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2013/06/09
1998年9月27日(日曜日) JLCの会社更生法申立



ついに9月27日を迎えます。このころになるとLTCBとJLCの件が政治問題化していて、もう破綻しかないだろうという覚悟みたいな確信みたいなものがあったような気がします。申立書の提出は休日・夜間でも可能なようで、当日は日曜日でしたが夜のテレビの画面に「JLC会社更生法申立」とのテロップが流れ、直後に会社からその旨の電話連絡があったと思います。翌日銀座1丁目にあった本社ビルに出勤すると、報道陣が群がっていて大変な状況になっていました。正面玄関からはとても入れる状況ではなく、地下の地下鉄との連絡口から入ったのではないかと思います。本社の社員一同が大きな会議室に集められC副社長(前日に解任されていたので正確に言うと元副社長)から会社更生に至るまでの経過説明と社員に対する謝罪の気持ちを涙ながらに伝えていました。社員の一部からは非難めいた声も上がりましたが、C元副社長はハノイの合弁会社の非常勤役員として約1年前にハノイに出張して来て2-3日行動を共にしたこともあり人柄も何となく分かっていたので、私は非常に複雑な気持ちだったことを覚えています。JLCが会社更生に至った原因はいろいろあったと思いますが、最大の原因は不動産に傾斜しすぎたということのようです。新聞等にはLTCBの不動産別働隊というような記事を多く見かけましたが、私がその正確な意味を(少しだけですが)理解したのは更生業務として不動産案件の処理を通じてのことでした。最後はLTCBもJLCも殆んど運命共同体のようになっていたようです。大雑把な数字ではありますが、会社更生申立時のJLCの負債総額は約2兆円で、資産の内訳は約1兆円がリース資産で残り1兆円が不動産その他海外向け資産(海外現法の数字は含まず)であったようですが、不動産資産についてはかなりの不良資産が含まれていたようです。当時戦後最大の倒産と形容されました。
会社更生申立と同時に管財人として弁護士のO氏やS氏が選任され、その他両弁護士事務所の大勢の弁護士が管財人補佐として会社に乗り込んできました。当日だったと思いますが管財人のO弁護士が社員を集めた会議室で椅子か何かの上に立って皆さんこれからがんばりましょうという決意表明みたいなものがあったと思います。会社更生法は債権債務を整理してスポンサーを見つけて会社の再生を図るものですが、JLCのような業種には従来の会社更生法は不向きと言われ、そのせいか当初から清算型会社更生としてスポンサーに資産と社員を営業譲渡するという方法が考えられていたようで、その後の大きな動きとしては、1999年初めにリース部門の資産と人員(約7-8百名?)を米国メーカー系金融会社に、2000年初めに残りの不動産等の資産と人員(約1-2百名?)を米国自動車会社系金融会社に譲渡し、主に譲渡代金を原資として債権者向け配当を行いJLCは清算という形をとったようです。
LTCBは翌10月に破綻申請を行い特別危機管理銀行として一時国有化され公的管理されることになりました。
9月27日は個人的には結婚記念日でもあり毎年嫌でもこの時のことを思い出してしまいます。
Posted by tsukuma at
05:01
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