2013/06/03

1998年7月 インドネシア・ジャカルタ(1)

1998年7月 インドネシア・ジャカルタ(1)  1998年7月 インドネシア・ジャカルタ(1) 1998年7月 インドネシア・ジャカルタ(1) 




ジャカルタの法律事務所をどうやって決めたのか記憶が定かではないのですが、JLCの顧問弁護士が紹介した法律事務所でJLCのジャカルタも賛成したということではなかったかと思います。法律事務所とは事前に頻繁に連絡を取ったが、E-mailよりもFaxでのやり取りが多かったような記憶があります。当時はメールに文書を添付するという今では当たり前のことがまだそうではなかったかもしれません。検討の結果ジャカルタの法律事務所からは裁判には勝つ見込みがあるとの回答でしたが、私としては裁判で勝ったとしてもそれが回収に結びつくかどうかは甚だ疑問でした。とはいえ会社の方針なので莫大な時間と労力を使った検討の仕上げとして現地での法律事務所との直接打ち合わせのため1998年7月に4-5日間ジャカルタに出張しました。行きの飛行機はジャカルタ経由のバリ島行きで殆どの乗客がラフな格好をした観光客だったと記憶しています。アジアの訪問国としてはベトナム・香港に次いで3カ国目でしたが、ジャカルタは高層ビルが林立し都市高速道路が走っていて、ハノイの10年先を行っているというのが第一印象でした。ホテルの部屋は高層の上の方にあったと思いますが、早朝のまだ暗いうちから町中のコーランを唱えるようなうなり声が聞こえてきて、ここはイスラム教の国だということを実感しました。ジャカルタにはJLCと現地の銀行との間の合弁リース会社があり、出資比率はJLCの方が多かったのか社長はJLCから派遣されたS氏で他に同じくJLCから派遣された日本人の若手社員が1-2名いました。弁護士事務所は伝統的なかなり古いビルにあったと思います。担当の中年の女性弁護士は小学生か中学生のころ父親の仕事の関係で東京に住んでいたことがあったそうですが、やり取りは全て英語で行われました。Faxやメールで送付した膨大な資料や書類をベースに長時間の打ち合わせが行われ、2-3日を要したと記憶しています。正確に覚えていないのですが、Faxでの書類のやり取りの中で若干の誤解があり、弁護士は肝心の書類(日本語で書かれた念書でしたが)が原本ではなくコピーであったことに落胆したようでした。何故我々が原本を持っていなかったのかは覚えていないのですが。空いた時間には合弁リース会社の日本人の若手社員が対象の物件が設置されていた工場まで車で連れて行ってくれました。ジャカルタの中心部から高速道路を車で30分ぐらい走ったところにあったと思いますが、結局工場の中は見ることが出来ずに物件の確認も出来なかったと思います。金曜日は念のため予備日としていましたが金曜日は実質半ドン(たまたまその週だけだったかもしれませんが)で、結局弁護士事務所との前日までの打ち合わせをベースに弁護士事務所が訴状のドラフトを作成し東京に送るのでそれをチェックということで終ったと思います。

Posted by tsukuma at 22:48│Comments(0)
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