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2014/06/20
ロンドン旅行(2)
2014年5月31日(土曜日)
9時間の時差は如何とし難いがしょうがない。夜中に何回も目が覚めてしまうが旅行に来たので時間になったら行動しなければならない。幸い1年で最も日が長い時期なので午前4時には明るくて朝食前に一人で散歩に出ることにしました。ちなみに朝食前の散歩には毎日出かけました。
(早朝)
1. 1日目の散歩は地下鉄に乗って当時働いて場所へ行きました。オフィスはBerkshier Houseという12階建のビルの11階だったと思いますが、1階のPubが小奇麗になっていることを除いて、気味が悪いくらい当時と全く変わっていません。そういえば1階にスポーツセンターがありロンドンには珍しく中庭に屋外の温水プールがあり冬でも泳いでいる人がいました。私は利用したことはありませんでしたが、日本人の同僚だったF君が会員で一泳ぎしては残業していたものです。

2. 隣のホテルは名前が変わっていましたが引き続きホテルとして営業していました。サンドイッチ屋さんは昔と同じですね。ロンドンのサンドイッチ屋さんはパンそのもの(白か茶色かその他?)から始まり中身もいろいろと選択しなければならないので注文するのも結構大変でした。新聞やタバコを買っていた売店も働いている人は変わっていましたが引き続きインド系の人が取り仕切っていて店構えも全く同じでした。瞬時に釣銭の計算をしていたのも同じでしょうか?たまに行っていたイタリアン・カフェが無くなっていました。会社のそばの裏通りにあった劇場では家族全員でCatsを見た記憶があるのですが、劇場の名前は変わっていましたが「War Horse」という劇を上映しているようです。この劇は日本のテレビでもコマーシャルか何かで見た記憶がありますが映画だと思っていたのですが劇なんですね?Catsは引き続き別の劇場で上映しているようです。

3. 驚いたことにたまに行っていた韓国レストランは、名前は変わっていると思いますが引き続き韓国レストランとして残っていて、しかも両サイドに新たに2店の韓国レストランが営業していました。端っこに「寄り道/よりみち」と日本語で書かれた日本レストランが申し訳程度にありましたが、よく見ると隣の韓国レストランと同じマークがありもしかしたら韓国系の経営と思われます。とにかくロンドンにおける韓国の進出ぶりはすさまじく別の機会に詳しく書きます。

(午前)
20年前に住んでいたロンドンの西のEaling/Acton地域へ。
1. West Acton
最初1年間住んだフラット(アパート)があります。3階建ての奥から2番目の2階。ここも驚くほど変わっていせん。当時築80年だったと記憶しているから20年経っているので築100年のはずですが20年前と同じように見えます。ちなみにハノイの場合は5年-10年も経過するとすっかり老朽化したように見えるのだが、ロンドンの場合は150年は住み続けると聞いた記憶があります。気候の関係でしょうか?ちなみに煙突は必要ないのだが、何故か全ての家に煙突がついている。このフラットの場合は暖炉に電気で明るくなる模型がありました。大家はイラン人でしたがイランに住んでいて会ったことはなく、近所に住むイラン人の家族が管理人をしていてたまに何か困ったことがないか言いながら実は様子を見に来ていました。中東系の銀行に勤めていた旦那は私と同じような朴訥とした英語を喋るので分かり易かったと思います。奥さんはあまり英語が得意ではなかったようで来る時は何時も10代の娘が通訳で来ていました。長女が居ないときはたまに5-6歳ぐらいの二女が通訳でついてきて結局何を言っているのかよく分からなくて困ったものです。イスラム教徒だと思いますが旦那が来たときにわざとウイスキーを奨めたら飲んでいました。結局1年後に大家がフラットを手放すことになり我々も退去せざるを得なくなりました。

2. ロンドン日本人学校
West Actonのフラットから徒歩10分ぐらいのところにあります。ここも昔と全く変わっていません。当時小学生だった子供たちが全日制に通っていました。校風は極めて自由だったようで子供たちも伸び伸び過ごせたようです。当日は土曜日だったので全日制は休みのはずだが、普段現地校に通っている子供たちが通う補習校の授業が行われていたと思いますが若干の人の出入りはあったが静かなものでした。昔はもっと活気があったような気がしますが?ちなみに2-3後の平日にも再度訪れたがその時は小学校低学年と思われる子供たちの大きな歌声が聞こえてきました。毎日子供たちを送り迎えしていた家内は特別に感慨深いものがあったようです。

