2012/07/17
King's Island(ゴルフ場)


ハノイ西部のドンモーというところにあった当時ハノイ唯一のゴルフ場です。車で1時間ぐらいの湖(実は川だと思い込んでいたのですがネットで改めて検索してみると湖のようです)の中にあり、湖に着くと海賊船のような船に乗ってゴルフ場に行っていました。タイ系のゴルフ場だったと記憶していますが、当初は9コースでしばらくして18コースになりました。実はメンバーになるときにJLCの東京とひと悶着あったのですが、もともと私はゴルフはやらず英国に駐在していたときに近所のゴルフ場で気楽にやっていた程度で道具も亡父が使っていたものを使用していましたが、日本ではやむ得ない理由で参加した2-3回を除いて行ったことはありませんでした。ハノイにバタバタで赴任した後、東京からあれこれ言ってきた中のひとつがゴルフ場のメンバーシップの購入でした。JLC名義ですが要は私の福利厚生で、だけど私はゴルフをやらないのに面倒だなと思いながらも前任者が稟議までとっていたので旧市街にあったゴルフ場の事務所まで行って1万ドルの会員券を購入しました。日本であれば会員になってもその他のフィーがいろいろあると思いますが、キャディーフィーを除いて一切発生しませんでした。既にメンバーだったY氏は私がメンバーになったのは当然知っているので、殆んど土曜日毎にゴルフに誘ってくるようになりました。2人事務所の辛いところで断るわけにも行きませんでした。客は殆んど日本人と韓国人でたまにその他の外国人がいるという感じでした。話したことは無かったのですが、行くと必ず日本人の老夫婦がプレーしていて、かなりの年齢だったのですが結局何処の誰だか分かりませんでした。コースは非常に荒削りな感じでゴルフ好きな人にはゴルフ場というよりも荒野に見えたかもしれません。また雨季の時には増水してゴルフ場が極端に小さくなりました。ひとつ収穫があったとすれば家内がハノイでゴルフを始めたことです。勿論ビジターとして料金は払うわけですが金額はよく覚えていませんがおそらく70-80ドルぐらいだったと思います。当時のベトナムではとんでもない金額ですが、それでも日本と比較すればかなり安かったと思います。家内がハノイにいたときはさすがにY氏も私を誘わなかったのですが、何故そうなったのか理由は覚えていませんがY氏と家内と私の3人でプレーしたことがあります。湖に到着前のゴルフ場の入り口では子供たちが大勢居て湖に落としたロストボールを安く売っていました。ロストボールを売っている子供たちより少し大きい少年たちがゴルフ場の周りで竹の船に乗ってロストボールを捜していました。何の変哲も無い竹の船だったのですが、音も無く進んでいたので少し不気味でした。日本では炉を漕ぐ音ぐらいはすると思うのですが。キャディーとして地元の女の子たち(女性たち)が大勢いました。ハノイからそんなに離れていないのですが見た感じからハノイの女性とかなり異なっていました。我々の感覚で言うと体つきは小柄な女子中学生の感じなのですが、年齢を聞くと皆22歳とか24歳とか言っていたので最初はびっくりしたものです。英語至上主義のY氏は、ここでも英語が出来るキャディを指名の条件にしていました。ゴルフ戦略を聞くんだとか言っていましたが、ゴルフの腕前は私より上だったのは間違いなかったのですが戦略を聞くほど上手くもなかったので、内心何を言っているのだと思いましたがもちろん口に出しては言いませんでした。ただ英語が出来るキャディーさんがレベルは別にしても必ずいたことも事実でした。一度、ハノイの大学を出て本業は学校で英語の教師をしているという人がY氏のキャディーだった事がありました。当時はこのゴルフ場がハノイで唯一のゴルフ場でしたが、今は日系も含めていくつかあるようです。ホーチミンには当時すでに数ヶ所のゴルフ場がありました。アパートに入居するときに大宇の韓国人のマネージャーが、大宇系のゴルフ場が西部の比較的近いところにオープンすると言っていましたが、詳しいことは分かりませんが土地収用でトラブルになりうまくいかず挫折したようです。ゴルフの関連施設といえば、アパートからそう遠くないランハと言うところに2階建てのゴルフの練習場がありましたが、おそらく韓国系だったと思います。たまに行っていましたが混んでいたという記憶はありません。当時はベトナム人がゴルフをするという話は聞いたことが無かったのですが、今ではかなりいるようです。
写真はGoogleの無料サイトのものですが、実際は崖が切り立っていたりしていたコースもありました。
Posted by tsukuma at 01:39│Comments(0)