2012/08/25
日本人社会の世話役


当時のハノイの日本人の間ではT海上のY氏が世話役として非常に重要な役割を果たしていました。本業はベトナムの保険会社との合弁保険会社の社長でしたが、ハノイでは古株で日本人社会の事情にかなり通じていました。夫人もY氏に勝るとも劣らず世話好きで私の家内もハノイに来るたびにお世話になっていました。ハノイの前にインドネシアで駐在経験があったようで子供はいなかったようです。私と一緒に仕事をしていたLTCBのY氏とたまたま同じ苗字で年恰好も同じような感じでした。自宅は大宇からそれほど離れていなかったタンコン(Thanh Cong)というところの集合住宅にありました。この集合住宅は完全に日本仕様で居住者も日本人だけだと言っていました。敷地内にテニスコートが有り(当時ハノイでテニスコートはここだけと聞いたような気がします(?))日本人のテニス同好会の世話役もやっていたようです。日本レストランもあり珍しく日本人シェフがいました(名刺をもらったことがあるのですが中国名だったので日本生まれの華僑の人だったかもしれません)。一度LTCBのY氏と私と一緒に夕食に招待され夫人の手料理をご馳走になったこともありました。私は仕事の関係で日本人と会う必要はあまり無かったのですがそれでも数少ない日本人社会のネットワークは仕事を進める上で非常に助かりました。また私自身が合弁会社で営業を進めるにあたり損害保険は非常に重要でいろいろと教えてもらいました。ただ当時ベトナムでは損害保険が発達段階にあり流動的な部分が多く話を聞いても何時もよく分からない部分が残るというフラストレーションもありました。要は事例が少ないので事故が起こって見なければ分からないということだったかと思います。とにかく我々の合弁会社設立後はこの合弁保険会社には非常にお世話になることになります。
Posted by tsukuma at 20:51│Comments(0)