2012/06/17
ベトナム・ハノイへ

私がベトナムへ行くことになるまでの経緯は・概略以下のとおりです。
1.1990年代半ば頃、国営のベトナム外国貿易商業銀行(いわゆるベトコン銀行、以下”VCB”)と日本長期信用銀行(”LTCB")と私が勤務していた日本リース(”JLC")との間の間でハノイにおける合弁リース会社設立の話が持ち上がっていました。
2.ベトナム戦争終了後もアメリカはベトナムに対して経済制裁を行い、ベトナムはアメリカの銀行に口座を開設出来なかった時期があり、そのためにアメリカドルの決済ができずにドル建ての貿易取引に支障が出るのを防ぐために、LTCBが援助していたという話を聞いたことがありますが、詳しいことは分かりません。ただ、そういうことを通じてLTCBはベトナムとの関係を強めていったようです。
3.1996年(だったと思いますが)に、ベトナムでリース法が制定施行され、その法律に基づきリース会社の設立・営業ができるようになりました。LTCBとJLCの社内で合弁会社設立に向けてプロジェクトチームが作られて、派遣社員候補も各1名づつ指名され具体的にいろいろ動いていたようです。ちなみに、この時点で私は全く関与していません。プロジェクトチームと同じフロアーにいたので、何となくベトナムという言葉が聞こえていたような気はしますが。
4.私が具体的に関与するようになるのは、JLCで派遣候補者の後任を早急に決める必要が生じたことから始まります。
5.通算のベトナム滞在期間はそれほど長くないのですが、自画自賛になりますが、中味はそれなりの濃かったのではと自分では思っています。1997年2月から1998年4月まで合弁会社の設立等に参加、2000年7月から2001年5月までは逆に合弁会社の解散に従事し、その後一旦ベトナムから完全に離れたのですが、2008年11月に東京新宿であるベトナム人との思いがけない再会があり、2010年12月にはハノイに再訪することが出来て現在に至っています。
本ブログはタイトル通り「ベトナムの思い出」を綴るもので、企業・会社名への言及は必要最低限とします。LTCBもJLCも1998年に破綻し、今では存在しません。但し、ご存知のとおりLTCBは一時国有化を経て名前を変えて別の銀行になっています。多くの元行員・元社員等の皆様が破綻・再生について多数の本を執筆されているので、興味がある方はそちらを参照ください。また個人名は原則イニシャルで記載します。
あまりに突然のベトナム・ハノイへの赴任
1997年1月のある日、人事部から当然呼ばれ「ハノイ赴任」の通告。あまりにも突然の話でこちらもあっけにとられ、とにかく断らねばと重いNoと言ったが、命令だということで行かざるを得なくなりました。 ベトナムというバックグラウンドが全くない私が何故という点については、「新規合弁会社設立」と「海外」という2つのキーワードの経験者が他に居ないというものでした。私は、いくらでもいるだろうと反論したのですが、確かに海外の経験者はいくらでもいるのですが、2つのキーワードの両方の経験者が以外と少ないというのも事実でした。後で知ったことですが、ベトナム中央銀行(”SBV")による合弁会社設立の仮ライセンスが1996年12月に出て、本格的に合弁交渉が始まるのでLTCBから早く後任を決めろと矢のような催促があったようです。通常、ベトナムにおける外資による投資管理はMinistry of Planning and Investment( “MPI”)の管轄でしたが、ファイ
ナンス関係についてはMPIではなくSBV管轄になっていました。私は、その時点で44歳になっており、10年ほどヨーロッパに関する仕事をしておりイギリス駐在の経験も有りましたが、ベトナムを含むアジアにはプライベートでも行ったことがなく、途方にくれた記憶があります。家内もビックリ仰天していました。とにかくすぐに赴任ということだったので、パスポートの期限切れが近い(これは事実)という理由で抵抗しましたが所詮無駄でした。こうして、ベトナムのことを勉強する時間もなく、語学学校でベトナム語の勉強もできないまま、ベトナム・ハノイに赴任することになりました。英語圏・中国圏以外の国に赴任する場合は、事前に語学学校で現地語を勉強することになっていたようですが、私の場合は多分勉強しても無駄だったと思います。難解なベトナム語については後で記載します。
代々木のベトナム大使館
