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Posted by vietnhat at

2013/09/14

Meritus Hotel 現在は別のホテル名

    

 会社清算の基本的な合意には達したものの、それから気が遠くなるほど細かい実務作業が始まりました。前述のように会社解散に至るドキュメントは日本側が準備するということで英国系の法律事務所でドラフトを作成してもらいベトナム側に送付したものの、一向に返事が無く、業を煮やしたH氏が私に対して取りあえず様子を見に行けということでハノイに出かけることになりました。2000年9月のことです。結果的には私がハノイに出かけた途端にドキュメンテーションが始まることになりましたが、私が行ったから始まったのか、たまたまそういうタイミングだったのかはよく分かりませんでした。ということで再びハノイに滞在することになりました。今回は駐在ということではなく長期出張ということになりました(何が違ったのかよく覚えていませんが、おそらく労働ビザの形態が違ったのでは?)。滞在先は西湖(“West Lake”)の側にあるMeritus Hotelということになりました。当時シンガポール系のホテルで1997-1998年当時は建設中だった記憶があります。ホテルの最上階は長期滞在者用のフロアーになっていて、食堂も一般ホテルとは別になっていました。西湖も含め市内が一望でき、部屋は紅河側に面していて紅河の向こう側の住宅街等もよく見渡せました。ホテル自体は快適でしたが、早朝多数のアヒルか何かの大きな鳴き声でたたき起こされるのには閉口しました。滞在者は主にヨーロッパ各国やオーストラリアのビジネスマン達で、殆どの人がベトナムと中国を一緒に担当していたようです。中にはベトナム語や中国語が堪能な人もいたようです(私は聞いても分かりませんが、本人たちがそう言っていたような記憶があります)。何人かとは朝食の時に話すことがあり、商売は中国の方がベトナムよりも難しいと例外なく言っていました。東洋系は私以外は殆ど見かけませんでしたが、たまに中国系の若いシンガポール人がいて、食堂では何時もノートパソコンを開いていてシンガポール英語で携帯に向かって何か話しているITオタクのようなタイプで、話をしたことはありませんでした。 日本人も殆ど居なかったのですが、ある日顔見知りの日本人と偶然再会して大変驚いたことがありました。ホーチミンの韓国系リース会社に株主の日債銀から出向していた人物で何度か会ったことがありましたが、LTCB破綻後に同じく日債銀が破綻し銀行を退職して別件で日本政府系のプロジェクトでハノイに滞在していたとのことでした。その後ほぼ同じ時期をハノイの同じホテルで過ごし、何度か外で食事をしたこともありました。ホテルの食事は朝食だけでしたが、夕食時も食堂のテーブルに(豪華な)軽食が準備されていて、面倒な時はそれで夕食を済ませていました。 
こうやって再びハノイで仕事に追われる日々が始まることになりました。

 ちなみにホテルは2001年ごろ売却か何かで株主の変更があったようで、名称がSophitel Plaza Hanoiに変更になったようです。2010年10月にハノイを再訪したとき、お世話になった旅行会社の日本語が分かる若いベトナム人の担当者にMeritusと言っても通じませんでした。


      

Posted by tsukuma at 04:10Comments(0)