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Posted by vietnhat at

2012/08/24

日本からの助っ人















LTCBでは私よりひと回り若いK君とO君が合弁プロジェクトに関わっていて時々ハノイに来ていました。K君はLTCBから米国への大学への留学経験がありO君はいわゆる帰国子女でスイスの現地校に通っていた経験があったそうです。私の赴任前はK君が中心で動いていたようですが後日ジャカルタ支店に転勤したこともあり、私の赴任後はO君に比重が移っていったようです。彼は直前にLTCBから日本の政府系の金融機関に出向していてベトナムの鉄道プロジェクトを担当していたそうで、ベトナム全般に詳しくベトナムの関連官庁とのコネクションも有り鉄道にもかなり乗った経験があったそうです。彼から聞いた当時のベトナムの鉄道の状況はかなり興味深いものでしたが、私はとうとうベトナムでは鉄道に乗ることはありませんでした。O君がハノイにいる間は夜の部も勿論参加してくれて、雨季のときには私の家内を含め3人で豪雨の中でゴルフをしたことがありものすごい数のボール(3人で100個?)を湖の中に打ち込んだりしていました。合弁設立後はJLCのK氏が営業活動と称して何回か来てくれました。K氏は逆に私よりひと回り年長で当時既に60歳に近かったのではと思います。社歴の殆どを東南アジア各国及びブラジル駐在員として過ごした人で豪放な性格でしたが実はあまり会ったことはなく、ただ今から20年以上前に上司に連れられて銀座の飲み屋に行ったところ、ブラジル駐在中で一時帰国していたK氏が飲み代の借金を払いに来てバッタリ会ったことがありました。その後も殆んど会う機会は無かったのですがベトナムでのプロジェクトの時は定年間近で東京の本社に居てじっとしているのが我慢できなかったようで、何かと理由をつけてはハノイにやって来ました。私も同じ会社の人間という安心感もあり夜の部もY氏抜きでよく飲みに行きました。LTCBもJLCもその後しばらくして破綻してしまいますが、破綻直前の1998年7月ごろにジャカルタに出張したことがあり1週間弁護士事務所で打ち合わせをしていたのですが、近くのビルにLTCBジャカルタ支店があるのを見つけアポなしで訪問したところたまたまK君がいて久しぶりに会うことが出来ました。当時LTCBでは行員の退職が相次いでいてK君も退職するということをそのとき聞きました。O君はLTCB破綻後に外資系の金融機関に転職したようですが仕事絡みで2回ほど会ったことがありました。その後は2人と会う機会もありませんが、2人とも優秀な人材なので元気にやっていることと思います。K氏はJLC破綻後子会社の整理に参加していましたが、年齢的なこともありその後引退してしまいました。彼は隣の市に住んでいて、休日に近くの手賀沼を散歩していたらたまたま2-3回会ったことがあります。相変わらず声が大きく見るからに元気そうでした。炭焼きをしながら隠遁生活をしているという噂を聞いたことがありますが、実際は子供が全員海外に住んでいて本人と奥さんも昔駐在していた東南アジア関連の商売をしているらしく今でも日本にはあまりいないようです。  

Posted by tsukuma at 23:20Comments(0)