パスポート更新後、代々木の住宅街にあるベトナム大使館に出向きビジネスビザを取得しました。当時は、ビジネスビザ期間の最長は6ヶ月間で、出張でも赴任でも6ヶ月ごとに延長の必要がありました。大使館は倉庫のような建物で、ビザを貰いに来た人でいっぱいでした。旅行会社の人が多かったようです。ところで、この代々木のベトナム大使館には2008年頃再訪したことがありますが、場所は同じですが見違えるような立派な建物に建て替えられており、現在のベトナムの勢いみたいなものを感じました。なお、現在は短期の観光ビザは必要ないようです。
東京でLTCBのY氏と面会
この短い期間中、ハノイから一時帰国していたLTCBのY氏と面会。私より10歳近く年長で後日合弁会社の社長に就任しました。エコノミストとして海外経験も豊富で英語も非常に堪能でした。ホーチミンに1年ほど駐在しハノイに転勤したばかりとのことでした。私のベトナム赴任にあたっては、まずホーチミンで韓国系リース会社の設立レセプションに招待されているのそれに参加したあと、ハノイに赴任ということになりました。Y氏についてはLTCBから色々聞かされていましたが、第一印象は予想通りの人でした。
羽田空港から関空経由でホーチミン・タンソンニャット空港へ
1997年2月21日金曜日(当時のパスポートが残っており日付は正確。パスポートには日本とベトナムの出入国記録が多数押されているが、日本のスタンプは問題なく読めるが、ベトナムのスタンプはインクが滲んでいて判読できないものが多いようです。)。羽田空港で家内に見送られて、ベトナムに関して何の予備知識もないまま、関空経由でホーチミンに向いました。当時は両国の直行便はホーチミンと関空との間のみで、それも毎日ではなかったと思います。 ホーチミンに着陸する直前にメコンデルタと思われる地域が見えてきて、中学・高校・大学時代毎日のようにベトナム戦争に関するニュース等に接していましたが、いよいよベトナムかと思うと、とても不安な気持ちに襲われたことを、今でも昨日の事のように覚えています。飛行機を降りると暑くて汗が吹き出てきました。最後の税関を出るときにもX線での荷物検査がありました。麻薬やビデオ等の最終チェックをしていると聞いたことがありますが、ハノイ・ノイバイ空港で実際に見つかったビデオを検査視聴しているのを見たことがあります。2010年12月にハノイを再訪したときには、少なくともハノイでは、この検査は廃止されていたようです。 空港から宿泊先のサイゴンプリンスホテルに向かう頃には薄暗くなりかけていましたが、タクシーの中から生まれて初めて見る大量のモーターバイクが道路を疾走する光景をただ唖然として見ていました。ホテルに到着後の記憶は曖昧ですが、Y氏とY氏の後任としてホーチミンに駐在していたLTCBのK氏(Y氏の1-2年後輩)と一緒に近くの日本レストランで食事をしました。体がとても疲れていたことだけはよく覚えています。
Posted by tsukuma at 03:49│Comments(3)
この記事へのコメント
Hajimemashite
Watashi wa nihongo benkyō shite imasu
Watashi wa Tu desu.
Watashi wa Betonamu-jin.
Email: hoangvantundvn@gmail.com
Dozo yoroshiku
Watashi wa nihongo benkyō shite imasu
Watashi wa Tu desu.
Watashi wa Betonamu-jin.
Email: hoangvantundvn@gmail.com
Dozo yoroshiku
Posted by hoangvantu
at 2012/06/17 18:49

6月17日のコメントありがとうございます。これからもよろしくおねがいします。
津久間秀也
Thank you for your coment dated June 17.
Hideya Tsukuma
津久間秀也
Thank you for your coment dated June 17.
Hideya Tsukuma
Posted by hoangvantu at 2012/06/21 04:19
6月17日のコメントありがとうございます。これからもよろしくおねがいします。
津久間秀也
Thank you for your coment dated June 17.
Hideya Tsukuma
津久間秀也
Thank you for your coment dated June 17.
Hideya Tsukuma
Posted by Hideya Tsukuma at 2012/06/21 04:20