2013/06/04

1998年7月 インドネシア・ジャカルタ(2)

1998年7月 インドネシア・ジャカルタ(2) 1998年7月 インドネシア・ジャカルタ(2) 1998年7月 インドネシア・ジャカルタ(2)

金曜日に弁護士事務所から合弁リース会社に車で戻る途中にたまたまLTCBの看板を見つけました。前にも投稿しましたが、ベトナムの合弁会社設立の件のLTCBの当初担当者であったK君が途中でLTCBのジャカルタ支店に転勤したのを思い出し、アポイントなしで寄ったところたまたまK君が居て久しぶりの再会となりました。K君も私の突然の訪問に驚いた様子でしたが、そのときに本人からLTCBを退職するとの話を聞きました。前述したように当時LTCBでは退職者が相次いではいましたが海外拠点も同じ動きがあることに内心驚きました。
日本への帰国便はヨーロッパへの出張と同じ要領で土曜日の便を予約してしまったのですが、深夜11時とか12時の出発で金曜日の便でも良かったということに後で気がつきました。合弁リース会社のS社長が気を遣ってくれて土曜日の昼はS氏宅に招待してくれて奥さんの手料理をご馳走してくれました。日本人の若手社員も奥さん同伴で合流し大いに盛り上がりました。S氏宅にはインドネシア人のお手伝いさんがいましたが、S氏の奥さんとお手伝いさんはインドネシア語で会話をしていました。町の食堂・レストラン等でも日本人の駐在員が結構インドネシア語を喋っていて、どの程度のレベルかは分かりませんが、私はベトナムのレストランではウェイトレスさん達に「ちょっと」という意味で「エモイ」とか言うのが精一杯だったことを考えると本当に驚きました。聞くところによるとインドネシア語は日本人には最も習得しやすい外国語とのことではありますが?その日は慣れない昼間のお酒のせいか午後は寝てしまい、空港へはS氏宅から直接S氏の車で運転手さんが連れて行ってくれて、空港では航空会社のチェックインカウンターやパスポートコントロールや税関を通過しているはずなのですが後で考えると記憶が定かではなく、昼間のお酒はほどほどにと反省した次第でした。日本に帰国後弁護士事務所からは約束どおり訴状のドラフトが送られてきました。送られてきた英語版がインドネシア語の訴状の単に英語翻訳版かそれともインドネシア語の訴状と併せて英語の訴状も裁判所に提出されるのか、どちらか忘れましたが日本の場合は英語版の訴状というのはあり得ないですね。その後、1998年8月だったと思いますが裁判所に訴状を提出し、第1回口頭弁論期日は(記憶が定かではないのですが)おそらく1998年10月ではなかったかと思います。




Posted by tsukuma at 23:01│Comments(0)
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