2013/06/02
さようならハノイ(1回目のさようなら)



2か月近く平日が本業で多忙だったのに加え休日は帰省やマンションの管理組合の仕事で時間が取れずに、このブログもすっかりご無沙汰してしまいました。日本でも暑い季節を迎えるとハノイの5-6月頃のとんでもなく高温多湿の季節及びそれに続く7-8月の短時間にとんでもなく大量の雨が降る雨季を思い出してしまいますがキリがありません。
ハノイ行きが突然やってきたように、ハノイに別れを告げる時も突然やってきました。後で聞いた話ですが東京の株主側はハノイに居る2人の日本人の関係を心配していてどちらかを交代させるという話が進んでいたようです。1998年の旧正月に一時帰国したときも株主2社からのヒアリングは専らその辺に集中していたような記憶があります。日本人は2人しかいなかったわけですが結構いろいろな案があったようで最終的には私が帰国(帰任)することになりました。私自身も元々ピンチヒッターで短期の滞在のつもりであったことや単身生活に少し疲れてきていたこともあり素直に従うことにしました。私の後任には3年先輩のA氏ということになりました。A氏はいわゆる海外畑の人ではなくほぼ純粋に日本国内の営業畑の人でしたが、合弁会社を更に発展させるために営業力を強化するということがあったようです。私のアパートもそのままA氏が引き継ぐことになりました。
ということでお決まりの引継ぎを行った後ハノイに別れを告げることになりましたが、この頃のことは驚くほど記憶が飛んでいて殆んど思い出せません。あまり帰りたくなかったのでしょうか?その時はこれでハノイは最後だと思っていたのですが、日本に帰国して暫くして日本の株主2社が破綻してハノイの合弁会社が宙に浮いてしまい、2年後に今度は合弁会社清算のために再びハノイに駐在(形式的には長期出張)することになり、おそらくそのせいもあり1回目の最後の時の記憶が薄れてしまったようです。最後はMs.Vがアパートか空港まで(多分アパートだったと思います)見送りにきてくれて、Mr.Cの運転でノイバイ空港まで行きました。最後に残ったラジカセや体重計や小型のガスコンロ等その他諸々はMr.Cに引き取ってもらいました(ちなみにハノイ2回目の駐在の時にこのガスコンロがどこかで再び登場しました?・・よく思い出せないのでそのうち思い出しておきます)。空港でMr.Cと分かれる時は私が持っていたベトナム通貨(当時はベトナム国外では交換しようがなかった)も全て貰ってもらいました。こうして1998年4月にハノイから香港を経由して帰国しました。現在の香港国際空港がオープンしたのは1998年10月のようなのでこの時はまだ啓徳空港だったようです。このとき記念に貰ったのは大福様(ベトナム製と言わなければ何の違和感もない)で裏に皆のサインがあります。こうして短い期間ではありましたがハノイの駐在を終えたわけですが2年後に2回目の駐在があり、本ブログはまだまだ続きますが暫く時系列的にベトナム以外のことを書いてみたいと思います。
Posted by tsukuma at 04:53│Comments(0)