2013/02/02

海外での

海外での  海外での  海外での



イギリス・ロンドン(2)

ついでで恐縮ですがロンドン編続けます。次回はベトナム編を書きます。この件に関してはベトナムについてはあまり書くことはないのですが。

1. 再び地下鉄ネタですが、ロンドンに赴任して間もない頃パリかベルギーのブラッセルに日帰りで出張したのですが、朝1番の8時ごろの飛行機に乗るためにヒースロー空港から比較的近いところに住んでいたので、朝が早いこともあり地下鉄(但し、当時の我が家から空港までは地上ですが)で移動と思い時間も事前に入念に調べて、当日の朝に最寄駅まで行ったところどうも様子がおかしいわけです。数人の人が駅の前で何かを待っているように見えたので私も同じようにしばらく待っていたのですが、思い切って待っている人に聞いたところ、何と地下鉄は動いているが駅員が出勤しないので駅は閉まっていているとのことで、住宅地の小さな駅だったので駅の塀を乗り越えて構内に入ろうかとも思ったのですが、結局急遽ミニキャブを呼び何とか飛行機には間に合いました。後で知ったのですが、駅員が出勤しないので駅が閉まっているのはよくある話だそうで、次回以降の出張では公共交通機関はやめ全て事前にミニキャブを手配しました。イギリス人は公共交通機関に関しては非常に従順であるとの印象を受けました。夜アルコールが入ると手がつけられなく人もいるにはいましたが。とにかくイギリスでは行列を作る機会が多いのですが、子供も含め、皆が行儀よく並んでいます。たまに子供が列を乱す行為をすると大人が直ぐに注意していました。私が経験した範囲では、大陸では行列は割り込みが常識でしたが、イギリスでは割り込み等とんでもないことで見たことはありませんでした。

2. イギリス赴任時の出来事で外せないのは、個人のリスク管理の話とは次元が違いますが、何といっても湾岸戦争だと思われます。改めて調べてみると、多国籍軍がイラクバクダットへの攻撃を開始した1991年1月17日に始まり同年の3月3日に停戦となっていますので、戦争の期間はそれ程長くはないのですが、イギリスは戦争当事国であり日本とは異なる緊張感が肌で感じられました。子供達が通っていた日本人学校の警備も非常に厳重だったので、本人達もよく分からないが何か戦争の恐怖みたいものを感じていたようです。私は見ていませんが、ヒースロー空港では万が一の状況に対応できるように戦車が配備されていたそうです。湾岸戦争でひとつ良いことがあったとしたら、海外出張自粛令が出て物見遊山的な出張がなくなったことでした。私の記憶では1991年の前半は勿論後半も殆んど出張者は居なかったのではと思います。話は若干脱線しますが、当時ロンドンには日本の地銀の多くが駐在員事務所を有していましたが、駐在員の仕事の多くが日本の地元からやってくる取引先のアテンドで、殆んど毎日ヒースロー空港との間の往復で夜は取引先の接待に明け暮れていたという話を聞いていました(あくまでも聞いた話です)が、実際に関西方面の地銀の駐在員から「自分は旅行会社のロンドン添乗員」という自嘲気味の話を聞いたことがあります。そういえば私の出身地の地銀が駐在事務所を支店に昇格させ、超一流のサボイホテルでオープニングセレモニーを行いました。当時イギリスは第二次大戦後最大の不況といわれる中で内心驚いたのですが、支店長は私と同年代のロンドンでも博多弁丸出しの好人物でしたがHPを見るとロンドン支店はその後閉鎖したようです。 湾岸戦争とは何の関係もないですが、ロンドンで最初はフラット(アパート)に住み、その後引越して2軒目はセミディタッチ(タウンハウス)に住みましたが、1軒目の大家はイラン人で、2軒目の大家はイラク人でした。イラン人は我が家の近くに住んでいて、たまに「何か困ったことはないか」という口実で様子を見に来ていました。奥さんが来るときは英語が得意ではないので幼稚園ぐらいの娘が通訳(?)でついて来たりしていました。イスラム教徒だと分かってはいたのですが、ウイスキーを勧めると飲んでいました。結局イラン人の大家がフラット(アパート)を売却したので我が家はイラク人が大家の2軒目に引っ越したのですが、1992年のある日、電話が鳴るので出たらものすごい騒音で最初は聞いたことがない言語で話していたのですが、どうもイラクのバクダットからで大家と話したいと言っているよう。湾岸戦争が終わってずいぶん時間は経過してはいましたが、こういうケースは本当に困ってしまいますが、大家の連絡先を教えていいものかどうか分からなかったので一旦電話を切って、南の港町のポーツマスというところに住んでいた大家に連絡したら教えても構わないと言っていたようだが、結局それ以降バクダットからは電話はなかったと思います。イギリスの場合は、電話も手紙も人頭税も家が基準なので、引っ越しても電話(番号)はそのままで、手紙も過去の居住者の手紙が舞い込んできます。そういえばフラットのとき中東のどこかから現金入りの手紙が舞い込んできて何と書いてあるのかも分からず処理に困ったことがありました。2軒目は、隣に住んでいたおじいさんによると、その数年前にシングルマザーの女医が診療所を開設していたようで、とにかくその関係の手紙が数多く舞いこんできました。 普通は「Redirect」(だったと思いますが)と書いてポストに投函すれば返送してくれるのですが、封筒に発送人が書かれていないことがあり、そういう場合はしょうがないので開封するとどこかの病院からで、よく分からないが結構深刻そうなことが書いてあって、あわてて返送したことが何回もありました。

日本人の視点から少しマイナス面も含めてイギリスについて書きましたが、イギリスが嫌いかというと全くそんなことはありません。見習うべき点が数多くあるということを念のため強調しておきます。またイギリスの田園風景は世界一美しいと個人的には思っています。


海外での  海外での  海外での

Posted by tsukuma at 09:01│Comments(0)
Vui lòng nhập chính xác dòng chữ ghi trong ảnh
 
<Chú ý>
Nội dung đã được công khai, chỉ có chủ blog mới có thể xóa