Liên kết tài trợ / スポンサーリンク
Quảng cáo này xuất hiện trên các Blog không cập nhật bài viết trên 1 tháng
Nếu bạn cập nhật bài viết mới thì quảng cáo này sẽ mất đi
上記の広告は1ヶ月以上記事の更新がないブログに表示されます。
新しい記事を書くことでこちらの広告は消えます。
2012/06/20
赴任直後
出社1日目
ホテルまで運転手のMr.Cが旧式のトヨタカムリで迎えに来てくれました。前任者がタクシー会社との間で運転手付きレンタルとして契約していたものを、そのまま引き継いだものです。Mr.Cは合弁会社設立後は運転手として社員になりました。今は、VCBの支店で運転手をしているそうです。彼は、おそらくベトナム人の中で、一緒の時間を一番長く過ごした人だと思います。少なくとも飲んだ回数は圧倒的に一番多いと思います。ホテルからHITCまで車で約10分。彼と一緒に毎日通勤することになりました。
ベトナム中央銀行(”SBV”)と戦車
赴任後すぐに、ハノイ市内の中心部のホアンキエム湖のすぐ側にあるSBVに挨拶に行きました。立派な歴史的建造物であるSBVの玄関を入ると、かなり広い銀行窓口フロアーでしたが、そこはSBVではなくVCBの窓口だったそうで、我々が訪れたSBVのセクションは裏の建物にありました。担当セクションの局長と部下数人と会った記憶があります。その局長はたしかその後ニューヨークに転勤しました。ところで驚いたことに、玄関の前に戦車があり兵士数人が戦車の廻りにいました。ベトナムのことを全く知らない私は、それを見て戦車がSBVを警備していると思ったのですが、実は映画かドラマの撮影だったそうで、カメラがどこかにあったと思うのですが余裕がなく全く気がつきませんでした。もちろんそれ以降、ベトナムで戦車を見たことはありません。13年後の2010年12月にSBVの前を通りました。土曜日だったので玄関は閉まっていましたが、昔と同じ佇まいでした。
VCBリータイトー(Ly Thai To)支店
SBVから歩いて行ける距離の Ly Thai To 通りに、VCBリータイトー(Ly Thai To)支店があり、そこの2階の合弁セクションが我々の合弁交渉の窓口になっていました。部長以下3-4名全てが女性でした。男性もいたような記憶がありますが、我々には関係なかったようです。SBVと同じようにここにも挨拶に行ったはずなのですが、どうも記憶が定かではありません。その後ここにはよく通いました。VCBは当時(今でもそうだと思いますが)ベトナム最大の国営銀行で、SBVの近くの紅河側に本店がありました。当時、高層のベトコンバンクタワーを建設する予定があり、玄関に完成予想の模型が飾ってありましたが、2010年12月に実際にベトコンタワーらしき高層ビルを見かけました。最近、みずほ銀行がVCBに15%資本参加し関係を深めているようです。15%というのは、SBVを除き最大の出資者になるのでは?
ベトナム式ドキュメンテーション
そもそもベトナムには仕事のために行ったわけですが、時間が経過しているので記憶がかなり曖昧になっていてなかなか思い出せません。ひとつには、合弁設立に関してはいくつかの理由により、私の裁量で出来ることが殆どなかったことも原因かもしれません。1996年12月にSBVの仮ライセンスが出た段階で、かなり詳細な合弁契約のドラフトが出来ていたのですが、ちょうど私が赴任した直後にベトナム側からそのドラフトに対して実に多くのコメントが出てきて、従って、当面の仕事は合弁契約の交渉ということになりました。契約書は英語版とベトナム語版の両方で準備していましたが、ベトナム側はベトナム語版を見ており、コメントもベトナム語で出てきました。ベトナム語のコメントを見て日本側の英国系弁護士事務所が英語版にベトナム語のコメントを反映させ、我々がそれを検討するというやり方をやっていました。秘書のMs.LとMs.Vanもベトナム語のコメントの英訳をしていました。我々が、カウンターコメントを英語で準備してそれをベトナム語に翻訳して返していたので、とにかく時間がかかりました。先方のコメントを反映した英語版を見てもよく分からない部分も多くあり、要はベトナム語の言い回しに関するコメントでそれを無理やり英語版に反映させてもよく分からないということだったようです。この辺は、英国系の弁護士事務所に任せるしかありませんでした。一度コメントを送ると、カウンターが返ってくるまで時間があるので、その間いろんなことをやっていました。そうやって一週間があっという間に過ぎていきました。とにかく、ベトナム人は非常に細かいということがよく分かりました。
