2012/09/29
合弁会社の設立のための第1回取締役会


私はそもそも合弁リース会社を設立するためにハノイに居て、毎日忙しく働いていて大袈裟ではなく胃が痛くなるような出来事がたくさんあったにも拘わらず肝心の仕事の件はあまり記憶が定かではありません。ひとつには自分の意思で100%動いていたわけではないことや、嫌なことは早く忘れたいという意識があったのかもしれません。合弁契約については何回ものやり取りの後1997年9月頃最終的に合意に達し各株主の間で持ち廻り(郵送)でサインした記憶があります。しかし合弁会社が動き出すまでにはまだ事前にやることが山のようにありました。とりあえず会社設立のための第1回取締役会を開催する必要がありその準備に忙殺されました。常勤の役員は日本側が社長に就任したY氏と副社長の私の2名でVCB側が副社長と経理責任者と監査役の3名でしたが、非常勤の役員は各株主2名ずつ合計6名ではなかったかと思います。第1回ということで非常勤を含めて全員が参加して開催ということになり場所はハノイで1番古いメトロポールホテルの会議室ということになりました。日本側は非常勤の4名が東京からはるばるハノイにやってきて、私は専らJLCの副社長のC氏のアテンドを担当しました。C副社長は元々LTCBの役員出身で当時もう既に60歳ぐらいだったと思いますが非常にリーズナブルな人物で余計な気を遣わずに済みました。車でハノイ中を案内しましたが昔の日本の風景に似ていると言って非常に興味を持ったようでした。取締役会は会社設立に必要な第1回目の開催ということで儀礼的な性格が強かったと思いますが、常勤役員の待遇等を承認という議題もあり専ら非常勤が決議を行い我々常勤役員は隣の部屋で待機ということが多かったような記憶があります。Y氏も私も隣の部屋で待機していたので日本側の非常勤のための通訳を誰がどうやったのか覚えていないのですが、日本側の非常勤の中にも英語が分かる人がいたし或いはLTCBのO君が我々と一緒にいたので彼が通訳したのかもしれません。こうやって第1回の取締役会も無事終了しいよいよ合弁会社が少しずつ動き出すことになりました。順番は覚えていませんが合弁会社設立については法律に基づき新聞広告を掲載しました。余談ですが、翌年1998年9月にLTCBもJLCも破綻することになりますが、私が所属していた部門はアメリカの大手自動車メーカーの金融子会社が買い取ったので私もその会社に転籍しましたが2003年の9月にその会社を退職することになりました。正式に退職したのは2003年9月4日だったと思いますが冗談ではなく路頭に迷うことになったのですがまさにその日に千代田線の二重橋駅でなんとバッタリC元不社長に遭遇しました。C元副社長は私が失職したのは既に知っていて近くの喫茶店でお茶を飲みながらいろいろと助言をくれました。C元副社長もLTCBの関係で裁判の被告になっていた筈ですがいろいろと心配してくれました。結局C元副社長のルートとは別のところに再就職しましたが非常に勇気づけられました。


Posted by tsukuma at 07:54│Comments(0)