3. Ealing Broadway
(1) West Actonの1駅先で地下鉄(この辺は地上を走っていますが)Central Lineの支線の終点です。ロンドンの地下鉄(地上部分)は必ず途中で本線から支線に分かれていて分岐駅までに行き先が変更になることがよくあり注意していないと支線行きが途中で本線行きになってしまうことがありました。まあ次の駅で戻ればいいのですが。
(2) ここはこの地区の最大の繁華街で駅前に大きなショッピングセンターがありましたが今でも全く昔と変わっていません。駅前で数年前に爆弾テロ事件があり大きなニュースになったと思います。そういえば当時は金曜日の夜に駅を降りて帰宅していると高校生連中が酔っぱらって大騒ぎをしていてよく帰りの地下鉄代の50ペンス~1ポンドをねだられたものです。

(3) 当時住んでいた家はショッピングセンターの裏側にあり、いわゆるセミディタッチ(2棟からなるタウンハウス)でした。ロンドンは驚くほど変わっていませんが、やはり変化もあり、例えばガーデニングの風習が少し変わってきているそうで、昔は道路に面した前庭もきれいにしていてその家もアジサイの花がきれいでしたが、今は前庭を駐車場にするケースが多いそうで、当時住んでいた家も前庭が駐車場になっていました。アジサイといえばロンドンの気候のせいと思われるが何カ月も咲きっぱなしで最後は気味が悪くなり花を切っていました。もう時効だと思いますが、私の母親が福岡から遊びに来て暫く(2-3カ月)滞在したあと帰国する時にアジサイの花を切って福岡に持ち帰ったのですが、福岡の実家の庭に毎年きれいに咲くそうです(私は見たことがないのですが)。但し花が咲く期間は日本のアジサイと同じで何カ月も咲くということはないそうです。この家の大家は若いイラク人でイギリスで教育を受けたようで普通のイギリス人と同じような英語を話していました。普段は南のポーツマス(だったと思いますが)に住んでいたそうであまり会ったことはなかったのですが、そういえば一度イラクのバクダットと思われるところから電話があり湾岸戦争が終わってすぐのころだったので緊張したものです。隣に老夫婦(確かご主人のFirst NameはHenryさんだった?)が住んでいて、ご主人はイギリス人には珍しく話好きで老人なので視野が狭そうでしたが目が合うと家に拉致されて何時間もウイスキーを飲むはめになるのでなるべく目が合わないようにしました。生きていればもう100歳ぐらいだと思いますが隣の家の前には「Sale Agreed」(売買成立)の看板が立っていて不動産会社の人間らしき人物が出入りしていました。イギリスは景観保護の見地から同じ通りには同じ形の・タイプの家が立ち並んでいるのですが、当時たまに夜に飲んで中心街からタクシーで帰ると暗くてしかも酔っているので、家の玄関に書かれてある住所(番号)しか目印がなく我が家の前でピッタリと止まったことがありませんでした。

4. Ealing Common
何の変哲もない公園ですが昔と違い子供用の遊具が設置してありました。一度1週間ほど移動遊園地が突然出現したことがあります。日本には無いですが大規模な遊園地が各地を転々とするようです。最後は娘が日本人学校の友人とこの公園を通って通学していたようです。公園を渡り切った所に駅があり日本の書籍を売っていた日系の本屋さんがありましたがさすがに見当たりませんでした。

