2013/04/20
1998年1月の一時帰国




1998年1月の旧正月の時期に日本に一時帰国しました。当時のパスポートを見ると期間は1998年1月23日から1週間です。ノイバイ空港はまだ古いターミナルビルで香港も啓徳空港でした(現在の香港国際空港は直後の1998年7月に開港したようです。)。何度も同じことを書きますが、啓徳空港へは林立する高層ビルの谷間に着陸するような感じで、着陸直前には真下に人々の生活が見えるほどでした。啓徳空港では毎回大勢の人がひしめき合っていて甲高くて大きな声で広東語を叫んでいるように聞こえ頭が痛くなったのが懐かしい思い出です。啓徳空港で1-2時間の待ち時間の後に成田行きに搭乗したわけですが、東京は大雪の直後でまだ雪が積もったままでした。日本では健康診断を受けたりしたと思いますが、JLCでは主にハノイでの私とY氏との間の人間関係を根掘り葉掘り聞かれたような記憶があり、又LTCBにも呼ばれてやはり同じような話をしたり聞かれたような記憶があります。1週間はあっという間に過ぎハノイに戻ることになりますが、まさにその時に昔お世話になったS氏が鎌倉の自宅で急死との悲報が飛び込んできました。私が30歳ぐらいの頃に大口不良債権を管理・回収する部署にいてS氏は当時役員兼部長で私は数名いた部員の最年少という関係でした。T銀行(LTCBではない)出身のS氏は仕事熱心で仕事熱心のあまり怒鳴ることも多く全国各地の拠点長から煙たがられていましたが、私はどういうわけか若かったせいもあり随分かわいがられました(一度だけ出張先の和歌山からうまくいかなかったときに電話して怒鳴られたことがありました。)。私は自分で言うのも変ですが、裏表のない小手先では通用しない正統派の人物からは好かれるようです。拠点長の中にはなるべくならS氏とは直接話したくない人も多くいて、とりあえず私に電話してきて「今日の部長のご機嫌は?」と聞かれるので、悪くても「良いです」と言って何とか電話をしてもらっていました。私は大きな問題を抱えていた関西方面を担当していてS氏とよく大阪支店等に出張したものです。初めて兵庫県姫路市に2人で泊りがけで出張したときに「津久間君うどんを食べに行くか」と言われたので私はてっきり飲みに行こうという意味だと解釈したのですが、豪快な人柄からは想像も出来ないのですがS氏は全く酒が飲めず、瀬戸の花嫁のBGMが流れる中で本当にうどん定食を食べたものです。銀行時代に大阪に長く居たそうで関西の食べ物には詳しかったようです。またインドネシアに駐在していたそうでよくそのころの話もしていました。出張先の仕事で忘れられない思い出は、兵庫県の某信用金庫でS氏と同年代の専務理事と面談したときに、かなり重要な面談だったのですが、ちょうど甲子園で高校野球をやっていた夏の時期だったと思いますが、2人の間で戦前の甲子園の中等野球の話を始め延々と続くわけです、私は報告書を作成しなければならないので必死にメモを取っていたのですが、戦前の中等野球の話をされても私には全く分からず途中でメモを取るのをあきらめましたが、肝心の本題については細かいことは覚えていませんが最後の方で「あの件よろしく」「了解しました」で終わったような記憶があります。とにかく私は2人の間の対話の迫力に圧倒されたものです。事前に東京と兵庫との間の電話であらかた話しはついていたようでしたが、全然関係がない戦前の甲子園の話を延々としながら腹の探りあいをしていたようです。最終的にはお互いに相手を信用できると判断したようです。私はS氏に「報告書どうしましょう?」と聞いたところ「そんなものはいい」と言われた記憶があります。とにかく東京に戻りその件で膨大な稟議書作りに追われました。長々と30年も前の昔話を書きましたが、S氏はうるさ型ではあり一部の拠点長からは煙たがられていましたが、正統派としてその人柄からフアンが非常に多かったのも事実です。そういう経緯もあり亡くなった当時は既に引退して私も長くお会いしていませんでしたが、とにかく最後だけは何とかお別れをしたいと強く思ったものの、訃報を聞いたのがハノイに戻る直前(1-2日前)で戻る日がお通夜か葬儀というタイミング。当時は携帯もまだ普及しておらず、会社はまだ旧正月の休みでハノイの同僚達の自宅の電話番号網も持ち合わせておらず、泣く泣く後ろ髪を引かれる想いで予定通り戻りました。よく思い出せないのですがその日にとにかく戻らなければならなかった理由があったような気がします。ちなみに当日に成田で香港便を待っていたところロンドン駐在時の現法社長だった人物と遭遇。その人物は実はハノイのY氏とは東京大学でのクラスメートという関係でしたが私はその人物と馬が会わず(馬が合わなかったのは関係していた全員がそうで私だけではなかったです。念のため)既にJLCを退職していましたが中国のどこかに行く便に乗るところだったようです。
Posted by tsukuma at 04:48│Comments(0)