ホテルまで運転手のMr.Cが旧式のトヨタカムリで迎えに来てくれました。前任者がタクシー会社との間で運転手付きレンタルとして契約していたものを、そのまま引き継いだものです。Mr.Cは合弁会社設立後は運転手として社員になりました。今は、VCBの支店で運転手をしているそうです。彼は、おそらくベトナム人の中で、一緒の時間を一番長く過ごした人だと思います。少なくとも飲んだ回数は圧倒的に一番多いと思います。ホテルからHITCまで車で約10分。彼と一緒に毎日通勤することになりました。
ベトナム中央銀行(”SBV”)と戦車
赴任後すぐに、ハノイ市内の中心部のホアンキエム湖のすぐ側にあるSBVに挨拶に行きました。立派な歴史的建造物であるSBVの玄関を入ると、かなり広い銀行窓口フロアーでしたが、そこはSBVではなくVCBの窓口だったそうで、我々が訪れたSBVのセクションは裏の建物にありました。担当セクションの局長と部下数人と会った記憶があります。その局長はたしかその後ニューヨークに転勤しました。ところで驚いたことに、玄関の前に戦車があり兵士数人が戦車の廻りにいました。ベトナムのことを全く知らない私は、それを見て戦車がSBVを警備していると思ったのですが、実は映画かドラマの撮影だったそうで、カメラがどこかにあったと思うのですが余裕がなく全く気がつきませんでした。もちろんそれ以降、ベトナムで戦車を見たことはありません。13年後の2010年12月にSBVの前を通りました。土曜日だったので玄関は閉まっていましたが、昔と同じ佇まいでした。
VCBリータイトー(Ly Thai To)支店
SBVから歩いて行ける距離の Ly Thai To 通りに、VCBリータイトー(Ly Thai To)支店があり、そこの2階の合弁セクションが我々の合弁交渉の窓口になっていました。部長以下3-4名全てが女性でした。男性もいたような記憶がありますが、我々には関係なかったようです。SBVと同じようにここにも挨拶に行ったはずなのですが、どうも記憶が定かではありません。その後ここにはよく通いました。VCBは当時(今でもそうだと思いますが)ベトナム最大の国営銀行で、SBVの近くの紅河側に本店がありました。当時、高層のベトコンバンクタワーを建設する予定があり、玄関に完成予想の模型が飾ってありましたが、2010年12月に実際にベトコンタワーらしき高層ビルを見かけました。最近、みずほ銀行がVCBに15%資本参加し関係を深めているようです。15%というのは、SBVを除き最大の出資者になるのでは?
ベトナム式ドキュメンテーション
そもそもベトナムには仕事のために行ったわけですが、時間が経過しているので記憶がかなり曖昧になっていてなかなか思い出せません。ひとつには、合弁設立に関してはいくつかの理由により、私の裁量で出来ることが殆どなかったことも原因かもしれません。1996年12月にSBVの仮ライセンスが出た段階で、かなり詳細な合弁契約のドラフトが出来ていたのですが、ちょうど私が赴任した直後にベトナム側からそのドラフトに対して実に多くのコメントが出てきて、従って、当面の仕事は合弁契約の交渉ということになりました。契約書は英語版とベトナム語版の両方で準備していましたが、ベトナム側はベトナム語版を見ており、コメントもベトナム語で出てきました。ベトナム語のコメントを見て日本側の英国系弁護士事務所が英語版にベトナム語のコメントを反映させ、我々がそれを検討するというやり方をやっていました。秘書のMs.LとMs.Vanもベトナム語のコメントの英訳をしていました。我々が、カウンターコメントを英語で準備してそれをベトナム語に翻訳して返していたので、とにかく時間がかかりました。先方のコメントを反映した英語版を見てもよく分からない部分も多くあり、要はベトナム語の言い回しに関するコメントでそれを無理やり英語版に反映させてもよく分からないということだったようです。この辺は、英国系の弁護士事務所に任せるしかありませんでした。一度コメントを送ると、カウンターが返ってくるまで時間があるので、その間いろんなことをやっていました。そうやって一週間があっという間に過ぎていきました。とにかく、ベトナム人は非常に細かいということがよく分かりました。

Posted by tsukuma at
04:34
│Comments(1)