湖(というか何というか)の前で家族で映った写真は我が家に何枚も残っています。この湖はパリの郊外にあるベルサイユ宮殿の湖を模したと聞いた記憶がありますが華やかさではベルサイユ宮殿には劣るかもしれませんが、こちらの方が人が少なく落ち着けるのではと思います。

          

(4) 今回のロンドン旅行で、私が覚えていて家内が記憶がないこと、逆に家内が覚えていて私が記憶がないこと、いろいろありましたが、家族でフラワーショーの見学に来て私があまりの美しさに感嘆の声を上げたらしいのですが、私は全く記憶がありません。とにかく今年もFlower Showが開催されるようです。

    

(5) 庭園は華麗ではないですが落ち着いています。ずっと留まりたいという気になります。写真は無いですが伊関農機の耕運機が庭園で活躍していましたね。

          

(6) 茶屋で軽く食事をしましたがここのドアは自動でした。自動ドアも20年前には無かったですね。但し、イギリスの自動ドアは内側に開くので注意しないとぶつかってしまします。1992年になると湾岸戦争の影響も少なくなってきて日本から出張者がたまに来るようになりました。1992年の夏だったと思いますが、日本から偉いさんがやってきて本当は不動産の視察に来たのに何故かHampton Courtに行きたいと言い出して、急きょロンドンからタクシーでやって来たことがありました。ロンドンのタクシーの運転手さんは中心街には詳しいが中心街を離れるともう全く分からなくて苦労してたどり着いた記憶があります。その偉いさんはテニスが好きでそのあと電話でタクシーを呼ばされてWimbledonまで行きました。ちょうど男子ダブルスの決勝の日でその偉いさんは決勝戦が終わる30分前頃になると無料で入れるはずだと言い出し、私は半信半疑で聞いてみたらどうもその通りだとのことで、中に入ったら決勝戦が終わったばかりのマッケンジーやアガシー(って言ったかな?)にバッタリ会い、その偉いさんはものすごく感激していました。茶屋では家族との思い出もあるはずなのですが、本当につまらないことを思い出してしましました。

      

  

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2014/07/02

ロンドン旅行(5)-1

2014年6月3日(火曜日)

1. 早朝の散歩は地下鉄でLiverpool Street駅まで行き、シティ(金融街)⇒セントポール寺院⇒Fleet Streetを通り、結局当時の職場の近くのHolborn駅まで歩いてみました。 そういえばLiverpool Street駅はロンドン東部のターミナル駅ですが、当時よくIRAの爆弾テロの脅迫電話がありそのたびに地下鉄もストップしたものです。

(1) Broadgate
駅のすぐそばにあるOfficeの複合施設。当時世界初のノンリコースローンを駆使したと言われていた象徴的なプロジェクトですがやはり古くなりましたね。ビルの表面がガラス張りですが歪んでいて(凹凸があって)ガラスに映る風景も歪んでいました。途中でDeveloperが倒産しましたがこのプロジェクトには影響なかったですね。入口に記念碑みたいなものがあるのですが何を表しているのかよく分かりません。



(2) Finsbury Circus
Broadgateのすぐそばにあるのですが、こちらは英国の伝統的な建物が集まっています。日本の(旧)F銀行のロンドン支店がこの一角にありました。この一角にあった大きな建物を担保にしたパーマネントローンに参加しましたが、開発案件と違いスプレッドが低かったと思いますがよく採算がとれたものです。今考えると不思議ですね?



