2014/09/14
清算業務(1)


仕事が一時的に忙しくなったり、夫婦でロンドン旅行に行ったりで、結構忙しくしていて、すっかりご無沙汰していましたが、久しぶりで本題に戻ります。時間が経つと当時の記憶や印象が曖昧になってくるので、とにかく忘れてしまわないうちに、記録を残す意味でも再開したいと思います。
過去の履歴を見ると2000年9月に会社の清算業務で再びハノイに住むことになり、当時のシンガポール系のMeritus Hotel(その後売却され現在はフランス系のSofitel Plaza Hotelになっているようです)に滞在することになったところで終っているようです。
とりあえず様子を見るためにハノイに短期で出張のつもりで行ったら、いきなり本番が始まったので日本に帰れなくなり、身の回りの例えば普段着や運動靴等をとにかく急いで買い揃えました。
とにかく目的は、会社を清算し現・預金として残っていた資本金のうち日本側の持ち分をベトナム側に売却し、その売却額を日本に送金することでしたが、何をどうしていいのか皆目見当がつかず、問題はベトナムでもファイナンス会社の清算は初めてのケースで法的な手続き規定がなく、日本でもそうだと思いますが、法的な手続き規定もなく前例もないことについては試行錯誤の連続で、途方もなく時間がかかりました。実はあとで分かったのですが、ベトナム側(VCB)はやはり破綻していた韓国の銀行とのJV銀行の清算も同時並行的に進めていたようです。
取りあえずベトナム側の了解を取った上で、日本側の弁護士として英国系の弁護士事務所を指名し、会社清算・持ち分売却に係る膨大な契約書のドラフトを作成してもらい、そのドラフトをベトナム側に提示したところまでは、東京から電話とメールで完了していたので、ハノイでは具体的な作業が、それも物理的(時間的)にも精神的にも気が遠くなるような作業が始まりました。
私は毎日合弁会社に出勤し別室で作業することになりました。当事者は思い出す限り以下のとおりです。
(1) 英国系の弁護士事務所
合弁会社の近くのメトロポールホテルのそばにあるInternational Centreというオフィスビルにありました。ちなみに同事務所は現在も同じところにあるようです。英国人の弁護士と若いベトナム人の弁護士が担当してくれましたが、ベトナム語版の問題もあり、主に30歳ぐらいの若いベトナム人の弁護士が対応してくれました。殆ど毎日訪問していたような記憶があり、当時会議室から見えたハノイの中心街の景色は今でもよく覚えています。この若いベトナム人の弁護士はとにかく舌を巻くほど優秀で、ずいぶんと助けられました。合弁会社から歩いて5分程度だったので、何時も歩いて行ったのですが、意味がよく分からなかったのですが、英国人の弁護士からは外国人が一人で歩いて来るのは勇気があると、妙な褒め方をしていました。私はアジア人でしかも当時は溶け込んでいたのか、一人で歩いていても別にトラブルは無かったですが?
(2) 米国系銀行
最近日本で個人業務からの撤退を発表した銀行ですが、ここも同じくInternational Centreにありました。ネットで調べてみると、この銀行も現在も同じビルで営業しているようです。何故この銀行が登場するかと言うと、ベトナム側との交渉の中で、売却代金を振り込むEscrow A/Cを設定することになり、ベトナム系でも日本系でもない米国系の同行に設定することになったものです。ANZ銀行にも確認した記憶があるのですが、おそらく条件面でこちらの米国系銀行にしたのだと思います。後日説明しますが、最終的にはOKだったのですが、実はこの処理が後で結構大きな問題になります。同行の担当者は若いベトナム人の女性でしたが、最初に支店長のアメリカ人も含めて会議室で会った時に、昔のハノイの大きな写真が飾ってあって漢字で「河内」(ハノイ)と書かれていたのですが、私が指摘するまで誰も何と書いてあるのか分からなかったということがありました(急に思い出しました)。
(3) 4大事務所の中の一つの国際会計事務所
日本の会社がベトナムから撤退するにあたり、税金問題をクリアーにしておく必要がありました。同会計事務所は合弁会社と同じBa Trieu Streetをもう少し南に行った4-5階建てぐらいのビルに入居していたと思います。税金問題は分かったような、分からないような複雑な面があり、とにかくこれをクリアーにしておかないとベトナムから出て行けないので、最後はかなりの頻度で訪問して相談したものです。担当者は40歳ぐらいのベトナム人女性でした。
(4) SBV(ベトナム中央銀行)
合弁会社を設立した時ほど頻繁には行かなかったような気がしますが、それでも時折通っていました。
思い出す限り、合弁(解消)相手のVCB以外に、上記の当事者が介在したと思います。考えてみれば、日本語が全く通じない中での孤軍奮闘で、火事場の馬鹿力ではないですが、(自画自賛にはなりますが)よく頑張ったと思います。


Posted by tsukuma at 01:08│Comments(0)