(午後)
家内のたっての希望で中心部の劇場で「Mamma Mia」の観賞。劇場は地下鉄のCovent Garden駅から徒歩5分ほどのAldwych というところにあります。どこの劇場もそうですが古くてそれなりに趣があります。当時働いていた職場からも歩いて行ける距離でおそらく何度も劇場の前は通っているはずです。ミュージカルの英語は相変わらずよく分かりませんが歌は全てABBAのどこかで聞いたことがある歌ばかりでそれなりに楽しめました。帰りはCovent Gardenの市場を通って帰りましたがここも昔と変わりませんね。
http://www.boxoffice.co.uk/arts-and-theatre-tickets/musicals/mamma-mia-tickets.aspx?gclid=CJ3kibLNhb8CFUUAvAod0pAANw
9時間の時差は如何とし難いがしょうがない。夜中に何回も目が覚めてしまうが旅行に来たので時間になったら行動しなければならない。幸い1年で最も日が長い時期なので午前4時には明るくて朝食前に一人で散歩に出ることにしました。ちなみに朝食前の散歩には毎日出かけました。
(早朝)
1. 1日目の散歩は地下鉄に乗って当時働いて場所へ行きました。オフィスはBerkshier Houseという12階建のビルの11階だったと思いますが、1階のPubが小奇麗になっていることを除いて、気味が悪いくらい当時と全く変わっていません。そういえば1階にスポーツセンターがありロンドンには珍しく中庭に屋外の温水プールがあり冬でも泳いでいる人がいました。私は利用したことはありませんでしたが、日本人の同僚だったF君が会員で一泳ぎしては残業していたものです。
2. 隣のホテルは名前が変わっていましたが引き続きホテルとして営業していました。サンドイッチ屋さんは昔と同じですね。ロンドンのサンドイッチ屋さんはパンそのもの(白か茶色かその他?)から始まり中身もいろいろと選択しなければならないので注文するのも結構大変でした。新聞やタバコを買っていた売店も働いている人は変わっていましたが引き続きインド系の人が取り仕切っていて店構えも全く同じでした。瞬時に釣銭の計算をしていたのも同じでしょうか?たまに行っていたイタリアン・カフェが無くなっていました。会社のそばの裏通りにあった劇場では家族全員でCatsを見た記憶があるのですが、劇場の名前は変わっていましたが「War Horse」という劇を上映しているようです。この劇は日本のテレビでもコマーシャルか何かで見た記憶がありますが映画だと思っていたのですが劇なんですね?Catsは引き続き別の劇場で上映しているようです。
3. 驚いたことにたまに行っていた韓国レストランは、名前は変わっていると思いますが引き続き韓国レストランとして残っていて、しかも両サイドに新たに2店の韓国レストランが営業していました。端っこに「寄り道/よりみち」と日本語で書かれた日本レストランが申し訳程度にありましたが、よく見ると隣の韓国レストランと同じマークがありもしかしたら韓国系の経営と思われます。とにかくロンドンにおける韓国の進出ぶりはすさまじく別の機会に詳しく書きます。
(午前)
20年前に住んでいたロンドンの西のEaling/Acton地域へ。
1. West Acton
最初1年間住んだフラット(アパート)があります。3階建ての奥から2番目の2階。ここも驚くほど変わっていせん。当時築80年だったと記憶しているから20年経っているので築100年のはずですが20年前と同じように見えます。ちなみにハノイの場合は5年-10年も経過するとすっかり老朽化したように見えるのだが、ロンドンの場合は150年は住み続けると聞いた記憶があります。気候の関係でしょうか?ちなみに煙突は必要ないのだが、何故か全ての家に煙突がついている。このフラットの場合は暖炉に電気で明るくなる模型がありました。大家はイラン人でしたがイランに住んでいて会ったことはなく、近所に住むイラン人の家族が管理人をしていてたまに何か困ったことがないか言いながら実は様子を見に来ていました。中東系の銀行に勤めていた旦那は私と同じような朴訥とした英語を喋るので分かり易かったと思います。奥さんはあまり英語が得意ではなかったようで来る時は何時も10代の娘が通訳で来ていました。長女が居ないときはたまに5-6歳ぐらいの二女が通訳でついてきて結局何を言っているのかよく分からなくて困ったものです。イスラム教徒だと思いますが旦那が来たときにわざとウイスキーを奨めたら飲んでいました。結局1年後に大家がフラットを手放すことになり我々も退去せざるを得なくなりました。
2. ロンドン日本人学校
