2013/06/03
1998年6月 長野



大口の不良債権を管理するといっても簡単な話ではなく毎日悪戦苦闘していました。担当案件の中に長野支店の案件があり物件がインドネシアのジャカルタにあり、暫く塩漬けにされていたようですが私が配属されるのを待っていたように現地で裁判手続きを取るようにとの指示。私は面食らいむやみやたらに裁判をやってもと思ったのですが、暫く塩漬け(というより1-2年塩漬けだったような記憶があります)していた案件で長く放置すると責任問題になる、又裁判になれば担当部として(担当者としてではない)は手離れができ一石二鳥と思ったようです。私も会社の方針なので取りあえず検討することにし、長野支店とジャカルタの弁護士事務所とコンタクトを取るようになりました。随分長い時間をかけて東京で資料・書類を読んでいたような記憶がありますが、その後長野支店に出かけて担当者と面談をしました。直前の1998年2月に長野オリンピックが開催され長野新幹線は開通してすぐのころだったようです(ちなみに新幹線が金沢まで延伸されるので北陸新幹線に名称が変更されるということで最近は新幹線の名称を巡ってもめているようです)。泊まった記憶がないので日帰りだったと思います。長野支店の支店長は2年後輩でしたが、こういう問題には知らぬ顔をする拠点長が多いというのは、こちらも経験上よく分かっていて却って担当者との打ち合わせに集中できました。長野支店の担当者の名前は忘れてしまいましたが、若いにも拘わらず非常にしっかりしていて理路整然と説明していたのが印象的でした。そういえば時間を見つけて少しだけ善光寺に連れて行ってくれましたね。こうして日本国内での作業は終わりジャカルタの法律事務所との打ち合わせに重点が移っていきます。そういえばいろいろな資料・書類の英訳に追われた記憶が蘇ってきました。
Posted by tsukuma at 06:06│Comments(0)