(3) イングランド銀行
シティのど真ん中にあります。



(4) Lombard Street
シティの中心にある通り。それほど長い通りではないのですが世界の金融を左右する通りとして有名。ここもよく来ました。

  

(5) 変わった建物
テムズ川遊覧で船から見えた少し変わった建物。昔のシティでは考えられなかったのですが投資家(中東や中国)の影響か?(個人的な推測です)

  

(6) 寿司屋
20年前は日本レストランの一部でしか食べられなかったお寿司のレストランが目立ちました。「わさび」というレストランは市内の至る所にあります。オーナーは韓国人だそうです(中国人かもしれない?)。スーパーマーケットでも普通にお寿司を売っていました。現地の日本人によれば味はイマイチだそうですが20年前には想像もできなかったことです。

  

(7) 我儘(わがまま)ラーメン店
第1号店は1991年か1992年に大英博物館の近くでオープンしたのでは?職場が近かったのでたまにお昼に行っていましたが日本人には耐えられない味付けで内心これはだめだと思っていました。その後日本に帰国後にお店が英国人の間で評判になり大成功したというニュースを見てビックリしたものです。20年経った今でも市内のあちらこちらで看板を見ました。今回は大英博物館の前も通ったのですが第1号店は閉店したようです。ここも中国系の経営ですね。日本人であれば店名に「我儘」というネーミングはしないと思います。

    

(8) Fleet Street
昔は新聞街だったそうですが20年前には既に新聞社が郊外に移転していて新聞街とは名ばかりでした。郊外に移転したのは有楽町から新聞社がいなくなったのと同じ現象らしいのですが、近代的な印刷設備を必要としたためだそうです。日本の某商社が新聞社の旧ビルの再開発計画を進めていて盛んに誘われたのですが、これは(理由は覚えていないのですが)止めました。不動産大不況の中でこれもイギリス側パートナーが倒産して途中で断念したようです。その後再開発は別のところが完成させたようです。Fleet Streetの外れに高等裁判所があります。

          

(9) Ludgate
ここは細長い地区に当時新規のオフィスプロジェクトが進みましたが、Broadgateと同じDeveloperでこちらは建設途中でDeveloperが倒産してかなり揉めました。最終的にプロジェクトは完成しましたが、20年経ってみると周りの新しいプロジェクトに比べて見劣りしますね。

     

(10) 日本レストラン
繁華街でもないところにポツンと日本レストランが。「リボン」という店名らしいが、そういえば20年前に店名は覚えていないが(リボンという名前ではなかった)此処に日本レストランがありました。日本人の誰かに呼ばれて(接待されたか?)来たことがあります。近くに茶色の比較的大きな建物が。何の建物か知りませんが20年前もありました。但し、当時は壁が汚くボロボロでしたが綺麗に改修し色を塗り直したようです。

  

  

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2014/06/27

ロンドン旅行(4)

2014年6月2日(月曜日)

1. Richmond park
午前中はロンドンの中心部から南西約10kmにあるRichmond Parkへ。王立ということなので英皇室が所有しているのだと思います?

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(1) 地下鉄に乗ってRichmond Parkへ。ロンドンに赴任当初まだ車がない時に家族で地下鉄に乗って行った記憶があるが、地下鉄(但し殆ど地上部分ですが)に乗って行ったのはそれ以来ではないかと思います。家内が日本でチェックしていた駅前のレンタサイクルで自転車を借りました。ネット時代はこういう場合は便利ですね。レンタル料は4時間で約£30(約5千円)でDepositも£100(約17千円)取られましたがDepositは当然返金してくれました。日本の水準から考えればかなり高いが1回きりなのであまり気にしませんでした。

 

(2) ロンドンに住んでいたころは自転車に乗ったことがなく、勝手が分からないので結局公園までは歩いて(自転車を引いて)行くことに。Richmondの市街地は殆ど昔と変わっていないように見えました。市街地から公園に上って行く途中にあるRichmond HillからのThames河の上流の眺望は何もののも代え難く。駐在が終わって帰国しても暫くは夢に出てきたほどです。

  

(3) Richmond Parkへは当時は家から車で約15分。もう何回訪れたか分かりません。テニスで有名なWimbledonもすぐ隣にありますが我が家ではもっぱらRichmond Parkに通っていました。

  

(4) とにかく広い。約2400エーカー(約10平方km)あるそうですが普段の生活感覚では数字で言われてもピンときません。NYのCentral Parkの約3倍あるそうですがそれでもピンときませんが、とにかく車で1周してもかなり時間がかかるので相当に広いということは間違いありません。

