2014/07/02
ロンドン旅行(5)-1
2014年6月3日(火曜日)
1. 早朝の散歩は地下鉄でLiverpool Street駅まで行き、シティ(金融街)⇒セントポール寺院⇒Fleet Streetを通り、結局当時の職場の近くのHolborn駅まで歩いてみました。 そういえばLiverpool Street駅はロンドン東部のターミナル駅ですが、当時よくIRAの爆弾テロの脅迫電話がありそのたびに地下鉄もストップしたものです。
(1) Broadgate
駅のすぐそばにあるOfficeの複合施設。当時世界初のノンリコースローンを駆使したと言われていた象徴的なプロジェクトですがやはり古くなりましたね。ビルの表面がガラス張りですが歪んでいて(凹凸があって)ガラスに映る風景も歪んでいました。途中でDeveloperが倒産しましたがこのプロジェクトには影響なかったですね。入口に記念碑みたいなものがあるのですが何を表しているのかよく分かりません。

(2) Finsbury Circus
Broadgateのすぐそばにあるのですが、こちらは英国の伝統的な建物が集まっています。日本の(旧)F銀行のロンドン支店がこの一角にありました。この一角にあった大きな建物を担保にしたパーマネントローンに参加しましたが、開発案件と違いスプレッドが低かったと思いますがよく採算がとれたものです。今考えると不思議ですね?

(3) イングランド銀行
シティのど真ん中にあります。

(4) Lombard Street
シティの中心にある通り。それほど長い通りではないのですが世界の金融を左右する通りとして有名。ここもよく来ました。

(5) 変わった建物
テムズ川遊覧で船から見えた少し変わった建物。昔のシティでは考えられなかったのですが投資家(中東や中国)の影響か?(個人的な推測です)

(6) 寿司屋
20年前は日本レストランの一部でしか食べられなかったお寿司のレストランが目立ちました。「わさび」というレストランは市内の至る所にあります。オーナーは韓国人だそうです(中国人かもしれない?)。スーパーマーケットでも普通にお寿司を売っていました。現地の日本人によれば味はイマイチだそうですが20年前には想像もできなかったことです。

(7) 我儘(わがまま)ラーメン店
第1号店は1991年か1992年に大英博物館の近くでオープンしたのでは?職場が近かったのでたまにお昼に行っていましたが日本人には耐えられない味付けで内心これはだめだと思っていました。その後日本に帰国後にお店が英国人の間で評判になり大成功したというニュースを見てビックリしたものです。20年経った今でも市内のあちらこちらで看板を見ました。今回は大英博物館の前も通ったのですが第1号店は閉店したようです。ここも中国系の経営ですね。日本人であれば店名に「我儘」というネーミングはしないと思います。

(8) Fleet Street
昔は新聞街だったそうですが20年前には既に新聞社が郊外に移転していて新聞街とは名ばかりでした。郊外に移転したのは有楽町から新聞社がいなくなったのと同じ現象らしいのですが、近代的な印刷設備を必要としたためだそうです。日本の某商社が新聞社の旧ビルの再開発計画を進めていて盛んに誘われたのですが、これは(理由は覚えていないのですが)止めました。不動産大不況の中でこれもイギリス側パートナーが倒産して途中で断念したようです。その後再開発は別のところが完成させたようです。Fleet Streetの外れに高等裁判所があります。

(9) Ludgate
ここは細長い地区に当時新規のオフィスプロジェクトが進みましたが、Broadgateと同じDeveloperでこちらは建設途中でDeveloperが倒産してかなり揉めました。最終的にプロジェクトは完成しましたが、20年経ってみると周りの新しいプロジェクトに比べて見劣りしますね。
(10) 日本レストラン
繁華街でもないところにポツンと日本レストランが。「リボン」という店名らしいが、そういえば20年前に店名は覚えていないが(リボンという名前ではなかった)此処に日本レストランがありました。日本人の誰かに呼ばれて(接待されたか?)来たことがあります。近くに茶色の比較的大きな建物が。何の建物か知りませんが20年前もありました。但し、当時は壁が汚くボロボロでしたが綺麗に改修し色を塗り直したようです。

