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Posted by vietnhat at

2012/07/21

日々の生活編(2)





暑さ対策

5-6月頃の暑さはとても耐えられませんでした。夜でもアパートの窓を開けると暑くなるので開けられず、起きているうちは冷房で冷やしていても冷房をつけたまま寝るとすぐに風邪をひくタイプで対応が難しく何時も睡眠不足でした。タイマー装置は付いていなかったと思います。一般のベトナムの家庭ではクーラーは普及していなかったようですが、その代わり電気街に行くと中国製の扇風機を道路にはみ出してまで大量に販売していました。ベトナム人は夜になると町中をバイクで疾走して涼んでいたようですが、暗い中を自転車で走るのはさすがに恐くもっぱら夜はひたすら散歩していました。また大宇の前の道路を挟んだ向かい側にあった冷房がきいたバーにたまに行っていましたが、行くと必ずアパートに住んでいた年輩のドイツ人が一人寂しそうにビールを飲んでいて、私が行くと嬉しそうな顔をしてシンガポールのタイガービア(だったと思いますが)を彼から飲まされてしまいました。長居をして飲み過ぎることもあったと思いますが、平日の夜と違って、気を遣わないでリラックスできていたと思います。いずれにしても健康的な生活からはほど遠かったようです。


停電

暑くなると頻繁に起こっていたような気がします。VCBで先方との会議中に突然停電になり冷房が止まってもしばらく会議を続けていたのですが、そのうち思考能力が停止してしまい電気も回復しないので中止したことがありました。ホテルやオフィスビルには停電に備えてバックアップとして自家発電装置が設置されていたという話を聞いていましたが都度発動されていたどうかよく分かりませんでした。大宇アパートでも停電で大騒ぎをしたことが何度かありました。地域の停電かアパートの設備の故障か詳しいことは忘れましたが、長い時間回復しない場合は私は使った記憶はないのですが調理用に韓国製簡易コンロを各部屋に配っていました。

凧あげ

暑くなると大宇アパートの前に近所の子供たちが大勢集まって凧揚げに興じていました。ビル風がちょうど凧揚げに適していたようでうす。子供たちだけでなく大人も結構いて、一種の夕涼みのようでした。それにしても凧自体は粗末な材料で作っているのが見ていてもよく分かったのですが、結構凝った作り方をしていてしかもよく飛んでいました。ああいうのを見ているとベトナム人は子供の頃から器用だなと思いました。私も凧揚げをやらせて貰ったことがあるのですが、子供たちが揚げると実によく飛ぶのに、私がやっても全然駄目でしたね。

大宇女性会長ハノイに
私には全く関係なかった話ですが、大宇ホテルの中庭で音と光によるものすごく派手なセレモニーを行ったので嫌でも覚えています。アジア通貨危機や雨季の前だったと思いますので、1997年の4月か5月だったと思いますがと書いたところで家内がこの件を覚えているとのことで、おそらくそれぐらいのタイミングでした。大宇の財閥の組織がどうなっていたのか全く知りませんが、大宇建設の関係の女性会長がハノイに来るということで知り合いの韓国人のマネージャーが事前の準備で忙しくしていました。上記に書いたとおり到着後は派手な演出によるセレモニーで良し悪しは別にしておそらく日本人はああいうことはやらないのではと思います。女性会長が韓国に帰国した翌週、韓国人のマネージャーとアパートで会った記憶がありますが、ハロン湾の観光旅行に付き添ったということで疲れきっていました。大宇ホテルの前にいかにもベトナムという感じの沼地があったのですが、女性会長がそこにボーリング場を作れと命令したとのことで(Orderと言っていました)彼がどういう立場だったかは知りませんが、お金(Finance)の心配をしていた記憶があります。結局いろいろあって実行していないと思います。何故ボーリング場だったのかは分かりません。当時はそんなもの無かったと思いますがネットを見ると今現在ハノイに1-2軒あるようです。ホーチミンには当時からあったと聞いた記憶があります。2010年12月に訪れたときは、その沼地跡で韓国ロッテが大規模な複合施設を建設していました。大宇財閥は同年のアジア通貨危機を契機として破綻しましたが、ハノイの大宇ホテルを持っていた大宇建設は今でも残っているようです。当時財閥のオーナーだった人は財閥破綻後韓国を出国してヨーロッパかどこかに住んでいたが、昨年だったか韓国に帰国して逮捕されたとの新聞報道がありました。韓国ではそういう話が多いように思います。前にも書きましたが、今年になってハノイの大宇ホテルの韓国側持分をベトナム側が買取り、大宇ホテル(オフィス・アパートを含む)は100%ベトナムの会社になったようです。
  

Posted by tsukuma at 05:00Comments(1)