2013/06/08

韓国・ソウル(2) 大分県国東町(現在国東市)

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1998年8月 韓国・ソウル(2)

ソウルまで約5時間の列車の旅だったと思いますが、ソウル駅から予約していた安いホテルまで歩いて行き、部屋に落ち着いたところでテレビを付けたら日本のNHKの衛星放送で国会中継をやっていました。どこかで見たことがある人が証人喚問を受けていたと思ったらなんとJLCの社長で本当に驚きました。ソウルに来てまでそんなものは見たくないのでテレビは直ぐに消しました(まさにテレビをつけた瞬間にJLCの社長の顔がクローズアップされました。)ソウルでは特に何処に行くと決めていたわけではなかったので気ままに地下鉄に乗ってあちらこちらをウロウロしました。夜は市場の屋台で一杯やっていました。屋台で日本人が1人というのは珍しかったようで、屋台のおばさん達からいろいろ話かけられました。よく覚えていないのですがおそらく日本語で話しかけられたのだと思います。そういえば韓国語が出来ない若い韓国系米国人から英語で道を聞かれ私も分からないので一緒に行ったり、中心部のお寺に行ったら老人たちが大勢いて、昔風のものすごく流暢な東京弁で話しかけてきた東京で生まれ育ったという老人もいたりしました。ソウルの小学校らしき学校に何故か古めかしそうな二宮尊徳の像があり日本でもあまり見たことがなかったのでびっくりもしました。当時韓国はIMF管理に入って1年も経過していなかった頃ですが、少なくとも旅行者の立場からはIMF管理を感じさせられるものはありませんでした。唯一板門店には個人では行けないので日本語のツアーに参加しました。ソウルから板門店まではそんなに距離はなくおそらく50-60kmぐらいであまりの近さに驚きました。板門店ではテレビ等でよく見る会議場がある小さな建物やすぐ近くにいる北朝鮮の監視兵にとにかく不気味な印象を持ちました。帰りは同じ経路でしたが下関から福岡の実家に立ち寄り1泊か2泊した記憶があります。この時期JLCではいろいろ大変なことが起こったようですが、私はもうすっかり割り切っていました。

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1998年9月 大分県国東町(現在国東市)

1ヶ月間の休暇を終え9月半ばに出社しましたが、とにかく出社してすぐだったと思いますが、長いこと会う機会がなかった母方の祖母が90歳半ばで亡くなったという連絡があり、母親の実家がある大分県国東町で行われた葬儀に参列しました。母親の実家の宗教が日蓮宗だということをその時初めて知ったのですが、日蓮宗の独特のスタイルが印象に残っています。祖母は天寿を全うして亡くなったので孫として特別に悲しいという思いはなかったのですが、祖母の友人らしき超高齢の方が2-3名参列されていて号泣していました。葬儀の後は大分県日田市の家内の実家まで挨拶に行ったような気がします。日田市に行くためには、途中大分空港、別府市、大分市等を通過しますが、大分空港からバスに乗り込んできた東京方面からの社内旅行風の団体は別府で下車するまで、バスの中でずっとLTCBやJLCの話をしていてもう駄目だろうというようなことを大きな声で盛んに言っていました。 それを聞きながら、しかし不思議なことに私はまるでそれを他人事のように聞いていたような気がします。当時のカレンダーを見ると9月23日(水)が秋分の日の祝日でおそらくその日に東京に戻ったのではないかと思います。

Posted by tsukuma at 03:34│Comments(0)
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