2012/07/06
一時帰国でハノイと東京を往復

一時帰国
忙しくしているうちに2月と3月があっという間に過ぎて、合弁契約書のドラフトの何回目かのコメントを相手に送ったところで、とにかくバタバタで赴任したのでやり残していたことや最低限の引越しの荷物をまとめる必要もあり、1週間一時帰国をすることにしました。パスポートを見ると4月2日に一時帰国をしているようです。2ヶ月ほど前に初めてベトナムに来たときはホーチミン経由でしたが、帰国便は通常のルートである香港経由の便でした。ハノイと香港間は2時間弱ぐらいであっという間に到着するのですが、当時の香港は中国返還を7月1日に控えていて翌年新空港が完成という状況でしたが、このときはまだ啓徳空港を使用していました。啓徳空港へ着陸する直前に市街地のすぐ真上(本当に人が生活しているのが見えました)から右か左かどちらかは忘れましたが急旋回するので毎回分かってはいるのですが心臓に悪い空港でした。ハノイから初めて香港に行ったときはとにかく空から見える高層ビル群に圧倒されました。ただ個人的にはハノイは将来的にも香港のように高層ビルが林立する都市にはなって欲しくないと思っていましたが、最近はかなり高層ビルが増えているようです。日本では1週間何をしていたのか殆ど記憶がありません。おそらく会社に行って最低限の報告をして、最低限の引越し荷物をまとめ、市役所に行って転出届等を行ったのだと思います。海外への転出届けを出せば日本に居ない間の住民税の支払いは免除されます。
再びハノイへ
1週間の一時帰国が終わり香港経由でハノイに向かいました。家内がちょうどそれまでの仕事を辞めて次の仕事を探すところで時間もあったので、3週間の予定でハノイに同行することになりました。成田発10:00の飛行機に乗り啓徳空港で1-2時間のトランジットの後ノイバイ空港に16:00に到着だったと記憶しているので、日本/香港/ベトナムはそれぞれ1時間の時差があることを考えると結構な長旅でした。それにしても啓徳空港は頭が痛くなるほど騒々しい空港で、いたるところで皆びっくりほど大きな声で広東語を喋っていました。このときは、香港からの飛行機が信じられないほど揺れて家内の気分が悪かったのでもう大変でした。後日のことですが、ノイバイ空港の税関を最後に出るときにX線検査があったのは前に記載したとおりですが、お酒とかタバコその他は持ち込み制限があり制限を超えると関税が課せられるのは他の国と同じですが、ハノイの税関はこの点に関しては、意図は分からないのですが見ていないという話を複数の人から聞いたことがあり、手荷物として制限を越えたお酒やタバコをわざと目立つようにして税関で検査を受けたのですが確かに何も言われませんでした。
ベトナム航空(ハノイ・香港間)
ハノイと日本との間を行き来するためには必ずこの便に乗るわけですが、機体はベトナム航空のエアバス機を使用しキャセイパシフィック航空との共同運航になっていました。当時は、ハノイを朝9時ごろに出る便と同じ機体で香港から午後2時(香港時間)ごろ出発してハノイに帰る便しかなかったと思います。従ってこの便に乗れないと当日はアウトで、成田から香港まで乗ったJAL便が遅れてこのハノイ便に間に合わなかったことがあるという話を聞いていたので、成田・香港間は乗り継ぎの便宜を図っていたキャセイパシフィック航空を利用していました。ハノイから香港便に乗るときの航空券の記載事項は全てマジックペンでの手書きでした。搭乗すると機内に何時も白い気体が充満していて冷たかったのでおそらく冷房の機器から出ていたのではと思いますが、他で見たことがなかったので何だろうと不思議に思っていました。日本に帰任後ですが、テレビで北朝鮮に関する報道番組で日本人の記者が北京からピョンヤン行きの飛行機に乗ったときのテレビ画面に同じような白い気体が充満していて、その記者もこの気体はいったいなんだろうと言っていました。私が個人的に経験していないだけでよくある白い気体かもしれませんが?
突貫道路工事
大宇ホテル前の交差点から中心部に向かう道路の脇に海外の各国外交団の宿舎が建っているやや広い地区がありました。口の悪い日本人の中には保護という名の下に1箇所に集めて監視しているのだという人もいましたが、警官が警備をしていたような気もしますがその地区には自由に出入り出来たと記憶しているので極端な保護とか監視ということではなかったと思います。その地区に居住者の外交官向けの商店があり、私はパック入りの豆腐をよく買っていました。当時パック入りの豆腐は、私が知る限りでは、ここだけで販売していました。豆腐は私の耳にはベトナム語でも「とうふ」と聞こえるのですが、勿論私が発音してもベトナム人には全く通じませんでした。ところで、問題は交差点から中心部に向かう数百メートルの道路ですが、3月の時点では舗装されていなかった狭い道路を挟んで古い住宅が無秩序に建っていて人も住んでいたのですが、4月になって突然居住者が立ち退き、家を取り壊し、片側3-4車線の立派な舗装道路をわずか3週間で完成させました。何故3週間という期間を覚えているかというと、家内がハノイに来て工事を始め3週間後には帰国するために完成した道路を通ってノイバイ空港に向かったからです。立ち退きについては事前に話しはついていたとは思いますが、それにしても日本ではとてもあり得ないあまりのスピードの速さにただただ驚きました。日本では3ヶ月でもとても無理です。家内に確認したところ、この件はよく覚えていて彼女がハノイに到着したときにはまだ人が住んでいて、とにかく建物の壊し方が尋常ではなく激しかったそうで、埃や粉塵がすごくて日中はとてもアパートの窓を開けられなかったそうです。
Posted by tsukuma at 20:50│Comments(0)