2012/10/06

香港(1)

香港(1)香港(1)





















合弁会社設立後しばらくして香港へ出張することになりました。年に1回のJLCのアジア拠点会議が1997年は香港で開催ということになったものです。この会議は慰安会的な要素が強かったとは思いますが、そうは言っても各拠点の過去1年間の実績と今後1年間の計画を発表するのでハノイの合弁会社の場合はまだ発表するものがなかったので、LTCBのY氏からはただでさえ忙しいのにわざわざ参加する必要は無いと言って私の香港行きに対する許可が出ませんでした。他の会社の事をよく言うなとも思ったのですが、Y氏の言っていることも一理あったのでJLCに対しては不参加を伝えたところ、どうもLTCBとJLCの間で何か話し合いがあったようで最終的には参加することになりました。ということで当時のパスポートによると1997年10月15日から2泊3日のスケジュールで香港に出かけました。当時はハノイと日本との間には直行便が無かったので香港経由で往復していましたが香港の空港から外に出るのは初めてのことでした。タイミング的には香港が中国に返還されたのが1997年7月でそのわずか3ヶ月後のことです。当時ハノイ香港間は記憶では午前10時のハノイから啓徳空港への便と香港時間午後4時(ハノイ時間午後3時)ごろ同じ飛行機で啓徳空港からハノイ空港に戻る往復1便のみだったと思います。ハノイ空港を出発して約2時間で例のごとく着陸直前に機体が大きく傾き啓徳空港に到着しました。たいした荷物は持っていなかったのですが税関で何処から来たかと聞かれたので正直にハノイからと答えたところ私だけが荷物を開けられて徹底的に調べられました。検査のために中のものを全部出したような記憶があります。たまたま日本からの便が到着していて同じ日本のパスポートを持っていた大勢の日本人達がそのまま通過していたのとは対照的でした。日本からの到着便と少しだけタイミングがずれていたのか或いは私が背広姿だったので目立っていたのでしょうか?後にも先にも税関であれだけ徹底的に調べられたことはありませんでした。ハノイと香港の間には1時間の時差もあり指定のホテルにチェックインした頃には結構な時間になっていました。ちなみに夜寝るだけでしたがホテルはマンダリンホテルだったと記憶しています。JLC香港現法はホテルから歩いてすぐの高層ビルにあったと思いますが挨拶にいったら現法の主だった日本人たちは日本から来る偉いさんたちを迎えに啓徳空港に出かけていて留守でしたが、たまたま親しかった先輩が居て久しぶりに会うことが出来ました。その先輩とは船橋市の津田沼駅近くの焼鳥屋でよく飲んだ仲でした。中国語が堪能で香港の前は上海に居ましたが香港では得意の中国語はあまり関係なかったのでは?ちなみにこの先輩は今現在私が知る限り行方不明で何処にいるのか分かりません。その日は夜にかけてどう過ごしたか全く記憶にありませんが、夜に上海から到着した先輩と久しぶりに会ってホテルの近くのバーで飲んだことはよく覚えています。この先輩は私が新入社員の頃に私が直接指導を受けた人でロンドン現法では私の前任者という関係です。わが道を行くタイプの人だったので余計に気があったのかもしれません。今でもたまに電話をくれます。当時のJLCの国際関係は航空機・船舶の商品別とそれ以外の分野についてはアメリカ・アジア・ヨーロッパというテリトリー別になっていて相互の人事交流が比較的少なかったようです。私が主に在籍していたヨーロッパ部門は特に一番人数が少なかったこともあり他部門との人事交流が少なく、上海の先輩やハノイの私のようにヨーロッパ部門からアジアに転勤という例は非常に珍しいことでした。従ってアジア拠点会議に参加する各拠点長は同じ会社の社員でありながら親しさでいえばそれ程ではないという人ばかりでした。中にはLTCBから直接出向してきた人もいて正直顔も名前もよく知らない人も居ました。

Posted by tsukuma at 07:59│Comments(0)
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