West Actonのフラットから徒歩10分ぐらいのところにあります。ここも昔と全く変わっていません。当時小学生だった子供たちが全日制に通っていました。校風は極めて自由だったようで子供たちも伸び伸び過ごせたようです。当日は土曜日だったので全日制は休みのはずだが、普段現地校に通っている子供たちが通う補習校の授業が行われていたと思いますが若干の人の出入りはあったが静かなものでした。昔はもっと活気があったような気がしますが?ちなみに2-3後の平日にも再度訪れたがその時は小学校低学年と思われる子供たちの大きな歌声が聞こえてきました。毎日子供たちを送り迎えしていた家内は特別に感慨深いものがあったようです。
3. Ealing Broadway
(1) West Actonの1駅先で地下鉄(この辺は地上を走っていますが)Central Lineの支線の終点です。ロンドンの地下鉄(地上部分)は必ず途中で本線から支線に分かれていて分岐駅までに行き先が変更になることがよくあり注意していないと支線行きが途中で本線行きになってしまうことがありました。まあ次の駅で戻ればいいのですが。
(2) ここはこの地区の最大の繁華街で駅前に大きなショッピングセンターがありましたが今でも全く昔と変わっていません。駅前で数年前に爆弾テロ事件があり大きなニュースになったと思います。そういえば当時は金曜日の夜に駅を降りて帰宅していると高校生連中が酔っぱらって大騒ぎをしていてよく帰りの地下鉄代の50ペンス~1ポンドをねだられたものです。
(3) 当時住んでいた家はショッピングセンターの裏側にあり、いわゆるセミディタッチ(2棟からなるタウンハウス)でした。ロンドンは驚くほど変わっていませんが、やはり変化もあり、例えばガーデニングの風習が少し変わってきているそうで、昔は道路に面した前庭もきれいにしていてその家もアジサイの花がきれいでしたが、今は前庭を駐車場にするケースが多いそうで、当時住んでいた家も前庭が駐車場になっていました。アジサイといえばロンドンの気候のせいと思われるが何カ月も咲きっぱなしで最後は気味が悪くなり花を切っていました。もう時効だと思いますが、私の母親が福岡から遊びに来て暫く(2-3カ月)滞在したあと帰国する時にアジサイの花を切って福岡に持ち帰ったのですが、福岡の実家の庭に毎年きれいに咲くそうです(私は見たことがないのですが)。但し花が咲く期間は日本のアジサイと同じで何カ月も咲くということはないそうです。この家の大家は若いイラク人でイギリスで教育を受けたようで普通のイギリス人と同じような英語を話していました。普段は南のポーツマス(だったと思いますが)に住んでいたそうであまり会ったことはなかったのですが、そういえば一度イラクのバクダットと思われるところから電話があり湾岸戦争が終わってすぐのころだったので緊張したものです。隣に老夫婦(確かご主人のFirst NameはHenryさんだった?)が住んでいて、ご主人はイギリス人には珍しく話好きで老人なので視野が狭そうでしたが目が合うと家に拉致されて何時間もウイスキーを飲むはめになるのでなるべく目が合わないようにしました。生きていればもう100歳ぐらいだと思いますが隣の家の前には「Sale Agreed」(売買成立)の看板が立っていて不動産会社の人間らしき人物が出入りしていました。イギリスは景観保護の見地から同じ通りには同じ形の・タイプの家が立ち並んでいるのですが、当時たまに夜に飲んで中心街からタクシーで帰ると暗くてしかも酔っているので、家の玄関に書かれてある住所(番号)しか目印がなく我が家の前でピッタリと止まったことがありませんでした。
4. Ealing Common
何の変哲もない公園ですが昔と違い子供用の遊具が設置してありました。一度1週間ほど移動遊園地が突然出現したことがあります。日本には無いですが大規模な遊園地が各地を転々とするようです。最後は娘が日本人学校の友人とこの公園を通って通学していたようです。公園を渡り切った所に駅があり日本の書籍を売っていた日系の本屋さんがありましたがさすがに見当たりませんでした。
(午後)
家内のたっての希望で中心部の劇場で「Mamma Mia」の観賞。劇場は地下鉄のCovent Garden駅から徒歩5分ほどのAldwych というところにあります。どこの劇場もそうですが古くてそれなりに趣があります。当時働いていた職場からも歩いて行ける距離でおそらく何度も劇場の前は通っているはずです。ミュージカルの英語は相変わらずよく分かりませんが歌は全てABBAのどこかで聞いたことがある歌ばかりでそれなりに楽しめました。帰りはCovent Gardenの市場を通って帰りましたがここも昔と変わりませんね。
http://www.boxoffice.co.uk/arts-and-theatre-tickets/musicals/mamma-mia-tickets.aspx?gclid=CJ3kibLNhb8CFUUAvAod0pAANw
Posted by tsukuma at
20:53
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