1. 早朝の散歩は地下鉄でLiverpool Street駅まで行き、シティ(金融街)⇒セントポール寺院⇒Fleet Streetを通り、結局当時の職場の近くのHolborn駅まで歩いてみました。 そういえばLiverpool Street駅はロンドン東部のターミナル駅ですが、当時よくIRAの爆弾テロの脅迫電話がありそのたびに地下鉄もストップしたものです。
(1) Broadgate
駅のすぐそばにあるOfficeの複合施設。当時世界初のノンリコースローンを駆使したと言われていた象徴的なプロジェクトですがやはり古くなりましたね。ビルの表面がガラス張りですが歪んでいて(凹凸があって)ガラスに映る風景も歪んでいました。途中でDeveloperが倒産しましたがこのプロジェクトには影響なかったですね。入口に記念碑みたいなものがあるのですが何を表しているのかよく分かりません。
(2) Finsbury Circus
Broadgateのすぐそばにあるのですが、こちらは英国の伝統的な建物が集まっています。日本の(旧)F銀行のロンドン支店がこの一角にありました。この一角にあった大きな建物を担保にしたパーマネントローンに参加しましたが、開発案件と違いスプレッドが低かったと思いますがよく採算がとれたものです。今考えると不思議ですね?
(3) イングランド銀行
シティのど真ん中にあります。
(4) Lombard Street
シティの中心にある通り。それほど長い通りではないのですが世界の金融を左右する通りとして有名。ここもよく来ました。
(5) 変わった建物
テムズ川遊覧で船から見えた少し変わった建物。昔のシティでは考えられなかったのですが投資家(中東や中国)の影響か?(個人的な推測です)
(6) 寿司屋
20年前は日本レストランの一部でしか食べられなかったお寿司のレストランが目立ちました。「わさび」というレストランは市内の至る所にあります。オーナーは韓国人だそうです(中国人かもしれない?)。スーパーマーケットでも普通にお寿司を売っていました。現地の日本人によれば味はイマイチだそうですが20年前には想像もできなかったことです。
(7) 我儘(わがまま)ラーメン店
第1号店は1991年か1992年に大英博物館の近くでオープンしたのでは?職場が近かったのでたまにお昼に行っていましたが日本人には耐えられない味付けで内心これはだめだと思っていました。その後日本に帰国後にお店が英国人の間で評判になり大成功したというニュースを見てビックリしたものです。20年経った今でも市内のあちらこちらで看板を見ました。今回は大英博物館の前も通ったのですが第1号店は閉店したようです。ここも中国系の経営ですね。日本人であれば店名に「我儘」というネーミングはしないと思います。
(8) Fleet Street
昔は新聞街だったそうですが20年前には既に新聞社が郊外に移転していて新聞街とは名ばかりでした。郊外に移転したのは有楽町から新聞社がいなくなったのと同じ現象らしいのですが、近代的な印刷設備を必要としたためだそうです。日本の某商社が新聞社の旧ビルの再開発計画を進めていて盛んに誘われたのですが、これは(理由は覚えていないのですが)止めました。不動産大不況の中でこれもイギリス側パートナーが倒産して途中で断念したようです。その後再開発は別のところが完成させたようです。Fleet Streetの外れに高等裁判所があります。


(9) Ludgate
ここは細長い地区に当時新規のオフィスプロジェクトが進みましたが、Broadgateと同じDeveloperでこちらは建設途中でDeveloperが倒産してかなり揉めました。最終的にプロジェクトは完成しましたが、20年経ってみると周りの新しいプロジェクトに比べて見劣りしますね。
(10) 日本レストラン
繁華街でもないところにポツンと日本レストランが。「リボン」という店名らしいが、そういえば20年前に店名は覚えていないが(リボンという名前ではなかった)此処に日本レストランがありました。日本人の誰かに呼ばれて(接待されたか?)来たことがあります。近くに茶色の比較的大きな建物が。何の建物か知りませんが20年前もありました。但し、当時は壁が汚くボロボロでしたが綺麗に改修し色を塗り直したようです。
Posted by tsukuma at 20:37│Comments(0)