2014/09/20
清算業務(2)




ハノイに行った2000年9月早々に第1回目のDocumentation Meetingを行ないました。 場所はよく覚えていないのですが(おそらく)Ly Thai ToにあったVCBのJVセクションの会議室ではなかったかと思います?先方は英語が出来るのに通訳を通じてベトナム語と英語で行いました。合弁設立の時よりもベトナム語色が強くなったような気がしました。こちらは日本人なのに日本語が一切出てこないのは不公平だが此処はベトナムなのでしょうがないと思った記憶があります。
Documentation Meetingはかなり形式的なもので取りあえずのコメントは出てきましたが、これから精査して追加のコメントを出していくと言うことでした。実際のMeetingはこの第1回目を含めて数回しか行わなかったと思います。あとは文書のやり取りで延々とコメントの応酬が続くことになります。
先方のVCB側のメンバー数人は実は合弁設立の時と同じでメンバーで、初めて会った若い女性1名を除き、よく知っている人物ばかりでした。全員女性というのも日本ではあり得ない状況だったかもしれません。とにかく久しぶりということで、第1回目のMeetingは適当に切り上げて、その日はランチをご馳走してくれました。ランチではいろいろな話をしたと思いますが、私が驚いたのは、私がいない間に合弁会社の社長を退任した日本人のY氏のプライベートについて実によく知っていて、中には何故そんなことまで知っているんだというようこともあり、驚いたと同時に空恐ろしくもなったものです。おかげでこちらはY氏のプライベートについては随分と詳しく知ることになったわけですが。
その後のDocumentationは以下の手順で行われたと記憶しています。
(1) 先方から文書でベトナム語のコメント。
(2) 当方のベトナム人弁護士がベトナム語版と英語版のDocumentに先方のコメントを反映。
(3) 先方のコメントを反映した英語版を見ながら私と当方の弁護士で議論。必要であれば東京の意見も聴取。
(4) ベトナム人弁護士が、当方からのカウンターコメントをベトナム語にして先方に送付。
と大まかに言って以上のような手順だったと思います。こちらが先方にカウンターコメントを送っても返ってくるのは最低でも3-4日は経過してからで、とにかく時間がかかりました。通常のDocumentationであれば問題点をだんだん絞り込んでいくのですが、本件の場合はDocumentの数が3-4種類あったこともあり追加のコメントが次から次に出てきて、とにかく時間がかかりました。コメントを待っている間も他の仕事が山ほどあり忙しくしていました。
なお、Ly Thai To(リタイト)は10世紀ごろの皇帝の名前らしいのですが2010年12月に再訪した時にHoan Kiem湖の近くにLy Thai Toの銅像ありました。2004年に建立されたそうで当時はありませんでした。




Posted by tsukuma at 04:45│Comments(0)