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2013/07/28
2000年5月 2年ぶりのハノイ(3)



ハノイに到着した日、合弁会社の元の同僚たちが日航ホテルまで来てくれました。一緒に日本からやってきたH氏は機内での一杯(数杯か?)が効いて、うまい具合に(?)ホテルに到着するなりそのまま寝てしまいました。私は元同僚たちと何処かに食事に行った筈ですがよく思い出せません。私もその時かなり飲んだのかもしれません。わずか2時間の時差ですが、私は少しの時差でも適応できないようです。そういえばロンドン駐在時代に夏時間と冬時間の切り替えで、1年に2回(3月と10月だったと思いますが?)1時間の調整がありましたが、切り替え後1週間程度は体調がおかしかったようです。
翌日はVCBとのミーティングでした。中国式(かどうかその時はよく知らなかったのですが、後年中国で同じスタイルの会談形式を見たことがあります。)の配置で、上座にVCBの頭取(と言っても私より若かったですが)とH氏が同じ方向に向かって(対面ではない)座り、横の席に私とVCB側にはJVセクションのスタッフたち(これまた懐かしい面々)が座り、通訳なしの英語でのやり取りになりました。かなり長いミーティングでしたが、なかなか本題に入らずにこちらもハラハラしていたのですが、H氏も同じだったようで途中で私に向かって日本語で苛立ったような発言があったのを記憶しています。最後は何とか合弁会社の解散・清算に向けての合意に達しました。個人的な意見ですが、ベトナムの社会は日本と似たような面があり、日本もベトナムも村社会だと言う人がいましたが、担当者同士でいくらやり取りを繰り返してもなかなか前に進まず、そういう時は長老同士が話をして合意をするのが早いということがよく言われましたが、本件はまさにそうだったようです。ただ合意をしたと言ってもそれはあくまで基本合意で、そのあとは担当者同士で気が遠くなるような細かい作業が待っていました。
とにかく会談は無事終わり、VCBのスタッフたちとは久しぶりの再会を喜んだものです。翌日には私はH氏と一緒にひとまず帰国しましたが、帰りはさすがにファーストクラスとはいかず予約どおりエコノミーだったと思います。帰国後Y氏はLTCB(その時は行名が変わっていたかもしれません)に出向きLTCBのCEOと面会して本件の説明をして了解を求めたようです(もちろん要件は他にもいろいろあったと思いますが。)。ちなみにH氏とLTCBのCEOは外資系の別々の石油会社で社長をしていた経験があり、お互いに面識があったようです。私は、前に投稿したように、このあとニューヨークに出張しましたが、その後はまたベトナムのどっぷりと浸かることになりました。
(ちなみに写真の1枚目は中央銀行ですがMeetingの場所は写真には写っていませんが隣のVCB本店でした。当時は中央銀行に入ると何故か1階はVCBの広い窓口店舗でした。VCB本店は2010年12月に再訪したときは高層ビルに建て替えられていました(そういえば駐在中高層ビルの模型がVCB本店の玄関に飾られていました。)
Posted by tsukuma at
06:03
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