2012/07/07

ハノイのテレビ 1997年の話です。仕事には関係ありませんが

ハノイのテレビ 1997年の話です。仕事には関係ありませんが




 地上波放送と衛星放送

地上派放送はチャンネルが1つか2つで、昼間は放送していませんでした。ニュース番組だけは画面だけ見ていて、他の番組も気が向けば画面を見ていました。コマーシャルは画面だけでも何となく分かったのでよく見ていました。そういえばサロンパスの「ひさみつ♫」というコマーシャルは今でも日本のテレビで流れていますが、当時のハノイのテレビでも同じ「ひさみつ♫」のメロディーが流れていて、町でベトナム人の子供が真似をして口ずさんでいたのを聞いたことがあります。ホテルやオフィスビルには大きなパラボラアンテナがあり衛星放送を見ることが出来ました。衛星放送のシステムがどうなっているのか個人的に全く知らないのですが、大宇アパートで見ていると世界中のかなりの衛星放送が視聴可能だったようで、中には何語かも分からない放送が結構ありました。当時日本の首相の発言が問題になったことがあるのですが、どのチャンネルを回してもその首相が登場していてほとんどの放送は言葉は分からないのですが、何を報道しているのかは何となく分かりました。もちろんNHKのアジア向け衛星放送も視聴可能で、朝の連続ドラマも2時間の時差の関係で朝起きたころちょうど放送していたので毎朝見ていました。Ms.Vによれば、ベトナム人の一般家庭では小さなアンテナの設置は可能でCNNと香港のスポーツ番組は視聴可能だった、とのことでした。

おしん

「おしん」が世界各国で放映され好評だったのはあまりにも有名ですが、ベトナムでも1990年代の半ばに放映され、ハノイの場合当事チャンネル数が1つか2つだったこともあり視聴率はほぼ100%だったそうです。家内が町を歩いていると皆が彼女を指さして「おしん」「おしん」と言うので外出を嫌がっていたことがありました。「おしん」マニアみたいなベトナム人が結構いて、日本人なので良く知っているだろうということで私にいろいろな質問をしてくる人がいたのですが、実は私は「おしん」のことは全く知らず対応に窮したことがありました。どこか心を打つ番組だったようです。この頃「おしん」役の子役だった小林綾子さんが当時大学生でベトナムを訪れたことがあり、大変な歓迎ぶりだったようで共産党の機関紙までが連日報道してまるで国賓並みだったという話を聞いたことがあります。ハノイには地方から出てきてお手伝いさんとして働いていた少女が大勢いましたが、彼女たちのことをお手伝いさんという意味でそのまま「おしん」と言っていました。

北の国から

先日地井武男さんが亡くなって思い出したのですが、私が初めて「北の国から」を見たのは日本ではなくハノイでした。ベトナムでは海外からの輸入ドラマは吹き替えが原則のようですが、登場人物の人数に拘わらず1人の人が全ての吹き替えをやっていました。またオリジナルの音声(この場合は日本語)が少し残っていて注意深く聞けば日本語のせりふを拾えたようです。番組の冒頭の音楽は聴いたことがあったのですが初めて見たので何の番組かが分からず、東京に電話したときに登場人物や舞台設定を話したら応対した女性が「北の国から」ではないかということでしたが家内がハノイに来たときにやっと確認が取れました。彼女は「北の国から」の大フアンであったことをそのとき初めて知りました。番組には私より1つ年下で同世代の女優の竹下景子さんが登場していたのですが、明らかに20歳代の彼女で相当に古いフイルムのようでした。Ms.LやMs.Vも竹下景子さんを見て日本人女性に見えないと言っていましたが、私から見ても明らかに化粧が当時と異なり違和感がありました。たまに番組を見たときはセリフが理解できないので画面を見て勝手に内容を想像し翌日事務所でMs.Vに大筋を確認することもありましたが、私の想像はほとんど違っていました。当時は、他にも日本の番組を放映していましたが個人的には印象に残っているものはなく番組名も思い出せません。現在は、ベトナムのテレビは韓国の番組が圧倒していて、日本の番組は放映されていないと聞きました。上記のとおりベトナムでは輸入モノのセリフは吹き替えが原則でしたが、英国では全く逆で字幕が原則でした。小津安二郎監督の白黒の日本映画をよく放映していて、古くてゆったりと話す東京弁のオリジナルの音声でよく見ていました。

Posted by tsukuma at 21:58│Comments(0)
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