2013/06/15
1998年10月~1999年3月 第1回目の資産譲渡



会社更生法の問題だったと思いますが、暫くの間(1-2週間?)外部に対して全く動けない何も喋れない準備期間みたいなものがありました。終業時間後に年配者に誘われるまま居酒屋に行くと年配の社員が大勢集まっていて、何の解決にもならない愚痴や不平不満のオンパレードでした。そんなことよりも私にとって最も重要なのは家族でした。家族には迷惑はかけられなかったわけですが、私自身は何の根拠もなく漠然と何とかなると思っていたようで、不思議と平静だったような気がします。
準備期間が過ぎると今度は猛烈に忙しくなりました。我々のレベルでの更生業務は主に2つあり①資産の査定②業務の継続のための裁判所の許可取得で、それらの業務に忙殺されました。8月にジャカルタの裁判所に提起した訴訟については管財人団とも相談の結果訴訟は取り下げることにしました。ちなみにジャカルタの弁護士に電話したところJLCの会社更生法申立の件は十分了解していて、大袈裟に言えば申立のニュースが世界中を駆け巡ったようです。とにかく会社が元気なときには起こり得ない法律問題が毎日のように発生しその対応に追われていました。一つ収穫だったのは、殆どの社員の士気は衰えることなく更生業務は猛烈な勢いで進み、私は今でもあの時の社員の団結力は賞賛に値すると思っています。
会社更生申立からまだそれ程時間が経過していない頃に早くも米国メーカー系金融会社がスポンサーとして現れ、リース資産と人員(7-8百名?)を新設会社に譲渡する話が出てきます。あまりの手際の良さに、社内の中には会社更生申立を含めて一部の役員と社員が画策した出来レースではないかという批判がありました。私には真偽のほどは分かりませんが、出来レースでも何でもとにかく解決に向けて行動することが大事だったのではと思います。この資産譲渡を前提に全社員に対して希望を取ることになり管財人から面談を受けた記憶があります。選択肢は①リース資産を譲り受ける新設会社に移籍する②自動車等の子会社関連会社等に転籍する③このまま更生会社に残る、等だったと思います。私はあまり迷わずに③を選択しました。その時担当していた不良債権は譲渡資産に含まれずに更生会社に残ること、また長く担当していた国際関連資産・業務の整理も引き続き更生会社に残るので、個人的にはそちらの業務を行うことを優先したということでしょうか?年齢的にも50歳目前で、平均年齢が比較的若かった新設会社移籍組の仲間に入ることに若干躊躇したこともあったかもしれません。直感的に急いで結論を出さないようにしようと思ったこともありました。全員が希望どおりになったわけではありませんが、こうしてリース資産と社員の殆どは米国メーカー系金融会社が設立した新設会社への譲渡・転籍が行われました。記憶ではこの譲渡・転籍は1999年早々に行われ、新設会社と更生会社は銀座1丁目のビルで暫く同居することになりました。ついこの間まで同じ会社で働いていたわけですが、チャイニーズウォールみたいなものが引かれ、何か妙な感じだったような記憶があります。ところで私自身はこの分離とほとんど同時だったと思いますが更生会社の国際部に再び(?)配属されることになりました。JLCの国際部や営業部等は大幅に縮小されたわけですが、整理すべき海外拠点はまだ残っており、本社にブッキングしていた海外資産もまだほとんど全て残っていました。一方、国際関連業務を行っていた社員は新設会社に移籍した者も多く、外部への転職者もかなりいて人員が減ってしまったという背景があったようです。こうして私は昔担当していた欧州地区の拠点・資産の整理を行うことになりました。また米国の会社についてもニューヨークに1人残っていた整理担当者のサポートを行うことになりました。事務所については、1999年3月か4月頃に更生会社が有楽町駅前の新有楽町ビルに移転することで同居が解消されました。新有楽町ビルはJLCが1990年代半ばに銀座1丁目の自社ビル(詳しいことは知りませんが何かいわくつきの土地・建物だったようです)に移転するまで本社があり、私にとっては懐かしい場所でした。ハノイの合弁会社の件は嫌でも耳に入ってきましたが聞こえないふりをしていました。設立に関わったものとして非常に辛い話でした。
こうして国際関連の更生業務を行うことになりましたが、私が1999年に担当した業務は①欧州の会社の整理②米国の会社の整理のサポート③(後から出てきたのですが)米国ハワイのゴルフ場関連ローン資産の整理等だったと思います。欧州の会社については英国・ロンドンに4社とイタリア・ミラノにその中の1社のイタリア現法があり、当時4大会計事務所の一つが英国とイタリアで管財人として破産法に基づく法的整理を進めていました。その他にオランダのペーパー会社があり、これも結構複雑でしたが、こちらは法的整理ではなく私的整理を行っていました。当初は、朝出社すると英国・ロンドンとイタリア・ミラノの会計事務所からはものすごい量の問い合わせがメールやFaxで届いていて、懸命に返事を準備してその日の夕方(欧州の朝)までに返信するという毎日が暫く続いた記憶があります。それに対応するだけでも相当に忙しい毎日でした。当時、日本国内では会社更生法の申立で社員や資産等は保護されることになりましたが、海外では全く逆で、特に英国法系の国では一時大変な状況になったようでした。こういった状況の中で、銀行からの出向の海外拠点長の中には会社更生の申し立ての前後に信じられない行動を取った人たちがいたようで、今でも思い出すと残念というか腹立たしくなります。
Posted by tsukuma at 04:54│Comments(0)