2012/06/24

路地裏・自転車(1997年の話です・・念のため)

路地裏・自転車(1997年の話です・・念のため)

ハノイの住宅地は、狭い路地が迷路のように曲がりくねっておりすぐに迷子になります。磁石を持って行けと言われたのですが、磁石があっても分からないものは分かりません。ハノイは非常に安全な町なので危険だと思ったことはありませんが、当時は外国人が少なく路地裏を歩いていると怪しそうな外国人だということでジロジロ見られてしまいました。歩いていて迷子になったら言葉ができないのでどうにもなりません。そこで、健康維持も兼ねて自転車に乗ろうと思い自転車屋さんに連れていってもらいました。運転手のMr.Cは盛んにベトナム製よりも中国製の自転車を買うように勧めましたが、休日に乗るだけなのでベトナム製を購入することにしました。ベトナム製が30ドルで中国製が50ドルぐらいだったと思います。しかし、Mr.Cが何故しつこく中国製を勧めたのか理由はすぐに分かりました。修理代だけで軽く30ドルは超えたのではと思います。極めつけは(文章でうまく表現出来ませんが)サドルの部分が外れたことです。飛行機で言えば空中分解ですが、一瞬何が起こったのかが分かりませんでした。ちょうどホーチミン(バーディン)広場を走っている時だったので、大勢の人がいて爆笑の渦だった記憶があります。ただ、当時のハノイには早朝から100メートルおきに自転車・バイクの修理屋さんがいたのであまり困ったことはありませんでした。空気入れが1回1000-2000ドン(当時のレートで10円ぐらい)ぐらいだったと思います。

自転車の続き

自転車でハノイを走り回りました。路地裏も自転車だとあまり気がつかれませんでした。外国人が自転車でウロウロしているとは思わなかったようです。自転車で色々な所を回ると改めて一般の人々の暮らしの一端が見えてきました。貧しいながらも元気いっぱい楽しそうに生活していました。ハノイの通りは100%とは言いませんが、殆ど一度は通ったのでは?アパートがあった西の郊外から東に向かって中心部を通り紅河まで30分も走れば到達したのではと思います。直進だけでなくモーターバイクの洪水の中を左右にも曲がりました。西湖を一週したり、ロアンビン橋を渡り紅河の向こう側にもよく行きました。一度、緑がきれいなハノイの中でもより緑が深い何かの施設内の道路(私には普通の道路に見えたのですが)を通過しようとしたら、他のモーターバイクや自転車は普通に走っているのに、私だけ若い警官から止められたことがありした。穏やかな表情でしたがお前は駄目だと言っているようでした。場所は西湖と官邸街との間ぐらいだったと思いますが、翌日Ms.Vに聞いたら、おそらく軍の施設ではないかとのことでしたが真相は分かりません。ブレーキがない自転車が結構走っていて、よく後ろからぶつけられました。ブレーキがない自転車を止める時は足で蹴って止めていました。後ろからモーターバイクに引っかけられたこともありました。今テレビでハノイの交通事情を紹介する番組を見ると、あの中をよく自転車で走っていたなと改めて思います。
路地裏・自転車(1997年の話です・・念のため)


Posted by tsukuma at 05:06│Comments(2)
この記事へのコメント
当時はバイクよりも自転車が多かったという話を

聞いたことがあるのですがいかがでしたか?
Posted by いのっちいのっち at 2012/06/24 13:31
ハノイは、ホーチミンと比較して、自転車がかなり多かったと思いますが、数はやはりモーターバイクの方が多かったと思います。 記憶による印象ですが、3対1ぐらいだったかと思います。ただ年を追うごとにモーターバイクの比率が大きくなっていたのはよく分かりました。2010.12にハノイに行ったときはあまり自転車は見かけなかったような気がします。
Posted by 津久間秀也 at 2012/06/25 04:57
Vui lòng nhập chính xác dòng chữ ghi trong ảnh
 
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