2013/06/07

1998年8月 韓国・ソウル(1)

1998年8月 韓国・ソウル(1) 1998年8月 韓国・ソウル(1) 1998年8月 韓国・ソウル(1)

北海道から戻ってきて今度は1人で韓国に行きました。昔から是非一度夜行便の関釜フェリーに乗ってみたいと思っていました。当時、(新幹線)東京⇒下関 (関釜フェリー)下関⇒釜山 (特急セマウル号)釜山⇒ソウルの日韓共同統一切符を購入できました。不思議なことに、こちらの料金の方が東京⇒博多の新幹線料金よりも安く設定されていました。単純に言えば下関⇒博多の新幹線料金(約30-40分 現在の料金約3千円)よりも下関⇒釜山⇒ソウルの方が安いわけで妙な感じでした。ゆったりとフェリーで韓国に向かうというのはプライベートでしか経験できないので、当日の夕方に下関で関釜フェリーに乗り込んだときは久しぶりに興奮で胸が躍ったのを覚えています。船内は広い畳を敷いたスペースがいくつかあり、船客が勝手に自分のスペースを選べるようでした。私の近くでは、大量の荷物を持っていたおばさん(おばあさん)達が北九州弁で楽しそうに宴会をしていました。北九州と釜山との間で荷物を運んで商売をしているようでした。北九州弁は九州の方言の中では比較的分かり易い言葉ですが、私は中学生のころに北九州市に住んでいて自分ではうまく喋れないのですが、聞いていると何か懐かしい感じがしました。おばさん達の中には少し酔っ払った勢いで私にも「お兄さん飲みんしゃい」言ってワンカップを薦めてくれる人もいました。翌朝は目が覚めたときはもう釜山沖に到着していて、早朝なので港の職員が出勤してくるまでの間の時間調整をしているようでした。驚いたことに昨晩北九州弁で宴会をしていたおばさん(おばあさん)達がこんどは韓国語(おそらく釜山の方言か?)を喋りながら朝食を取っていて、一晩で頭の中が日本語(北九州弁)から韓国語(釜山弁?)の世界に移動したようでした。釜山港では入国審査・税関で韓国人と外国人(殆んど日本人)とは別々の列に並びましたが、韓国人の列に並んでいたおばさん(おばあさん)達は今度は若い税関職員相手に再度北九州弁でまくし立てていて(それもかなり分かり難い北九州弁)若い税関職員はきれいな日本語の標準語で対応していましたが、あの北九州弁はおそらく全部は分からないだろうなと思いながら、私はとにかくおかしくてしょうがなくて必死で笑いを堪えていた記憶があります。釜山港からは地図を見るとそれ程距離はなかったのですが、面倒だったのでタクシーで釜山駅まで行ったのですが、タクシーの運転手が韓国語と身振り手振りで「集中豪雨で鉄道網は切断されているソウルに行くなら飛行機で行け」と親切に説明してくれて言葉は分からないが何を言いたいのか不思議によく分かりました。韓国の集中豪雨の件は日本にいる時からニュースは知っていて気にはなっていたのですが、切符を持っていたのでどうしようもなくとにかく釜山駅まで行ってもらいました。幸い釜山駅からはセマウル号は動いていましたが、途中には水没していた集落や水田がかなりあって被害は相当大きかったようでした。

Posted by tsukuma at 05:16│Comments(0)
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