2012/10/21
ベトナム側の副社長


VCB側の副社長は私より10歳年上で、若いメンバーが多い中で年齢的には異色の存在でした。ベトナム戦争時はモスクワに留学していて、戦争終了後にベトナムに帰国したと本人から聞いたことがあります。本当か冗談か分からなかったのですが、若い女性スタッフ達が彼には7人のガールフレンドがいると彼の面前でよく言っていて彼も否定しませんでした。この辺はベトナム語が分からないのでどうも真偽のほどが分かりませんでした。ベトナム戦争の影響で私より年長の年代の男女比がアンバランスだったので多少は大目に見られていたという話を聞いたことはあるのですがよく分かりません。とにかく彼は私が慣れない外国生活での単身生活を送っていたせいかかなり気を遣ってくれました。若い連中は夜も勉強で忙しかったのでなかなか時間が合わなかったのですが、彼はよく夜誘ってくれました。場所はベトナム人が一緒でないとなかなか行けないような照明が暗いローカルの居酒屋が多かったようです。・・・ベトナム人と飲みに行くと、ビニール袋に入ったオシボリを取り出すときはビニールを手で叩いて破ってポンと音を出したり、紙のナプキンで箸や器を念入りにきれいに磨いたり、たわいも無いことをよく覚えています。またメンバーの中に女性が居ると勘定書きを実に細かくチェックしていて疑問があれば徹底的にお店の人と議論していて納得しなければ払わないという感じでした。話が少し飛びますがベトナム人の若い女性は普段は穏やかなのですが議論を始めると相手がかなりの年長でも相当な剣幕で挑むので何度も驚いたことがありました。幸い私はベトナム語が分からないので傍観者で居られましたが。・・・居酒屋の窓はガラスが無いことが多くて暑くて虫が入ってきましたが、郷に入れば郷に従えで全く気になりませんでした。ゴミやタバコの吸殻は木の床にドンドン捨てるので最初はびっくりしたのですが、日本人は普通なるべく汚さないようにしようと思いますが、ベトナム人は汚さないと掃除をする人の仕事がなくなるという考え方をするのではないかと思います。とにかく日本には居ない種々の細かい仕事をする人が大勢いました。お酒の席で職場や上司の悪口等の話題は万国共通のようです。それとお互いに母国語ではない英語で仕事をしているので昼間の職場でよく分からなかったことが夜お酒を飲みながら話してやっと相手が何を言いたかったのかが分かったことも再三ありました。お酒が入ると英語が昼間より滑らかになるというのもお互い共通のようでした。一度早朝ミーティングをやろうということで早めに家を出て出社の前に指定された場所に行ったらPHOというベトナム麺の店だったことがありました。庶民的ではありましたがおそらく有名なお店だったと思います。「PHO]はカタカナでは「フォー」と書いていますが私が「フォー」と発音して通じたことは一度も有りません。「居酒屋以外ではモスクワ留学の経験があるので、ロシア料理店によく連れて行ってくれました。ハノイに何軒のロシア料理店があったのか知りませんが、行くたびに違うレストランだったと思います。彼は慣れた感じでロシア料理の食べ方等を伝授してくれました。ロシアといえばウォッカですが、ベトナムでもロシアの影響が強いのかベトナム製のウォッカ(ベトナム人はヴォッカと濁って発音していました)がよく飲まれていたようです。私は日本でロシア料理店には行ったことがなかったので(いまだにありませんが)貴重な体験でした。ちなみにハノイでしか食べたことがない外国料理はモンゴル料理やメキシコ料理があります。何しろ本場は勿論日本でも行ったことがないので本場や日本と同じ味どうか分かりません。彼とは2010年12月に10年ぶりに再会しましたが、もう70歳のはずですが元気でした。彼の実家はハノイの隣のハタイという所にあり一度一緒に行ったことがありましたが、そこで農業をしているという話を聞いたことがあるのですが、本人に直接聞いたところ今は何もしていないとのことで悠々自適のようです。
Posted by tsukuma at 04:02│Comments(0)