 

(5) 正門から入って暫く行くと茶屋みたいなところがあり休日にはよくランチをしました。当日は結婚式が予定されているとの張り紙があり出席者だと思われる正装の男女でごった返していました。

 

(6) 公園の中心部分に池があったと記憶していましたがやはりありましたね。当時は魚を釣っている人がいたので魚が生息しているのかもしれません。この池で散歩中に放飼いの犬にけしかけられたことがありました。放飼いは禁止されているはずだが咄嗟のことで英語で抗議ができなかったことがありました。

     

(7) 野生のシカは昔より数が増えたような気がします。当時、休日に霧の中で車を運転していたら、突然シカが車の前を横切りもう少しでぶつかりそうになりました。それ以来霧の日は行くのを止めました。もっとも昔石炭で暖を取っていた頃は霧のロンドンと言われたようですが、当時はもう霧には殆どお目にかかりませんでした。




(8) シカだけではなく野生のリスも至る所にいます。そういえば当時住んでいた家で子供たちがリスの餌づけをしたら決まった時間に現れるようになりそのうちだんだん凶暴になり手がつけられなくなったことがありましたね。



2. Greenwich(グリニッジ)
前日せっかくグリニッジまで行ったのに素通りしてしまい、丘の上の天文台には行かなかったので不完全燃焼ということでこの日再訪したものです。但し、ロンドンの中心部から南西にあるRichmond Parkから南東にあるGreenwichまでは中心部を通ってかなりの距離があり電車を乗り継いで行きました。途中金融街のシティー(但し地下ですが)や再開発地域のドッグランドを通過。再開発地域はもともとカナダの大手不動産会社が始めたが私がロンドン赴任中は戦後最大の不動産不況で、その不動産会社が倒産したり、ランドマータワーがテロの標的になったり、深入りした日本の大手都銀が深い傷を負った(らしい)り、散々だったが2000年代にまた復活したと聞いており、昔とは比べ物にならないほど賑わっていました。もともと移民が多い地域でしたがロンドンオリンピックのメイン会場はたしかこの地区だったと思います。

(1) グリニッジ天文台は天文台としての役割は終えたらしいが多くの観光客で賑わっていました。緯度0度を示す標識は残っていて、そういえば当時小学生だった娘が0度をまたいで撮った写真がありましたね。

   

(2) 丘の上から眺めるロンドンの市街地の風景は美しく何とも言えません。

    

(3) そういえばグリニッジの公園のそばにベトナムレストランがありました。但し、漢字の標記もあり純粋にベトナム人が営んでいるベトナムレストランかどうかは定かではありません。ベトナムレストランのオーナー一家と思われる家族らしき一団がいましたが、何語で喋っているかまでは聞こえませんでした。ちなみにロンドンの中心部の中華街では、おそらく20年前にもあったベトナムレストランを同じ場所(と思われる)で見つけました。



3. シティ(金融街)
グリニッジから帰る途中に懐かしくてシティで途中下車しました。ちょうど夕方6時ごろで勤め帰りの人でごった返していました。私が働いていたオフィスは金融街から地下鉄で数駅先の劇場街にありましたが仕事で金融街に来ることが多く、人混みを見ていると20年前にタイムスリップしたような気分になりました。一駅先のセントポール寺院まで歩いてみましたが苦難の日々も20年経ってしまうと懐かしさがこみ上げてきました。セントポール寺院の裏側のパタノスタースクエアーはすっかり再開発され綺麗なオフィスビルが立ち並んでいました。そういえば日本でも三菱地所のコマーシャルでここが登場しますね。もともと日本の某商社が開発を進めていたが、不動産不況の中でパートナーのイギリスの不動産会社が倒産してしまい友人でもあった日本の某商社の担当者は四苦八苦していました。その後三菱地所が肩代わりをしたようで、1社でやったわけではないと思いますが日本で流れるコマーシャルでは三菱地所しか出てきませんね?そういえばここに日本の書籍を販売していた本屋がありましたね。


    

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