2012/07/09
すこし大げさですが「システム編」

パソコン
私が最も苦手とする分野のひとつがシステム関係ですが、概略だけ私なりに説明しておきます。HITCの準備室では、女性二人が各1台ずつパソコンを使用していましたが、ワープロ代わりに使っていたのではと思います。当時、日本ではE-mailを使って国内外との送受信は普通に行っていたし、インターネットも普通に使っていましたが、ベトナムではE-mailもまだ使う環境になかったようです。但し、韓国人の知り合いはE-mailを普通に使っていたと言っていたし、実際私が日本に一時帰国中にハノイの彼から日本の自宅宛にE-mailを貰った記憶があるので、私の理解・認識は間違っているかもしれません。ただ、一般的にメールを使って仕事を行うということはなく、通信手段は電話とFaxに限られていました。ちなみに今ネットで調べてみると、「契機となったのは1997年。この年、ベトナムに「ダイヤルアップ接続」、つまり電話回線やISDNなどの公衆回線を通じてインターネットに接続する方法が登場し、IT時代が幕開けた」との記載があり、まさにこのとき(1997年)にIT時代が始まったようです。印象に残っていることのひとつに、暑くなるとよくあった突然の停電の際のパソコンのバックアップシステムです。(文章でうまく表現できないのですが)停電と同時にパソコンのバックアップシステムが作動したのを見たことがあります。最近は日本でも人ごとではなくなりましたが、日本でも万一の場合ちゃんと作動するのでしょうか?2010年12月にハノイを再訪したときにはネットカフェらしきお店をいくつも見ました。もうITに関してはこの10数年でものすごい進歩をとげたようです。
携帯電話
1997年当時も携帯電話は使用できましたが、実際に保有している人は非常に少なかったと思います。固定電話も設置していない家が珍しくなかったと聞いたことがあり、実際に合弁会社を設立し社員名簿を作成した際に、社員は比較的裕福な家庭の人ばかりでしたが、それでも1-2名固定電話の番号が記載されていなかった人がいました(但し、記載されていなかった理由は確認していません)。私は当初携帯電話は持っていなかったのですが、雨季のときにアパートの周りが冠水して外に出られなくて固定電話も不通になり、アパートの韓国人に携帯電話を借りて連絡を取ったことがあり、それを契機にノキアの携帯電話を購入することにしました。当時は携帯電話のメーカーには興味はなかったのであまり認識していなかったのですが、ベトナムではノキアが圧倒的に強かったのではと思います。韓国人も当時はおそらくノキアの携帯を使っていたのではと思います。最近は世界の携帯の販売台数(か何か)で、サムスンがノキアを圧倒しているとのことで時代は変わったようです。但し、ベトナムでは今でもノキアが引き続き強いとい話を聞いています。ベトナムでは、その後携帯電話がものすごい勢いで普及して、2001年の段階では若い人だけでなくあの人がという人まで(最年長のベトナム人の副社長ですが)保有していました。ただ、2001年当時は携帯メールが使えなかったのではと思いますが。
ページング(Paging)
私と運転手のMr.Cとの間の通信手段として使っていた方式で、用語として正しいのかどうか分からないのですが、日本でいうポケットベルのことだと思いますが、日本ではポケットベルを使用したことがないので正確に同じかどうか分かりません。例えば、私がオペレーターに「Please come to ・・・」「Please call me・・・・」等のメッセージを電話で伝えると、そのメッセージがそのままMr.Cが持っている受信機に表示されてMr.Cが行動するというものです。連絡手段としては非常に便利でよく使いました。オペレーターはベトナム語と英語の両方あり、私は勿論英語のオペレーターに電話してメッセージを伝えていましたが、レストランでも何処でも英語が分からなくても「Paging」と一言言えばすぐに電話を貸してくれました。今では誰もが携帯電話を持っているので、もうこの方式は廃止されていると思いますが。
Posted by tsukuma at 01:44│Comments(0)