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Posted by vietnhat at

2013/06/22

会社更生業務(1)

    

1999年3月 英国ロンドン

1999年の3月にロンドンに出張しました。昔勤務していた英国法人の事務所に行ったところ書類やダンボールが山のように積まれていて、ただでさえ暗いのに更に暗い状況の中で前からいたスリランカ人の総務部長が書類の山に埋もれて残務整理をやっていました。もう1人イギリス人の営業部長もいた筈ですが、この時は会えなかったのではと思います(1年後に会いました)。会計士である管財人からはかなり長時間にわたりヒアリングを受け時差ボケもありクタクタになった記憶があります。通常の整理業務に加え、ある不動産担保権を巡り英国法人(すなわち管財人)が某邦銀ロンドン支店を相手に訴訟を提起した結果裁判所で争われることになり、その案件についてかなり突っ込んで聞かれた記憶があります。私自身はその不動産案件の組成には担当者として関わったので案件自体は了解していましたが、それを巡る資金の関係は全く知らずあまり役には立たなかったのではと思いますが、1999年の前半はその件でかなり忙殺されることになりました。

1999年4月 アメリカ・アリゾナ州フェニックス

 アメリカ法人については先輩の担当者がニューヨークに1人残って私的整理を進めていましたが、西海岸にもかなりローン資産があり、この中のフェニックスの郊外のゴルフ場は担保だったものを取得してオーナーになっていましたが、処分か何かに係るドキュメンテーションがあり、先輩がニューヨークから現地入りするのに合わせて、いろいろあり私も東京から行かざるを得なくなりました。フェニックスは同じゴルフ場の件でその数年前にも一度訪れたことがありました。サンフランシスコで乗り換えたのですが、空から見ると全米何番目かの大都市であるフェニックスが砂漠の中にあるのがよく分かり、よくこんなところに大きな街を作ったなと関心したものでした。先輩がニューヨークから来るよりも私が1日早く着いたのですがホテルの周りは砂漠で外出も出来ず1日中ボーッとしていた記憶があります。とにかくあとは弁護士事務所とコンサルタント会社の事務所で過ごしたことしか思い出せません。最後は先輩が運転するレンタカーでサボテンが生えている砂漠に出かけ東京の状況をいろいろ聞かれました。サボテンしか生えていない砂漠の中にはところどころに小さな集落がありました。住めば都といいますが私はあそこには住めないと思いました。

1999年5月~6月ごろ
英国法人の管財人が弁護士を連れて来日。目的は某邦銀ロンドン支店との訴訟の証拠として当時JLCの財務担当役員を初めとする数名との面談。面談対象の数名は、既に解任されていた担当役員を除き、全員が新設会社に所属だったと思います。書類つくりも含め準備にかなりの時間を費やしましたが、当然面談内容は裁判の証拠となることは対象者に事前に言ったわけですが、これを巡り日本の管財人団も含めかなりもめました。私は板ばさみになって散々文句を言われて、今にして思えば私の方が切れていればよかったのかもしれませんが、とにかく何とか面談までこぎつけました。面談は当然通訳を通じて行われ私も同席しましたが、私も初めて聞くことばかりで内心驚きの連続でした。当日の夜は英国人たちと有楽町のガード下で一杯やった記憶があります。翌日からは時間を見つけては面談のテープを聴きながら英語の部分を一生懸命日本語にする作業をしていました。当然ながら100%分からずに何度も聞いて大変な作業でしたが、何故そんなことをしたのか思い出せません。おそらく日本の更生管財人団の指示だったと思いますが。英国の管財人と弁護士はもう一度その年の秋ごろに来日しました。そのときは別の人物に対するヒアリングで1人はロンドン現法の財務担当者だった人物だったと思いますが、その他2-3人いたと思いますが思い出せません。英国人の管財人と弁護士はその2年前に破綻した日本の証券会社のロンドン現法の整理も担当していたようでその件もあったようです。
  

Posted by tsukuma at 05:09Comments(0)