2013/07/13

2000年5月 2年ぶりのハノイ

2000年5月 2年ぶりのハノイ 2000年5月 2年ぶりのハノイ  2000年5月 2年ぶりのハノイ 2000年5月 2年ぶりのハノイ


1998年9月27日に会社が破綻して以降、実に多くのことがありました。ハノイの合弁会社の件は当然ながら気にはなっていて、いろいろなことが情報として入ってきたのですが、敢えて聞こえないふりをしていました。しかしながら欧州の拠点の整理がほぼ見えてきて、ハワイのゴルフ場の件が終わった2000年3月ごろから、管財人代理のH氏からまた一緒にやろうと軽く言われて、再びハノイの件に関与することになりました。但し、今回は前回と全く逆で合弁会社の清算ということではありましたが。 ハノイの合弁会社はLTCBやJLCが破綻した1998年9~10月以降もそのまま中途半端な形で継続していました。海外の現地子会社はもちろんのこと、多くの合弁会社も日本の株主の破綻で整理をせざるをえなくなった状況の中では非常に異例だったのではと思います。但し、そうはいっても日本の株主が破綻したことから合弁会社としてなかなか前向きの方針も取れなかったようです。 人的にもLTCB出身のY社長はLTCB破綻後退社し合弁会社の社長も辞任してベトナム人の副社長が社長に就任していました。社員数人も転職して別のところに移っていたようです。私の後任だったJLC出身者は引き続き合弁会社に残っていましたが、もともと日本国内の営業畑出身で海外の会社云々については経験がなかったこともあり、結局私に嫌な役割が回ってきました。 H氏は私が再び関与する前に1-2度ハノイに出かけ合弁相手のVCBの頭取と会ってはいましたが、本格的に取り組むことになり2000年の5月にH氏と一緒にハノイに出かけることになりました。前と同じく香港経由のフライトでしたが、成田空港でチェックインしたところ香港行きのエコノミーがビジネスを飛び越えてファーストクラスに格上げされていて、最初事情がよく分からなかったのですが、後でH氏が航空会社のVIPだったことから同乗者の私まで恩恵に預かったことが判明して、とにかく生まれて初めてファーストクラスに乗り非常に緊張した記憶があります。香港は啓徳空港から新空港に変更されていて市街地スレスレで着陸するというスリルは味わえなくなっていました。香港国際空港には航空会社の香港人女性スタッフがVIPであるH氏を待ち構えていました。ハノイのノイバイ空港では運転手だったMr.Kが迎えに来てくれていて、宿泊先の日航ホテルに落ち着きました。日航ホテルは市街地の南の旧レーニン公園の近くにあり1997-1998年ごろは建設中でした。ホテルの運営形態がどうなっているのかは知りませんが、投資家の1社として日本の某中堅ゼネコンの名前を聞いた記憶があり、日航ホテルはオペレーターとして参加していたようです。なお3-4年前に日航ホテルは名前を残したまま別のホテルチェーンに身売りしたのではと思います。日航ホテルハノイは悪くはないのですが、(当時)韓国系の大宇ホテルに比べるとやはり見劣りがしました。2年ぶりのハノイは懐かしい匂い・・全く個人的な感覚ですが飛行機を降りた瞬間から米を炊くような匂い・・がしました。1年で一番暑い季節と身構えて行ったのですが、意外と涼しかったというのが久しぶりのハノイの印象でした。

Posted by tsukuma at 05:05│Comments(0)
Vui lòng nhập chính xác dòng chữ ghi trong ảnh
 
<Chú ý>
Nội dung đã được công khai, chỉ có chủ blog mới có thể xóa